父親は戦争に行った。母親は沖縄生まれだ。
二人とももういない。

僕は戦争を知らない。
 

戦争がリアルタイムで放送されたのは、
1990年夏、イラクのクウェート侵攻、その後の湾岸戦争からだろうか。

僕が精神闘争ゆえに奈落の底にいたから、
今でもはっきりと覚えている。

現実に起きている戦争がそのままテレビで生中継される衝撃。

破壊と殺戮。

直接影響を受けない第三者からすれば、
異様な興奮を刺激するエンターテインメント映像にもなる。

 

 

 

アフガニスタン、ミャンマー、、、
ウクライナとロシア、パレスチナとイスラエル。

安全保障理事会のパーマネント5が躊躇なく戦争を仕掛ける時代。
現実の戦争ががリアルタイムに世界に放映される時代。
世界は新しい戦争の時代に入ったのかもしれない。

空爆、戦車が走る、誘導ミサイルが着弾する、
人々が普通に暮らしている住居が、病院が、インフラが容赦なく破壊され、
人間が跡形もなくバラバラになって飛び散って消えていく、
首を切断し、拷問し、強姦し、人間を盾にし、、、、
 

 

戦争が日常化し、世界中にその映像が拡散されていくとき、
人間にどんな影響が出るのだろうか。
 

 

殺戮と破壊に走らなければならないのには理由がある。
攻撃され黙って死を待つ者はいない。

こうなってしまえば、
国連も、国際社会もどうすることも出来ない。

武力でねじ伏せようとする者がいるなら、
武力で応じなければ、死を待つしかない。


メディアが、戦争当事者の2極をそれぞれの側から報道するのは仕方ない。
事実をありのままに報道するのが一つの使命だから。

けれど、戦争当事者には、本当にその2極しかないのだろうか。

 

イスラエルには、「ハマスを殲滅する、根絶やしにする」と言う
ネタニヤフの追従者しかいないのだろうか。

日本政府はハマスを繰り返しテロリストと呼んでいるが、
ハマスは本当にテロリストなのだろうか。

テロリストとは何だ?

世界は、民主主義対専制主義、正義対テロリスト、権力対反権力、
そんな単細胞な2極で出来ているわけではない。

その歴史を知り、彼らのバックボーンを知るなら、
ガンジーもマンデラもテロリストだ。
 

日本政府のプロパガンダに騙されてはいけない。
真実を冷静に見なければ、
ロシア国民や中国人民のように、権力の奴隷になるだけだ。
 

民主主義とは、その本義は、
人間が非暴力の力によって、権力を倒す力を持つということなのだ。

それを可能にするには、人間が目覚めることがどうしても必要なのだ。
そうでなければ、トランプの扇動に熱狂するアメリカのように、
衆愚国家に堕ちるしかない。

 

 

メディアはある意味で戦争を増幅・増大させるブースターだ。

紛争当事者間の表層に現れる突出した、
ある意味でキャッチ―な現象ばかりを追っている。

政治でも経済でも軍事でもどうにもならないものを、
もしどうにかできるかもしれないものがあるとするならば、

紛争当事者それぞれの内部にある、
まったく別の力、思想に光を当てることができるのがメディアなのではないか。

それぞれの権力内部では圧殺されてしまうもののなかに、
紛争そのものの拠って立つ基盤を、
根底からひっくり返してしまうほどの大きな力があるかも知れないのだ。
 

 

戦闘に向かう者は、死を怖れない思想を求める。
それを怖れない言葉、それを怖れない声を人は求める。

ジハード、革命。

解放戦争に向かう人間はいのちを賭けている。
いのちを賭けるに足る思想を抱いている。

一度、その境地にまで達してしまった人間には妥協などあり得ない。
 

 

彼らが抱くムハンマド、マルクスという、
何ものかへの憎悪から生まれた思想を乗り越えるためには、
彼らが、そして人類が本当に必要としているものは、

吊るしたムハンマドの首を一撃でへし折り、
マルクスの頭を一撃でかち割る、
いのちを賭けるに足る、鋭利な思想の力なのだ。
 

 

