ネタニヤフによるハマスの殲滅戦争。
プーチンによるウクライナの殲滅戦争。

ネタニヤフも、プーチンも、
自らの権力基盤に唯一生き残る道は、戦争を引き延ばす以外ない。

みずから引き起こした自縛の罠にみずからはまっているのだ。

 

 

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@なぜハマスは戦闘を続けられるのか イスラエルの誤算
 佐々木伸 (星槎大学大学院教授)

パレスチナ自治区ガザ情勢は、
イスラエル軍とイスラム組織ハマスとの戦闘が全域に広がり、
ガザ住民らの死者は1万8000人を超えた。

イスラエル側が戦争の目標としている
ハマス指導者の殺害はいまだ実現していない。
そうした中、
ハマスが戦闘を続行できるのはカタール資金の流入を容認するなど
イスラエル自らがハマスを育て上げたからだ、
との衝撃的な見方が明らかになってきた。

<すべては中東和平をつぶすため>

10月7日のハマス奇襲攻撃で始まった戦闘は
2カ月以上が経過し、今や第二段階に入った。
イスラエル軍は当初、ガザを南北に分断し、北部の攻略から始めた。

しかし、奇襲攻撃を立案、命令したとされるハマスのシンワル指導者や
軍事部門カッサム旅団のデイフ司令官ら最高幹部は発見できず、
12月初めからは戦車など地上部隊を南部へ侵攻させた。

軍は南部最大の都市ハンユニス中心部まで進撃、
同地のトンネル施設にシンワル指導者らが潜伏しているとみて
攻撃を強化している。

ハマスの戦闘員は約2万5000人だが、
これまでの戦闘で約6000人が殺害されたもよう。
イスラエル軍兵士の戦死も100人を超えた。
軍は数百人を捕虜にし、投降を呼び掛けているが、
ハマスの抵抗は続いている。

ハマスがなお戦闘力を持続しているのは、
この戦争に向けて武器・弾薬や食料、
水などを大量に地下に蓄えているからだ。
武器や食料を購入、準備できたのは
ペルシャ湾岸の富裕国カタールがハマスへ巨額の資金を送り続け、
それをイスラエル自身が容認してきたことが背景にある。
イスラエル自らがハマスを強大な組織に育て上げたとされる所以だ。

なぜイスラエルはハマスの軍備強化になるようなカタール支援を認めたのか。
「すべてはパレスチナとの中東和平をつぶすためだった」(ベイルート筋)。
ニューヨーク・タイムズや地元メディア、ベイルートからの情報などによると、
計16年間も権力を掌握してきたネタニヤフ政権は
パレスチナ勢力が一枚岩となって和平交渉を要求してこないよう
パレスチナの「分断統治」を画策した。

パレスチナ勢力は2007年、内部対立を激化させ、
ハマスがパレスチナ自治政府を武力でガザから追放。
それ以降、パレスチナ側は「ガザのハマス」と
「ヨルダン川西岸のパレスチナ自治政府」の2つの勢力に分裂した。

ネタニヤフ首相はかつてイスラエルのジャーナリストに対し
「自治政府の対抗勢力としてハマスを強いままに保つことが重要。
2つの勢力があれば、パレスチナ独立国家に向けた交渉の圧力を弱めさせる」
と発言していたとされる。

唯一の和平のチャンスと言われた「オスロ合意」(1993年)について、
自治政府は支持しているが、
ハマスはイスラエルを武力で打倒すると主張して反対している。
合意を反故にしたいネタニヤフ政権にとって
ハマスの姿勢は都合の良いものだった。

「ハマスに対するイスラエルの考えは〝ガザを統治できるほど強く、
しかしイスラエルに制御されるほど弱い〟というのが基本だった」(同)。
イスラエルはハマスを重要な手駒の1つとして手なづけようとしたわけだ。

<両刃の剣>

ネタニヤフ政権はこの基本的な考えに沿い、
さまざまな要求を突き付けて和平交渉を頓挫させた。
〝ガザを統治するほど強い〟ハマスを育てるために利用したのがカタールだった。
中東では一時、民主化の嵐が吹き荒れたが、
カタールはその中心にいたムスリム同胞団など

