「はじめに祈りがあって宗教が生まれた」
という。
「はじめに言葉ありき」
「はじめにこころありき」
「はじめに力ありき」
と煩悶の末
「はじめに行いありき」
とゲーテは結論。
けれど、今、この地球上では
「はじめに宗教があって祈りを生んでいる」
そして、その結果
「はじめに結論ありき」
の閉塞的な精神世界がこの地球上を覆ってしまっている。
たかが、21世紀しか歴史を持たない
人類という魑魅魍魎は
なにをそんなに急いでいるのだろう。
「鈍重な習慣が、卑小なものと低劣なものが
世界の隅々を満たし、重苦しい地上の空気として
すべての偉大なものを取り巻いてたちこめ、
偉大なものが不死に向かって行くべき道の行くてに
立ちふさがって、妨害し、たぶらかし、息をつまらせ、
むせかえらせる」 (ニーチェ)
「自分が人生に何を期待するかではなく、
人生が自分に何を期待しているのかを理解することが重要なのだ」
(フランクル)
僕は鈍重な習慣には生きられない。
だから、鈍重、卑小、低劣なものを前にすると
相手が誰だろうと、叩きのめさずにはいられなくなる。
僕はどうしたって信仰者にはなれない。
僕はどこまでも求道者に過ぎない。
だから、どこまでも
「はじめに祈りありき」
「何のために生きるのかは、何のために死ねるのか」
本当は誰でも同じじゃないのか。
僕は本当のことしか話さない。