『国は法に依って昌え、法は人に因って貴し』

思想を自らの闘争によって体現する人間が出現しなければならない。
 

 

戦争を伝えるメディアが、
もし本当に戦争をなくしたいと思うなら、
彼らと同じように、彼ら以上にいのちを賭けなければならない。

権力に圧殺されようとする思想を抱く者がいるならば、
彼らをいのちを賭けて世界に伝えなければならない。
なぜなら、彼らは権力によって殺されていくからだ。

それが出来ないのならば、メディアであることはやめなければならない。
紛争・戦争のブースターになるだけだ。

 

 

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パレスチナ自治政府は、
ヨルダン川西岸地区の一部を統治するパレスチナ人による政府である。

1994年にオスロ合意の結果として設立された。

当初は独立したパレスチナ人の国家となるべく設立されたものの、
現在はイスラエル軍の支配を強く受けており、
実質的な権力をほとんど持っていないと考えられている。
パレスチナ人民からはイスラエルと結託した腐敗組織とみなされており、
支持されていない。
2023年3月の調査によれば、パレスチナ人の63%は
パレスチナ自治政府は「パレスチナ人にとって障害である」と考えている。

<歴史>

パレスチナ自治政府はパレスチナ解放機構とイスラエルによるオスロ合意により、
1994年に設立された。
自治政府が安全保障と文民統制を管轄する都市区域(エリアA)、
文民統制のみおこなう辺境区域(エリアB)がある。
残りの地域のイスラエル人入植地、ヨルダン谷、
及びパレスチナ地区を結ぶバイパス道路はイスラエル管轄区域(エリアC)である。

 

発足当初の1996年の第1回総選挙では
ヤーセル・アラファートが88.2%の得票率で初代大統領に選出され、
アラファート率いる対イスラエル穏健派ファタハが
立法評議会選挙で定数88議席のうち
55議席という圧倒的多数の議席を確保して政権を運営していたが、
縁故採用や汚職が相次いだことで徐々に支持を失い、
特にアラファート死後の2006年に実施した2回目の総選挙では
強硬派のハマースが第1党となった。
アラファートの後継者として大統領に就任した
ファタハ議長のマフムード・アッバースとハマースの内閣はたびたび対立し、
2006年にガザ地区でファタハとハマースの武装組織が衝突し、
ハマースはガザ地区を武力制圧した。
アッバースはハマースのイスマーイール・ハニーヤを首相職から解任したが、
ハニーヤは拒否し、ハマース率いるガザ地区とファタハ率いるヨルダン川西岸地区は
2007年以降分裂状態となっていた。
 

2014年に分裂状態が解消され同年6月2日暫定統一政府が発足した。
(首相は西岸側のラーミー・ハムダッラーが続投)
イスラエルを含む多くの国家が西岸地区の自治政府を承認した一方、
イランやシリア、スーダンはガザ地区の自治政府を承認した。

2012年11月29日には国連総会においてパレスチナ解放機構を
「オブザーバー組織」から「オブザーバー国家」に格上げする
決議案が賛成多数で承認され、
国連では「国家」の扱いを受けることとなった。

それを契機とし、2013年1月3日、マフムード・アッバース大統領は
パレスチナ自治政府の公式文書において
パレスチナ国という名称を用いるよう命令した。
 

<政治>

元首は大統領で任期4年、パレスチナ人による直接選挙で選出される。
立法機関はパレスチナ立法評議会である。
定数132名で任期は4年、大選挙区制を採用している。

行政機関は、首相率いる内閣が組織する。任免権は大統領にある。

2014年6月2日、ラミ・ハムダラを首相とする暫定統一内閣が発足 。
ファタハ、ハマース双方が認める内閣が成立したのは、
ハマースがガザ地区を制圧した2007年以来となる。
 

<主な政党>

・ファタハ - 中道左派、対イスラエル穏健派
・ハマース - イスラーム主義、対イスラエル強硬派
(現在は1967年の停戦決議⦅安保理決議242⦆に基づく国境線を容認する