イスラム原理主義勢力を支援していた。

ムスリム同胞団が源流のハマスもその対象で、
2012年にはカタールの当時のハマド首長が

ガザを外国の元首として初めて公式訪問、
数億ドルに上る援助を約束した。
イスラエルは当初こそ、カタール資金が民生用のみに向けられ、
ハマスの武器製造や購入に使用されないよう監視したが、
ハマスは資金の一部をかすめ取り、軍備増強に転換していった。

このカタールのハマス支援については、

一部のネタニヤフ政権の閣僚が反対したが、
米国のオバマ、トランプ、バイデンという歴代政権も支持した。
ニューヨーク・タイムズによると、ネタニヤフ政権は18年の閣議で、
カタール外交官がガザに入り、直接ハマス当局に援助金を手渡す方式を承認した。

外交官は毎月1500万ドルのキャッシュをスーツケースに詰め込み、ガザに通った。
外交官をガザ検問所まで送るのはイスラエル情報当局者の役目だったという。

反対した閣僚の一人だったリーベルマン元国防相は同紙とのインタビューで、
この閣議決定が今回のハマスによる奇襲攻撃につながったと指摘し、
「ネタニヤフにとって重要なことは1つだけ。
どんな犠牲を払っても権力座に留まることだ」と批判した。

ネタニヤフ首相にとってカタール資金をガザに入れることは
「両刃の剣」であり、大きな賭けだった。
うまく機能すれば、和平交渉は暗礁に乗り上げたままになり、
パレスチナ独立国家を樹立させないようにできる。
しかし、一方でハマスを管理できなければ、
ハマスが牙をむいてくるかもしれないからだ。

首相の賭けを後押ししたのは甘い判断と過信だった。
ネタニヤフ政権は「ハマスには大規模な攻撃を仕掛ける力はない」

と誤った判断をし、仮に攻撃に出ても、

ガザとの境界に設置した最新鋭の監視装置で事前に探知し、
阻止できるとの過信を抱いた。
ハマスによる攻撃の可能性があるとの情報さえ無視した。

<現実味帯びる「戦争引き延ばし」>

21年に短期間政権の座にあったベネット政権当時、
特務機関モサドの長官らがカタール外交官のガザ入りに強く反対し、
国連がカタール外交官に代わって
カタール資金で燃料などを直接購入するやり方に変更された。
この時の援助額は月3000万ドルに膨れ上がっており、
すでにハマスは十分な資金を蓄積、
イスラエル攻撃の爪を研ぎ始めていたとみられている。

ネタニヤフ首相がハマスを育成してきたのではないか、との疑惑に対し、
首相は「馬鹿げた話だ」と一蹴している。
だが、現実としてカタール資金をガザに流入させることを容認した決断が
ハマスを強力な組織にのし上げたことは確かだ。
首相の賭けは失敗し、その代償はあまりに大きい。

首相にふさわしいのは誰かという最近の世論調査によると、
ネタニヤフ氏はトップのガンツ元国防相に大差を付けられ、

政治生命は消えかかっている。
「ネタニヤフにとって唯一生き残る道は戦争をできるだけ引き延ばすしかない」
(ベイルート筋)
という見方が現実味を帯びてきた。

2023/12/14 09:00 Wedge
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ユダヤ・ロビーストを無視できないバイデンが、
ネタニヤフを支持すればするほど、
バイデンもネタニヤフも、国際社会の支持を失っていくだろう。

ネタニヤフの殺戮と破壊の誇示に対し、
ハマスは自らの戦闘員を英雄と呼ぶ。

その思想の高低ではない。
人間は自分の命より大切なものはない。

彼らを侮ってはいけない。
彼らは自分の命を捨てている。

かつて、戸田先生は、
「いい意味でも悪い意味でも、
命を賭けた人間ほど手のつけられないものはない」
という趣旨のことを語ったと聞く。


偽物は本物には絶対に勝てない。
思想の高低ではない。
覚悟が違うからだ。

 

