自分の意見を持たないと人はダメになる | ロバ耳ブログ 

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 リブログが複数人にされたゼレンスキーのもの。何が良かったのか、見てみたら、自分でも超下手くそな文章になっててびっくりしました(笑)
昔は見返しても、まあまあ良い文を書いてるな、って思ってましたよ。最近はダメですねえ。
iPadのせいで、文字が小さいのがダメだ。書き込んでて非常に集中力を削がれます。画面の色調整も出来ないしね。
アンドロイド端末の方が、格段に高性能でしたよ。絵も描けたし録画も出来たし。

iPadはオプションでは出来るのでしょうか。とりあえず、読み難いけど我慢して付き合ってくれて有難う御座います。まあ、モネの絵、みたいに思ってくれたら。って図々しいですか(笑)

画面も見難いけど、目がしんどいのも、そこまで気を使わないで良いので、質問とかコメントは気軽にしてくれて大丈夫ですからね。



 そんな話はいいか。先ず写真は、笑うセールスマン。何となく浮かんだので載せてます。昔、深夜にやってた藤子不二雄の片割れの漫画アニメです。世相を風刺した、ちょっと不気味な作品ですね。主人公の、このおっさんが不気味すぎる。現代人の心の闇を鋭く指摘して行きます。

AbemaTVを調査していて、そこでアニメがたくさん掲載されていました。自分でよくアニメ、アニメって言ってる割には、9割方が知らない作品ですね。残り一割も、知ってるけど見てない。考えてみたら、全部見た作品は数えるほどしかない。
笑うセールスマンも、何話かを見ただけです。


 基本、アニメはチェックですからね。次の世相を占う為の。古典や文学、もしかしたら私の場合、それらを見る時も、その時代の世相を見ているのかも知れません。あくまで興味はそっちにある。



 今は大きなスキャンダルが、それこそ津波の様に押し寄せています。成田を調査していたら、長渕剛との最近の対談とか出て来る。私には薬中の暴力団にしか見えなくなっていても、ファンたちのコメントは違います。ジャニーズや宝塚、吉本にもファンはいます。長渕ファンを見ても、彼らの動揺は相当なものだと見受けられます。

これは、日本社会の落ち込みを目の当たりにした高齢者世代も、多分、似た様な衝撃を受けている。政権の腐敗も同様です。良いパンチを貰って、日本人全体がふらふらになってます。これは危ない。ガード出来ない。ガード出来ないから、LGBT法とか通される。


 参政党が頑張ってますが、ここも中から壊されそうです。神谷議員の噂は、今は保留すべき話なのに、そこの判断が付いてない。
良いですか?たとえ山本太郎であっても、国会で重要な指摘を官僚に与えているうちは、それは私たちにとって重要なんですよ。山本太郎なんて、危なくて支持は出来ないけど、参政党もそうです。
私たちには切れるカードがない。


 今の今まで準備して来なかったのに、良いカードを持っているわけが無いんですよ。百田尚樹もそうです。タレントをデートに誘って、今は御免なさいで済んでるけど、親びんだって何をしでかして来たか分かったもんじゃない。
麻雀やってて、配牌に文句があるからチャブ台返しして、それで済むと思いますか。もう卓に座っている時点で、勝つしか無い。そんな配牌でもです。


これが分かって無い者を、向こうは利用するんですよ。だから民衆はいつも敗れる。そういう存在だから、エリートたちに民衆とか大衆とか言われるんですよ。団塊世代とか、氷河期世代とかのレッテル貼りもね。



 この状況で、どうやって自称エリートに私たちは対峙するのか。その前に、何故、彼らと対峙しないと行けないのか。そこから確認した方が良いのでしょうか。

例えば現在、メコン川やガンジス川。水量がどんどん減っているんですよ。その原因は、上流のチベットで、中国人が水を独占し始めたから。

そうなると、下流域の農作物の収量は落ちます。逆に、中国人の収量は増える。実際には、中国人は農業を軽視して、その水で工業を拡大したんですけどね。そして排水は重金属汚染で、国土全体を腐らせた。
しかし、これで中国人の一部は億万長者になりました。春節で日本にやって来ては、大金でトロや和牛を貪り食ってます。


この中国人を見て、凄いな、羨ましいな、優秀な民族だな、なんて誰も思わないでしょう。今、世界でエリートと自称してる者。それを、凄いな、カッコいいな、憧れる、なんて言ってる連中なども、これと一緒です。金融工学とやらで見え難くなってるだけ。
私たちは、下流の住民なんですよ。

下流と上流なら、自分も上流に行けば問題解決じゃん。こう主張してるのが堀江やひろゆき、成田ら界隈です。


 私は行けば良いと思いますよ。そんな奴らと同じ社会で暮らしたくも無い。ただ、この上流下流の関係で、水を上流が好きに使える権利があるって言ってんだから、ヤるかヤラれるかの抗争に必然的になりますわ。共存が出来ない。特にクリントン政権になってから、日本では橋下内閣の時代に、世界はこの様な構造に変わってしまいました。
それまで共存して来たはずの中国人が、共存不可能な民族に変貌した。これと同じ事が世界で同時に始まったんです。