姿勢を見せている。 イスラエル承認は拒否の構え)
・パレスチナ解放人民戦線(PFLP) - 極左、共産主義、対イスラエル強硬派

(PLO内反主流派最大勢力)
・パレスチナ解放民主戦線(DFLP) - 左派、共産主義
・パレスチナ人民党 - 共産主義、対イスラエル穏健派
など

 

<経済>

2010年8月31日、国際連合貿易開発会議 (UNCTAD) は、
パレスチナ支援に関する年次報告書を公表した。
同報告書によると、パレスチナ占領地のGDP は2009年に6.8%成長した。
しかし、一人当たりのGDPは2000年に比べ30%低下している。
また、失業率は前年比1.6ポイント減少しているものの依然30.1%の高水準である。
食料安全保障の問題について同報告書は、パレスチナ経済にとって、
イスラエルのガザ地区への軍事攻撃(2008年末から2009年初めにかけて)
と西岸地区への経済封鎖が大きな足かせとなって、
大きな影響を与えていると指摘している。
また、民間部門の回復が特に遅れていることも指摘している。
その原因がイスラエルの占領地内での移動や越境規制にあることも強調している。

 

パレスチナの貿易赤字は2008年のGDP比57%から2009年には59%に増加している。
この中で対イスラエル貿易赤字が全体の貿易赤字の65%で、比率が大変大きい。

中央銀行の代わりとしてパレスチナ通貨局が置かれている。
権能が非常に制限されており、最後の貸し手となれず、
公定歩合の自主権がなく、また為替相場に介入できない。
パレスチナの銀行はイスラエルの手形交換所に直接アクセスできず、
イスラエルの銀行が代行している。
パレスチナの銀行は、代行してもらうために巨額をイスラエルの銀行へ

預金している。

<住民>

民族はアラブ人(パレスチナ人)。
宗教はイスラム教が多いが、東方正教会も有力なマイノリティとして存在する。
西岸地区に約280万人、ガザ地区に約170万人、
イスラエルのパレスチナ人口が約150万人、他の地域に約513万人。
またパレスチナ難民がUNRWAの資料(2012年)で520万人いるとされている。

ウィキペディア ~ パレスチナ自治政府
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【最新パレスチナ情勢 なぜイスラエルと衝突?ハマスって?解説】

イスラエル軍はいつ地上侵攻に踏み切るのか。懸念が高まるパレスチナ情勢。

そもそも、イスラム組織「ハマス」ってどんな組織? 狙いは何?
今回の攻撃をパレスチナの人たちは支持しているの?

そんな「そもそも」を、
パレスチナ情勢に詳しい東京大学の鈴木啓之 特任准教授に解説してもらいました。
(国際部記者 松本弦)
 

話を聞いたのは東京大学の鈴木啓之 特任准教授
鈴木氏は、東京大学中東地域研究センターの特任准教授です。

専門は中東の近現代史、特にパレスチナ問題です。
自身も2018年から2019年までエルサレムに留学経験があり、
多くのパレスチナ問題に関する論文のほか、著書を発表しています。
 

<ハマスとは? どう生まれた?>

ハマスが設立されたのは1987年12月です。
それまでガザ地区を中心として、社会福祉活動を行っていた団体が、
第1次インティファーダ(イスラエルに対するパレスチナ住民の大規模な蜂起)
の発生を受けて、実力行使部隊を伴って形成されました。これがハマスです。
つまり、政治運動としての姿を現したのが1987年12月というわけです。

その後、ハマスは1990年代半ばから2000年代初め頃にかけて、
パレスチナ政治の中で、PLO=パレスチナ解放機構が主導する政治方針、
それはイスラエルとの和解であるとか
イスラエルと共存した形でのパレスチナ国家の樹立といったことに、
批判を向けまして、そして、自らの直接行動ということに乗り出していきます。

その中で編み出されていくのが「自爆攻撃」です。
1990年代に最初に行われ、その後、2000年代、
第2次インティファーダまたはアルアクサインティファーダと呼ばれる時期に、
ハマスは多くの自爆攻撃を実行しました。
これによって、ハマスはテロ集団、
テロ組織であるということでイスラエルによって強く非難をされていたわけです。