 

アメリカの庇護のもと、
ネタニヤフは軍事力でハマスを圧倒する。

ハマスは、ネタ二ヤフとともに
アメリカとも戦わなければならないことは分かっている。

イスラエルがアラブ諸国と和平の道を探るなか、
パレスチナが置き去りにされ、忘れ去られようとする。

ガザという牢獄から、ハマスは怒りを爆発させた。
最後の勝負に出たのだ。

 

ハマスは、国際社会の声に訴えようとしたのかもしれない。

 

いい悪いは別として、

ネタニヤフとハマスの戦争は、
ある意味で殲滅と殉教の闘いだ。

 

 

僕は覚えている。

彼の人は、ご逝去の前、
”わが友に贈る”に記した。

『大悪をこれば大善きたる』
 

 


ネタニヤフがいくら軍事的に圧倒し、
ガザのハマスの軍事組織を殲滅しようと、
思想を殲滅することはできない。

この戦争は、
ネタニヤフとアメリカの軍事的勝利ではなく、
ハマスの軍事的敗北ではなく、
パレスチナ解放の思想的勝利とならなければならない。

人類は、ネタ二ヤフを葬り去り、
思想の力が軍事力を圧倒する歴史を拓かなければならない。

それを可能にするものは何なのか。

 

 

 

思想の高低ではなく、
まず、もっとも本質的なことを考える。

”ハマスの英雄たち”は、”殉教”を覚悟で怒りを爆発させた。

ネタニヤフという強権主義者は、ハマスの殲滅という大義で、
ガザの牢獄を、殺戮と破壊によりこの世の地獄へ変えようとしている。

 

 

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バイデン氏は
「ネタニヤフ政権が理解しているか確信を持てないことの一つは
いまやイスラエルの安全保障は米国以外にも頼っているということだ」
と言及。

米欧からの支持を念頭に
「イスラエルはその支持を失い始めている」と断じた。

イスラエルのネタニヤフ政権をめぐり
「史上最も保守的な政権だ」と指摘した。

「彼は良い友人だが、彼はこの政権を変えないといけない。
この政権では動くのがとても難しい」
と語り、閣僚交代などが必要と示唆した。

「2国家解決からほど遠いことでさえ望まない」と話し、
ネタニヤフ政権を批判した。

「ネタニヤフ氏はパレスチナ自治政府を強化して変革し、
動かさなければならないと理解する必要がある」と唱えた。

日本経済新聞  2023年12月13日 6:21
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殲滅に未来はない。
殲滅には破壊の衝動しかない。
怒りと憎悪と、国内世論への媚びと、
制覇欲・支配欲・権力欲があるだけだ。

殲滅とは何だ。

 

 

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「反権威主義」を自任していた池田は、核兵器の廃絶を強く求めた。
池田は核兵器の廃絶を訴えた2009年の提言でこう書いている。

「真に対決し克服すべきは、
自己の欲望のためには相手の殲滅も辞さないという
『核兵器を容認する思想』です」

@ その最大の功績、賛否両論、平和活動などを振り返る
@【全訳】米大手紙は「創価学会」名誉会長・池田大作の死をどう報じたのか

法華経系の新宗教団体「創価学会」の名誉会長・池田大作が11月15日に逝去した。
11月29日付の米紙「ニューヨーク・タイムズ」
に掲載されたその追悼記事を全訳でお届けする。

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COURRiER JAPAN  5min 2023.12.8
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彼の人は、革命家について語っている。


「命をかけた人間でなければ、
命をかけた人のことはわからない」
戸田先生の言葉である。

先生は厳しかった。
今の私には、先生のお気持ちが、手に取るようにわかる。

~ 新時代第32回本部幹部会  2009.9.10

 

 


口で革命を叫ぶことはたやすい。
時代の“勢い”がある場合は、なおさらである。
幕末の動乱の世――。

社会変革を志した若者は、
時代の変化また変化を鋭くキャッチし、
大いなる理想の実現に熱い血を燃やした。
その青年の、はやり立つような思いは、
友から友へ、国から国へと伝えられ、
“時代の熱気”として高まり、
脈打っていった。