一方で、2000年代の中頃から、ハマスの中で、
政治部門の主導が強くなり、選挙に参加をする、
選挙を通して自分たちの支持を獲得するという動きを見せていきました。
2006年1月、パレスチナの自治政府で2回目の選挙が行われます。
この選挙にハマスは参加を表明し、ハマスの政党が過半数の議席を取りました。

この段階で、ハマスには「3つの顔」ができたと言っていいと思います。
①政党としての姿
②福祉団体としての元々の姿
③実力行使部隊としての軍事部門、軍事組織としての姿です。

全ての面がハマスを構成しているわけですけれども、

この3つのどの面が出てくるのか、
どの面から見るかによって、ハマスのイメージというのは大きく変わってきます。

 

<なぜハマスがガザ地区を実効支配?>

ハマスは2006年の選挙で勝利しましたが、
このあとイスラエルだけではなく国際社会から
「ハマスが参加するパレスチナ自治政府に対しては支援を与えることができない、
承認することができない」という声が上がりました。
これは、アメリカ、EU、国連、ロシアが形成する
中東和平カルテットと呼ばれたグループからも発せられました。

これに乗じる形で、選挙でハマスに負けた「ファタハ」というPLOの主力勢力が、
ハマスの追い出し、追い落としを図ります。
この結果、パレスチナのヨルダン川西岸地区ではハマスが追い出されるわけ

ですけれども、一方で、ガザ地区では逆にハマスが「ファタハ」の勢力を

追い出す形で実効支配を始めました。
これが2007年6月のことです。

 

これ以降、イスラエルは、
ガザ地区はハマスが管理、実効支配をしている地域であるということで、
ガザ地区全体を封鎖下に置く、封じ込めるという政策を取ってきました。
この封鎖が15年間続いていて、いまのガザ地区の環境につながっています。
 

<2006年のハマス選挙戦勝利の経緯は?>

ハマスの選挙戦略が優れていたということに尽きると思います。
ハマスもファタハも同じぐらい住民からの支持を得ているということです。
2006年のパレスチナの選挙では当時、132議席のうち半分を比例選挙、

比例区で争い、もう半分は大選挙区で争いました。
比例区ではハマスとファタハの獲得議席はほぼ拮抗しました。
ということは、この2つに対して人々が向ける支持というのは、
そこまで大差が開いているものではありませんでした。

一方で、議席の獲得で大差が開いてしまったのは、大選挙区のほうでした。
この時、ハマスは候補者を絞って、戦略的に候補者を立て、
組織としてよく調整して選挙に臨んだといっていいと思います。
一方でファタハは、ベテラン指導部と若手のメンバーたちの間で、
意思統一が十分になされないままに選挙戦に突入しました。
それぞれが候補者を立ててしまい、候補者の乱立という事態を招き、
結果としてファタハに対する支持票が割れ、ハマスが大選挙区で圧勝したのです。
それが、選挙全体でのハマスの勝利ということにつながりました。
 

<ハマスの構成員の規模は?キーマンは?>

ハマスの構成人員の数については諸説あるところではあります。
ただ、ハマスの軍事部門に関していえば、
1万5000人から2万人ほどがいるのではないかということが言われています。
基本的には全員パレスチナ人と考えていいと思います。
組織としては「シューラー会議」という議会のような、
寄り合いのような諮問の場があります。
そこで政治局のメンバーが選出され、
組織としての意思決定をしていくということです。

何かこう、最高指導者のような、絶対的な指導者がいる、
そういうタイプの組織ではありません。
そのなかでも政治局局長のイスマイル・ハニーヤ氏が
国際的には特に有名だと思います。

またハニーヤ氏の前にやはり政治局の局長を務めていた
マシャル氏などもよく知られたハマスの幹部といえます。

 

<今回の攻撃の意思決定は?>

ハマスの中でどれほど集団的に意思決定がなされていたのかについて、
慎重に判断をすべきではないかと思います。
武装部門、カッサム旅団による非常に戦闘的なメッセージと、
政治部局が出すガザへの人道的介入を求めるといったようなメッセージの間には
明らかに温度差があると私自身は読み取っています。

この温度差は、国際社会に対して弁明をしなければならない政治指導部と、
実際に戦闘に参加している軍事部門というだけのものなのか、
それとも、少なくとも2つのハマスの部局の中で、調整が難しくなっている、
または調整が取れていないような事態に陥っているのか。
今後、出てくる情報を注意して見ていきたいと考えています。

当然、ハマスの幹部の中で、対イスラエルとの関係、
また対ファタハとの関係において、
政策の思考にグラデーションがあると考えていいと思います。
だからこそ、集団合議によって組織としての意思決定を行う

ということをしていますし、
1人の指導者が全ての意思決定を行わないという形にしてきたわけです。

ある意味で、この集団合意による意思決定というのは、
ハマスがたどってきた組織的な歴史を反映しています。
ハマスは設立後、幹部を大量摘発されたり、2000年代に入ると、
「標的暗殺」というイスラエル軍による
特殊作戦によって暗殺を受けたりすることもありました。

 

1人の幹部、または1人の指導者のもとに権力を集中させない、
たとえメンバーが欠けたとしても、
組織としての運営をなしていく。
そのためにこの集団合議制が編み出されたということです。

 

<ガザ地区をどう支配?>

2007年6月、
ハマスがガザ地区をファタハから奪取して掌握するということが起きて以降、
ハマスはガザ地区内部で政府として振る舞うということをしています。
それは、国際的またはイスラエルなどが認めない動きではあったわけですけれども、
実際に市民サービスなども含めて、
ハマスが運営する政府が担っているという状態になっています。

具体的には市役所での窓口業務など、私たちが想像するような業務ですね。
例えば市役所に相談に行くであるとか、
保健施設に健康上の話で相談に行くというときに、
ハマスの公務員、またはハマスのメンバーがいて、日常的に目にするわけです。
場合によっては、そうした人が窓口を担当してるということも当然あります。
ハマスといっても、日常生活の中でその姿を目にする存在です。

ハマスの元になった団体というのはガザ地区の「シャーティ難民キャンプ」
というビーチに面した難民キャンプのモスクで活動を開始した福祉団体だと

言われています。
当初行っていた活動は、若者に対するスポーツ教育のような場を提供すること、
そして幼稚園の運営です。これは一般的な市民団体、
または社会福祉団体が行っている活動に類するものであるといえます。
 

当時、ガザ地区はまだイスラエルの完全占領下にありました。
1967年の第3次中東戦争からガザ地区はイスラエルの占領を受けていた

わけですけれども、こうした占領地において、

イスラエルは市民サービスというものを提供していませんでした。
このため、基本的なサービス、教育なども含め、
いわゆる託児所のようなタイプのものであるとか、

相談所といったようなタイプのサービスというのを、
パレスチナ社会は自分たちで作り出していかなければなりませんでした。

そうした活動の中で、
日本でいうとNGOやNPOと呼ばれるようなタイプの団体がいくつも活動しています。
その中の1つがハマスに発展していく団体だったということです。
 

<ガザ地区の状況は?>

ガザ地区は世界的にも有数の貧困地帯です。
地域が単に貧しいというだけではなくて、15年近くにわたって続いてきた
イスラエルによる経済封鎖の影響ということを指摘せざるをえません。

国連が2012年にガザ地区に関するレポートを発表しています。
このレポートのタイトルは「ガザは2020年に人は住めるんだろうか」。
結論としては、人が住むにはふさわしくない土地になるだろうというものでした。
 

ガザ地区の大きな問題は飲料水の確保と食料の安全です。
ガザ地区に対して提供される電力はガザ全体の電力を賄うほどの量には

なっていません。
その中で、汚水を処理するための浄化槽に回っていないということが、

たびたび指摘されています。

そうなると、生活用水はどこに行くのかということなんですけれども、
住宅地の少し離れた場所に大きなため池を作って汚水をためる、
または海に直接流すということが行われてきました。
しかし、これによって水源の汚染が起きてしまったと言われています。