そこには若々しい正義感もあった。
“熱病”のような伝染の力もあった。
華々しい活躍を夢みる功名心もあったにちがいない。

こうした時の勢いに乗じて、
走り始めることは、
ある意味でたやすい。

できあがった組織の上に安住しながら、
威勢のよいことを口走っているだけ
の姿といえるかもしれない。

しかし、
 
時代を画する革新の動きには、
必ずや“反動”がある。

これは現在もまた、
すべての戦いのなかに起こる、
いわば“法則”である。

苛烈な迫害と弾圧、中傷と策謀等となって、
激しく、また陰険に襲いかかってくる。

反動こそ、
本物の革命家の証明である。

本物であり、
現実的な力があるからこそ、
大きな迫害となって現れる。

ゆえに、

反動勢力に叩かれている人、
その人にこそ注目し、
信頼を寄せていくのが、
道理を知る者の“眼”である。

そして、
この“反動”があった時こそ、
その信念の深さ、
一個の人間としての真価が問われる時なのである。

~ 神奈川県青年、学生代表者会議 1990.1.15 

 

 

人間に、命を賭けても悔いないものを与えるものが、
真に力ある思想だとするならば、
その思想の高低を問題にしなければならない。

三島由紀夫が自決したように。
ある人間が思想のために死ぬのは自由だ。

けれど、その思想が他人の犠牲の上にしか成り立たないのだとすれば、
その思想は、その人間にとっていかに崇高なものであったとしても、
人類全体にとって、果たして崇高なものといえるのだろうか。

 

 

彼の人は言う。


崇高な目的は、崇高な手段によらなければならない。
目的は手段を決定づける。
~ 「小説 人間革命」池田大作

これに、佐藤優氏はつづける。


手段は事柄の本質に影響を与える。
間違った手段は内面を蝕む。
そして、内面の腐敗は行動に表れる。
~ 「池田大作研究 世界宗教への道を追う」佐藤優

 

 

真の殉教とは、誰一人犠牲にすることなく、
誰も見ていなくとも、たった一人で、
人類の未来のために、
ある意味での犠牲となることでなければならない。

人類の歴史は、そういう偉大な人間たちで彩られている。

彼の人は言う。


他人の不幸の上に、自らの幸福を築き上げてはならない。

 

 

思想は生き続けることを前提にしない限り、
民衆の支持を失い、力を失う。

ならば、生き続けるということと、殉教とは。


1991年5月。
彼の人は言った。


信念の極致は信仰である。
信仰の極致は殉教である。

 

 

信念に殉じることについて、彼の人は語っている。


人間の心はこわいものだ。
生死のきわに直面したとき、富や名声は、いかなる力も発揮しない。
そして人間は、その時、限りなく勇敢にもなれば、
醜悪にも、卑しくもなるものだ。

真実の紳士、真実の男性とは、地位や格好ではない。
いざというときに卑怯にして未練な振る舞いをすることなく、
潔く身を処していけるかどうかにある。

卑怯な人間は、たとえ生があろうとも
“生きながらの死”の惨めさに直面するものである。

極限状況はまさに、
すべてを取り去って残るその人自身の“我”の真実を表出する。
・・・・・
生死観は人間の生き方を決する最も根本的な問題である。
いかに生きるかという問題も、つきつめれば、何のために死ぬか、
という問題につき当たる。

死ぬことによってその名が不朽となると思えば、
そこで戦い死んでいきなさい。
永遠のその名が歴史に残るであろう。

また生きなければ大業を成就できないと自覚したならば、
生きて生きて生き抜け。

~ 「私の人間学」池田大作

 

 

ならば、

死をも怖れぬ信念を貫き、生き残った人間が進む道は、
死ぬよりもっと辛い道とならざるを得ない。

死をも超えてしまった人間の精神の必然だ。

彼の人は語っている。


一時の感情に激することはたやすい。
勇敢に戦い、命を捨てることも、
耐え忍んで生き抜くことからみれば、
まだ容易である。
それは束の間にすぎないからだ。
忍耐の長夜を生きることは、最大の辛労であり、
それに打ち勝てる者こそが初志を貫徹し、
大業を成しうる。