このためガザ地区には安全に飲むことができる井戸水がほとんどないとされていて、
ガザは人が住めなくなる土地になってしまうということを言っていたわけです。

また、ガザ地区における貧困状態、または失業状態というのは非常に深刻です。
去年(2022年)の段階ですが、ガザ地区の失業率は47パーセントに達しています。
若者だけに限れば、失業率は64パーセントとも言われているわけです。

また、貧困ライン以下で生活をする人口は
ガザ地区住民の65パーセントであると言われていまして、
ガザの住民には、かなりの多くのパレスチナ難民、難民家庭が含まれるんですが、
この難民家庭に絞って言えば、ガザでの貧困率は80パーセントを超えています。

非常に貧しい、生活が苦しい地区を反映するもう一つのデータが、
ガザ地区の住民のうち人道支援に頼っている人の割合です。
住民の80パーセントが何らかの人道的支援に頼って生活をしています。
食料支援かもしれないし、医療的な支援かもしれません。
支援がなければ生活が成り立たない人たちが80パーセントいる、
これがガザ地区の現実です。

限界はもうすでに数年前から超えているというふうに言えると思います。
だからこそ、今回、
ハマスやイスラム聖戦など武装勢力によって壁が打ち破られた時に示された

強烈な怒り、憎しみといった感情が生まれてくる背景というところに

もつながってくると私は思います。

 

<ガザ地区の住民は今回のハマスの攻撃を支持?>

現在のガザの住民にとってですが、
ハマスによる行為を評価するという余裕があるのかというのは疑問です。
現在、大規模な軍事作戦がとられるのではないかと、命の危険に思いをはせている、
それで精一杯だというふうに言っていいのだろうと思います。

ガザ住民というのは全員がハマス支持者ではないし、
ハマスはガザの人々全員ではないということは、常に言われていることです。
ガザの人々の中にもハマスの構成員もいるけれども、
ハマスに対して非常に批判的な人物もいますし、
場合によってはハマスによって拘束をされる、
捕らえられるという経験をした方もいます。

ガザ地区には多くの民間人、住民が暮らしていて、

その数は200万人を超えています。
そうした人々の命がいま危機にさらされていることに私たちは思いをはせる、
理解をしていく必要があります。

これは決してガザだけに当てはめられることではないです。
イスラエル領内で犠牲になった人は1200人または1300人とも言われています。
前代未聞の人命が奪われたわけですが、

これもやはり許し難い行為であるということです。

国際社会の1つの声として、日本からも、私たちは特に民間人の命、
生活が脅かされる事態を認められないという姿勢は
示しておく必要があるのではないでしょうか。

 

<そもそもパレスチナ問題はなぜ起きた?>

パレスチナという土地はもともとオスマン帝国領の一部でした。
しかし、第1次世界大戦後にイギリスとフランスによって委任統治領に

切り分けられました。
いわゆる植民地という位置づけになりました。
こうした植民地は当時、パレスチナだけに限らず世界各地にあったわけです。

特にアフリカ、アジア、中東といった場所に多かったわけですが、
これらの国は第2次世界大戦後に植民地支配を脱して独立をしていきます。
その際には、その現地の人々を主体とした国家が誕生するというのが

基本的な流れでした。

ところが、パレスチナで起きたのは、その直前まで、
約半世紀から30年ほどの間に大量に流入していた
ユダヤ人による国家が建設をされるということが国連の決議によって

採択をされました。
パレスチナ全土ではなくて、パレスチナという土地を割って、
分割をしてユダヤ人の国を作るということはもちろん決められたわけですけれども、
現地に、長らく暮らしてきたアラブ人にとってみれば、
自分たちが植民地支配から脱したにもかかわらず、
または脱する機会であったにもかかわらず、別の国家主体、

自分たちの民族ではない国家主体が地域に誕生してしまうことでした。

 