忍耐とは、目的の成就に徹してこそできる人間の所為といえる。
その目的のためには、見栄も、恥も、悔しさも、
悲しさもかなぐり捨てることも辞さないし、
悔いはないという決定(けつじょう)した心こそが、
”忍耐の母”である。
~ 「私の人間学」池田大作

 

 

 

僕が大学生の頃。

僕は学内で、創価学会の組織と、
もう一つ学生生協の組織に属していた。

学生生協の組織は、民青だった。

僕の大学には、民青と対立する民学同があった。
彼らは、当時もヘルメットにゲバ棒を握っていた。

その頃、目にした、僕より一世代前の手記がある。

戦争と革命の時代。

彼らは、
今の日本では想像もつかないような、
究極の思考を迫られていた。

1973年の手記。
 


私が「医者の原点」ということを、
真剣に考えるようになったキッカケは、
やはり大学紛争の闘いのときからでありました。
あのとき提起された問題は、
”大学人はいかにして大衆と連帯でき革命を担えるか”
ということでありました。

大学人、その象徴としての大学。
その大学が大学として存在できえていること自体、
体制容認ではあるまいか。

なぜかならば存在できえているということは、
その底に基盤というものがあるからだ。
その基盤とは何か。
それは体制ではないか。

故に、いかに、
大学人のあり方を革命的に改変したとしても、
それはその基盤の上の改変でしかない。
しかし革命の敵は体制だ。

とすれば、その体制を打破するためには、
まずわれわれは、われわれの基盤そのものを
打ち壊さなければならない。
基盤を打ち壊せばわれわれは存在しなくなる。

しかしその存在の否定なくして
われわれは革命をめざす大衆と
けっして連帯できえないのだ。

このようにして「自己否定」「大学解体」という
スローガンが打ち出されたのでありました。

「自己否定」とは
”加害者たる自己の告発とその否定”
ということとして捉えられておりますが、
それはこのように、自己のあり方、
たとえば、デモに出るとか出ないとか、
ストに参加するとかしないとかという
自己の存在様式の次元ではなくして、
自己存在そのものの次元の問題であったわけです。

この問題は、
私達医学部生においてはより深刻でありました。
というのは、医学部とは、
医者になることを大前提としている学部であります。
社会と直結している、
すなわち体制と直結している学部なのであります。

故に、私達は、
医者になれることを保障されていることは、
体制からの恩恵を受けていることであるからといって、
「医者たることの否定」「医者になることへの否定」
を断固貫くことによって体制と闘うことを決議しました。

その結果が、闘いとしては、授業放棄になり、
バリスト決行になり、卒試ボイコットになったわけであります。

しかし、結局は、クラス自体が、授業再開派すなわち卒業組と、
運動貫徹組とに割れてしまって、後者の敗北という形で、
すなわち全共闘の敗北という形で闘いは終わってしまいました。

さて、この論文で私が問題としたいことは、
何故に自己否定派が敗北をしたかということではありません。
そうではなくて、実は私のクラスの全共闘の人達の中で
医者になることをやめた者が一人もいなかったのですが、
そのこと、つまり全共闘の人の中で医者にならなかった者が
一人もでなかったのはなぜか、
ということを問題にしたかったからです。

なぜかならば、闘争自体が提起した問題は、
体制があるかぎり、われわれのあり様をいかに変えたとしても、
われわれは加害者でしかないということであったわけですから、
勝った闘いならばいざ知らず、負けた時点においては
医者になることを放棄する以外に、体制否定はありえないはずです。