これは認められないということで、
ユダヤ人とアラブ人の間での民族的な対立というものがパレスチナの地で

深まっていきます。

これに周辺のアラブ人を主体とするアラブ諸国が加勢する形で始まっていくのが、
1948年の「第1次中東戦争」です。
第1次中東戦争の結果、新たにできたユダヤ人国家、イスラエルは領土を確定させ、
その領土の中にかつて住んでいたアラブ人たちが難民になるということで、
戦争の結末を迎えたわけです。

この難民たちはパレスチナ出身のアラブ人でしたが、だんだん呼び方が

変わっていって、
パレスチナ人と自称するようになっていきました。
当初はこのイスラエルの建国に対して、周辺のアラブ諸国が何度か争いを仕掛ける、
挑みかかっていくということになりました。

1956年の「第2次中東戦争」、1967年の「第3次中東戦争」、
そして1973年の「第4次中東戦争」と、国家同士の争いが続いていきます。
しかし徐々に周辺のアラブ諸国というのは、
イスラエルとの敵対関係というものを実動レベル、
行動レベルでは示さなくなっていきます。
 

それは、イスラエルという国家が軍事的に非常に強固であること、
また1979年にはエジプトがアメリカの強い仲介姿勢によって

イスラエルと単独和平を結び、
アラブ諸国の中での足並みが乱れてしまったという事情がありました。

この頃から、
パレスチナ人が自ら政治組織を率いてイスラエルに対して闘争を挑む

という時代が訪れます。
その時に中心になったのは、パレスチナ人の代表組織PLOです。
当初はヨルダンを拠点にしていましたが、
1970年、ヨルダン政府がこのパレスチナ人の勢力が国内で活動することによって、
国内情勢が悪化するということを理由に国外に追い出すということがありました。
これは「ヨルダン内戦」と言われています。

それから1982年までの間、PLOはイスラエルの北にあるレバノンを拠点にしながら、
イスラエルに対してゲリラ兵士の潜入であるとか、越境攻撃などを

行っていたわけです。
そして1982年、イスラエルはレバノンに部隊を派遣し、
「レバノン戦争」と呼ばれるものが起きます。

この時にイスラエル軍は、首都ベイルートを包囲し、
PLO部隊に対して同国からの退去を要求しました。
このあとPLOの部隊は、イエメンやチュニジアなど、

中東各地に散らばっていくことになります。
結果として、パレスチナ人が続けてきた対イスラエル闘争というのは、
大きな打撃をここで受けることになったわけです。
 

ところが当初想定していなかったことが起きます。
イスラエルが第3次中東戦争で占領した地域である
「ガザ地区」と「ヨルダン川西岸地区」に住んでいたパレスチナ人の市民たち

による大規模な大衆蜂起=インティファーダというものが 

イスラエルに対して起こされたのです。
ハマスが設立を宣言するのもこのタイミングです。

人々が武器ではなくて、石などで、イスラエルの重火器を持った兵士に対して、
戦いを挑んでいく事態にイスラエルは直面をしていきます。

これを解決する方法として編み出されていくのが、

パレスチナ人に対して自治を認め、
そこにある自治区と、自治区が将来的にパレスチナ国家になっていったとして、
イスラエルと共存する政治体というものを近くに作るというものでした。
これが公の形で宣言をされたのが1993年の「オスロ合意」でした。

この「オスロ合意」によって、PLOは、

パレスチナ人の代表としてイスラエルを承認し、
イスラエルもそれまでテロリスト集団であると言っていたPLOを

政治的なパートナーとして承認し、今後は武力ではなくて、

話し合いによって問題を解決していこうということが決定づけられました。

話し合いの期間は5年間と決められ、

パレスチナ暫定自治がここから始まっていきます。
ところが、この暫定自治を脱することができないまま、
現在を迎えているというのが実際のところです。

将来的にパレスチナという国家ができるということを期待した人も多くいました。
ところが、

ヨルダン川西岸地区の中にはイスラエルの入植地が残ったままになります。

つまり、領土的な統一感というものが得られないまま現在まで来ているのです。
オスロ合意が結ばれた段階で、東エルサレムを除くヨルダン川西岸地区には
イスラエル人の入植者がおよそ11万人いたと言われています。
その人数は現在は50万人を超えたと言われています。

 

パレスチナの自治というものが行われている間も、
イスラエル人の入植者は増え続け、入植地の建設が続けられていたわけです。
これは逆にいえば、パレスチナ人にとっては明らかに土地を奪われていく、
そうした30年間だったわけです。

 

<ハマスとイランの関係は?>

ハマスにとっての外交的な展開というのは、
諸外国を拠点としながらハマスの正当性というのを国際的に高めようとする

活動になると思います。
イランとの関係に関していえば、イスラエルとハマス、
イスラエルとイランの関係を抜きにしては考えられない、

考えてはならないものだと思います。

イランとイスラエルは敵対関係です。
そして、ハマスとイスラエルも敵対関係ということになります。
ある意味で『同じ敵』を持っている、共通の敵を抱いている

この2つの主体というのは、
同じ陣営に属しているという認識になります。
だからこそ、イランとしてはハマスの行動に対して支援する、
支持するというふうな言い方になりますし、
ハマスとしてもイランの政府関係者と面会をすることができる。
つまり対イスラエル関係でどういった協力があり得るのかといった点などについて、
イラン政府の高官と、ハマスの幹部が会談を持つことができる、

そうした関係にあります。

ただ、これはあくまでイスラエルとの対抗という点での関係性です。
イランがハマスを使ってイスラエルを攻撃するとか、
イランが自らの駒としてハマスの行動を指示するといったような

関係性ではありません。
あくまでハマスはイスラエル・パレスチナの文脈の中で行動していますし、
イランもハマスという組織が自分たちの陣営の側にいるとは意識しつつも、
やはりイスラエルとの関係では国家同士の関係のところに注力をせざるをえません。
 

その時にはアメリカという要素が関わってくるので、
政治的にレベルを上げた政策が取られてくるということになります。
この点は、意識しておくべきだと思います。

<北から攻撃するレバノンのシーア派組織「ヒズボラ」との関係は>

これもイランとの関係と類似して考えた方がいいと思います。
ヒズボラはイスラエルがレバノンに対して侵攻してきた時代に誕生した組織です。
つまりレバノンにやってくる、
イスラエルにやはり抵抗する組織であるということになります。
抵抗という面でイスラエルは共通の敵で、両派の間での共通性を生んでいるんです。

ただ、ヒズボラとしては、
イスラエル軍がレバノンの領内に入ってくるような行動がない限り、
大きな形での軍事行動ということは基本的には取らないところです。
このため、この2つの組織が同じ指示系統の中にあるのかというと別です。

ヒズボラはレバノンの抵抗運動組織として、
ハマスはパレスチナの政治組織として、それぞれ行動しています。
だからこそ、今回のガザ地区に対しての
これからイスラエルによる軍事侵攻が起きるかもしれないという段階でも、
ヒズボラとしては、若干関わろうとする姿勢は示すわけですけれども、
自分たちの組織の命運をかけてでもイスラエルに挑もう
といった動きは今のところ見せていないのです。

 

<今後の展開は? 今、伝えたいことは?>

今後の予測は難しいところではありますけれども、
過去の事例を見る限り1~2か月ほどでイスラエル側の軍事作戦は完了する

可能性が高いです。
その後、散発的な戦闘が続き、停戦に至るという形が考えられます。

ただ、イスラエルとパレスチナの衝突のなかで、
命の危険・尊厳に対する脅威を抱えているのはそこに住んでいる人々です。
それはイスラエル人かパレスチナ人かということにかかわらず、
そこに暮らしている人達の命が、そして生活が脅かされています。

このことをやはり私たちは真剣に考えなければならないと思います。
それに対して、日本社会、国際社会としてどういった対応をするべきなのか。
どういったアプローチができるのか。
これを模索する努力を忘れてはならないと思います。

NHK国際ニュースナビ 2023/10/16
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