医者になったということは、
故に論理的一貫性を欠いているのです。

であるのに、なぜ彼らは医者になったのだろうかと私は思いました。
「論理的一貫性を貫く」とは常に彼らが闘争の中で
叫んでいたことでありました。

論理的一貫性は、彼らにとって一つの美学ともいうべき
価値ある命題でもあったはずです。

バリストも、機動隊との対決も、
みなその論理的一貫性の実践ではなかったのでしょうか。

であるのに、なぜ、彼らはその論理的一貫性を、
医者になるというその時点で捨ててしまったのでしょうか。
ましてや、「医者にならない」ということは、
「医者になれない」というのではないのですから、
自分ひとりの決断でできえることがらです。

それであるのに、何故誰もそれをしなかったのだろうか。
そこに私は疑問を感じました。

この疑問を解かないかぎり、私はあの自己否定の問題を
私なりに総括したことにはならない。

そう思ったことが、「医者の原点」を考えるキッカケでありました。

もちろん、この私の疑問に対して、
「以後の彼らの姿を見ろ。A君は水俣の公害と取り組み、
B君は医局内で医局解体の闘いを押し進めているではないか」
と抗議する人があるかもしれません。

しかしその抗議はすこしピントがずれていると私は思うのです。

闘っているかぎり医者であってもいいという議論は、
医者を否定しなかったのは何故かという総括の上に
初めて弁解される論議だと私は思うからです。

彼らはいいたいのでしょう。
「この道は行止まりだったから、他の道を行くことにしたのだ」と。

もちろん、行止まりなら、それもけっこうでしょう。
しかし、行止まらせられたとしたら、
その行為はあまりにも甘すぎます。

なぜかならば、
そこにはそれに対する強烈な抗議がないからであります。

抗議こそ、闘いの第一歩ではなかったでしょうか。
強烈な抗議とは、もしかしたら、
そこで歩くことを拒否することかもしれない。
そう私は思ったからであります。

ましてや、今回この道とあの道との間には、
学生と社会人という大いなる階層の違いが横たわっているのです。
であるのに、安易な道の選択は、
異次元のものを同一視する危険性をはらんでいると私は思います。

ここのところを明白にしておかないと、
次の道をいくらいっしょうけんめい歩んだとしても、
それは学生時代の立場の延長でしかなく、
社会的立場を明確に自覚したところの
新たなる闘いにはなりえないのではないかと私には思えたのでした。

そういう問いかけをもって、
私は、医者にならなかったということを、
私なりに解こうとしたのでありました。

さて、このように、医者にならないでおくべきだったのに、
医者になってしまったのは何故だろうかということを考えていくうちに、
私はだんだんと、彼らは医者にならないでいたかったのが、
医者にならざるをえなくなってしまったのではないか、
というふうに考えるようになりました。

医者にならないでおくべきだったのに医者になってしまったととれば、
彼らひとりひとりの闘争に対する取り組み方が甘かったとか、
状況の変化というような問題を個人の力量とか体制の巧妙な対応に
帰着させてしまいましょう。

しかし、医者になりたくはなかったがならざるをえなかったととれば、
そこに「何故に」という問いが生まれてくるはずです。

では、彼らは何故に、医者になりたくなかったのに、
医者になったのでしょうか。

彼らが人間的に弱かったからでしょうか。
そうではないと私は思います。
機動隊とわたり合っても留置所に入れられてもビクともしなかった彼らです。
彼らが弱いはずがありません。
では、誰かに圧力をかけられたからでしょうか。
そんなことは私はないと思います。

では何故でしょうか。

私は、それは人間は死ぬまで生きつづけなければならない存在だからだ。
そして彼らもまた死ぬまで生きつづけなければならない。
そういう存在であるがために、
医者にならざるをえなかったのだと思いました。

そういう存在としてのあり方が、彼らをそのようにさせた、
と私は思ったのであります。

なぜかならば「生きる」ということは、
二十四時間呼吸をしているということです。
「生きつづける」ということは二十四時間の積み重ねの上に、
さらに生・老・病・死という流転の軌跡を歩むことなのであります。

その間には、結婚するかもしれない。子供が生まれるかもしれない。
また両親が死ぬかもしれない。自分が病気になるかもしれない。
それが生きつづけていく諸相なのであります。
その諸相を暮しと呼んでもいい。生活と呼んでもいい。

しかしこの暮していくということにおける、
この流転と凝視する弱さが、彼らの論理的一貫性を不可能にしたのではないか。
私の直感はこのようにだんだんと姿をとり出したのです。

この”暮していく”ことを支えているものはいったい何でしょうか。
私はそれはまず”食べること”だと思います。
生きるためには食べなくてはならない。
あたりまえの原理ですが、生きつづけるという生・老・病・死の流転の中で、
食べていくということは、いったいどのような諸相をとるのでありましょうか。
私はそれは、食べさせてもらう・食べていく・食べさせていく、
という諸相を経過していくのだと思うのです。
子供のときには親から食べさせてもらうことによって生きていく。
青年になり独立をすると、ひとりで食べていかなければならなぬ。
そして結婚し、子供をもつと、今度は彼らに食べさせていかなければならない。

実に、生きつづけていくということは、食べさせてもらう・食べていく・
食べさせていくととと発展するものなのです。
そして学生から社会人への変化は、この暮しの上からみると、
食べさせてもらうことから、食べていく、食べさせていくことへの変化と
なるのであります。
彼らが論理的一貫性を貫けなかったのは、暮しの上の変化を明確に論理的に
捉えられなかったからではなかろうかと、私の思いは深まっていきました。

このように考えを進めていくと、次に出てくる問いは、では、
”食べていくこと”を可能とするものはいったい何かということになります。
その答えは、もちろん「お金」でありましょう。
現代の社会の中にあって、お金がないと私達は食べる物を手にすることが
できないからです。
貨幣社会とは、暮していくためには貨幣のいる社会という意味ですから、
われわれは、生きつづけていくためにどうしてもお金がいるのです。

しかし、お金といっても、天から降ってきたり地から湧いてくるものでは
ありません。この世にあっては、お金を手に入れるには、
働かなければいけないのです。すなわち、仕事をしなくては
お金は手に入らないのです。

仕事とは、そういった意味で食べることを支えるもの、つまり生きつづけて
いくことを支える根源的社会的行為ということになります。
そしてこの仕事をするということが、私達においては、すなわち医者になる
ことであったというわけであります。

では、この世において”仕事をする”ということを可能にするものは
いったい何でしょうか。

私は、それはまず第一に、ひとつの社会的役割をもっているという
ことだと考えます。

もちろん、技術や体力も必要でしょうが、それらはみな、この役割の
上に展開されるものだからです。

社会的役割を職業というのでしょうが、この職業が明確でないと、
私達はお金をえることができないのです。
乞食ですら、乞食という職業、すなわち社会的役割をもっているからこそ、
お金をかせげるのです。

さて、この役割について考えを進めていくうちに、私は、暮しのレベルでの
役割と呼べるものがあることに気づきました。
すなわち、お父さん・お母さん・夫・妻・子供・息子・長男・甥、
これらはみな暮しのレベルでの役割と呼べるものではないでしょうか。

しかし、この暮しのレベルでの役割と、社会的レベルでの役割との間に、
ひとつの重大な違いがあります。
すなわち、暮しのレベルでの役割とは、生・老・病・死という人間の
生きていく過程の中から、人間がいやおうなしに引き受けなければ
ならないものであり、かつ、その役割自体、可変なものであるのに対して、
社会的役割とは、人間が選択できうる、そして、選択した以上はもう
変わりはしない不変なるものであるという違いであります。

この可変と不変、人間が引き受けるものと選択できうるもの、この違い。
ここをまた、全共闘は見のがしていたのではないか。
私はこのように思いました。

社会的役割の面からいえば、学生=医者のたまご=医者という捉え方は
なんらまちがってはおりません。

故に自己否定が必然的に医者になることへの否定へとつながっていった
はずです。しかし、暮しのレベルからみると、学生は卒業と同時にまた
役割を変えてしまうものでもあったのです。

全共闘の人たちが論理的一貫性を貫けなかったのは、
実は、この可変なる部分が、
不変なる部分に報復したからではないでしょうか。
学生の不変なるもののみに対応して論理を打ち立てたそのことが、
可変なるものからシッペ返しを受けたのではないでしょうか。

可変なる部分とは、生・老・病・死という生きつづけていく上でも
流転の諸相であると私は前に申しました。
可変とは、人間が生きつづけていくこと、
それが無常であることを意味しているのです。
全共闘は、不変の中に可変を見定めた発想をすべきだったのです。
その一点を欠いていたことが、卒業と同時に、医者となるということと、
また、夫・妻・父・戸主となることに分かれていく人間の生き方を
包括しえなかったのだろうと私は思います。

医者であるということは、社会的役割であります。
しかしその役割の底には、暮し、暮しの底には、生きつづけていくという
人間の生の存在が息づいているのです。

すなわち、生きるというそういう生の存在の見えない力が、
人間についに仕事という不変なる役割を担わせているのです。
故に、真に存在するものはそういう
生の存在そのものでしかないのではないか。
そこに注目しなければ、可変なるものから不変なるものは報復を受け、
可変なるものはまた可変なるものから否定されていくのではないか。
それが私の論理的終点でありました。


不変なるもの、選択できるものは、また否定できうるものでもあります。
しかし可変なるもの、すなわち生きるということは、
生きつづけていくかぎり否定できえないものなのです。

思想とは、否定できえない存在からしか
出発してはいけないのではないでしょうか。
そして否定できえないものからしか出発してはいけないが故に、
われわれは否定できえないそのものをどう肯定するか、
そこにしかすべての問題の根本はないのだと思います。

~ <手記> 「生き続ける」という原点  -  全共闘運動の見落としたもの
    高山直子 (精神科医)

 

 

理想と現実を結びつける力について、
彼の人は語っている。

 

 

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時折、戸田は、世界情勢の分析が話題に上ると、独り言のように、

つぶやいたりしていた。

「理想は理想、現実は現実などといって、その場その場を、

ごまかしているのが現代ではないだろうか。
この二つを、まるで別物のように扱って、あきらめているのは、

現代の精神の薄弱さを意味している。
理想を現実化する力、その力がなんであるかを、人びとは深く、

強く探究もせず、求めもしない。
人間の精神が、これほど衰弱した時代もないだろう。
そして、衰弱した精神が、偉そうに利口げなことを言っている。

愚かな話じゃないか」

戸田は、誰に言うとなく、孤独にして強靭な心を、

静かに弟子たちにもらすのであった。
その表情は、遠く思いを馳せるように、半ば目を閉じていた。

「現代は、何か重大なものが欠けている。

誰も、それがなんであるか気づいていない。
いや、気づいているようなことを論じてはいるが、あまりにも皮相的な論議だけだ。
それを知っているのは、どうやら、われわれだけのようだ。
理想を現実化し、現実を理想に近づけていく力、

この力こそ日蓮大聖人の大生命哲学です。
それを、ただ、人は既成の宗教観で見て、批判しているにすぎない。

とんでもないことです。
もし、仮にマルクスほどの達人であったら、

この大聖人の生命哲学を知ったとすると、
必ず、ひざまずいて教えを請うにちがいない。

まったく、利口ぶった人間には、いやになるよ」

幹部たちは、耳を澄ましてはいる。
しかし、戸田が何を言おうとしているのか、さっぱり理解できなかった。
彼らが、戸田の思想を、いくらかでも現実のものとして理解するにいたるまでには、
なお多くの年月をかけた成熟が必要だったのである。

小説「人間革命」池田大作
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生き抜くことと、殉教とを繋ぐものはあるか。
凡夫とは何か。菩薩と何か。仏とは何か。

彼の人は語っている。


仏法の究極も「偉大なる凡夫」として生ききることにある。
自分の命を与えきって死んでいく。
法のため、人のため、社会のために、
尽くして尽くし抜いて、ボロボロになって死んでいく。
それが菩薩であり、仏である。

「殉教」です。

何ものも恐れず、正義を叫びきることです。
人を救うために、命を使いきることです。
この心なくして、「仏法」はない。