日本ではそれが金融市場開放。いわゆる金融ビックバンです。橋本龍太郎ら自民政権は、抵抗はしました。しかし無理でした。。政治力、経済力、軍事力のバランスを日本は欠いていて、一方でアメリカは軍事力だけで政治経済を牽引する強権国家。単に日本の政治家が悪で済むレベルの話じゃない。



 二次大戦が終わって、唯一無傷だったアメリカが、世界の工場として派遣を広げる。しかし80年代に入り、金融界による産業の買い占めが始まります。今となってはアメリカ製品を探す方が難しい。何処へ行ってもアメリカ製品だらけだったにも関わらず。

日本の場合、それは10年遅れてやって来ます。アメリカの産業を食い尽くした金融界が、次の獲物を求めてやって来た。今はもう、日本製を探さないと売ってませんよね?



 少し本質的な話をしましょう。経済と聞いて、貴方はどの様なイメージを持つでしょう。おそらく多くの人は、実践的ではあるが、学問の一つの分野、くらいに思っているかも知れません。
しかし、経済と云ふ言葉は、経世済民の略語であって、すなわち一つの思想を指す言葉なんです。経済学とは言ったものの、数学や理化学、社会学や文学、それらとは一線を画して、経済自体が思想なんです。
そして、その意味は、世を治めて民を済う事です。根底にこれがあって、そしてこれは、動物だったら縄張りを作り、子供を養うとか、群れを作って家族を守るとか、それくらいに普遍的なところから来ている思想なんです。


 ここから派生して経営学や人文学や社会学が出て来ています。逆に言えば、経済学者p、なんてものは、本来なら必要ないくらいです。
これが、必要になる程に、人類が道を誤り始めたのが産業革命であり、だからアダムスミスが「見えざる神の手」などと経済学を立ち上げる。そして経済学を立ち上げたのは、その上流に存在するエリートたちでした。

要は、自分たちの行いを肯定する、新たな宗教が欲しかった。


 明治の日本人は偉大でした。彼らのこの思想に、経世済民を当てて有害性を相殺したんだから。

しかし副作用は避けられない。経済学者が、どっちを向いているのか分からないのはその為です。



 経済学部には、大きく二つの学科があって、先ず、どちらに進むかを選択します。経済学の括りですが、経営学と経済学は全く別物。理科学で言えば、化学と物理学くらいに違います。
そして、経営学が、株だとか、金融だとか産業だとかの研究になります。経済学の方は、共産主義とか資本主張、社会主義と言った、人間社会の法則を研究する様な学問になって行きます。
ただ、どちらも経済と云ふ、思想の中に、本来なら収まっていなければならない。今の自由主義は、ここに収まって無い。



 この辺が一般には分かり難くて、従って、偉い人たちが、世の為、人の為に小難しい研究をなさってくださってる、っと勝手に解釈している。だから成田らナチスが台頭して来ても気が付かないんですよ。

ヨーロッパは性悪説って行ってますけど、人は基本的に性善説です。現在、再びナチスに飲み込まれようとしている事が、その証拠です。



 ここで従って私は、改めて、人は自分の意見を持たないとダメになる、と提唱しておきます。難しい事は分からない、で良いんですよ。むしろその方が絶対に良い。ただ、それが悪い事だ、カッコ悪い事だ、と思った、思わされた時に、罠が仕掛けられて操られて行く。



 例えば死刑廃止の是非。分からないなら分からないで良いです。でも自分が被害者だったら、って考えたら、どうでしょう。逆に、自分が死刑判決を下される事をするとか考えられますか。
他の国がどうとか、周りがどうとか関係ないんですよ。自分に置き換えて考えたら良いんです。そこが自分の意見なんだから。

そして、じゃあ自分とは何かをはっきりさせたら良いんです。幾ら俺は俺は、って威張ってる成功者でもね、社会が崩壊したら、脱出してるでしょ?アメリカから。実力があるなら、そのアメリカでギャングを従えて地位を築けるでしょう。でも無理なんですよ。

幾ら威張ったところで、条件付きの成功なんですよ。


そうなると、突き詰めて、生身の自分とは本当は何者なのかは見えて来る。そしたらだいたい、似たような意見に集約されて行く。そこに常識がある。

常識が分からないのは、自分が分からないのと同義です。私だって偉そうな事は言えませんけどね。だけど、LGBTや高齢者は自殺しろ、が如何に狂ってるかは判断が出来ます。


死刑が犯罪抑止に効果があるか分からない、なんて学者の意見にも惑わされないでね。死刑がどれほど効果的か、フィリピンでデュテルテ大統領が証明して見せてますよ。



 自分をはっきりと定義付け出来ない者。これがゴイム、家畜と呼ばれる人類へとなって行く。

ああ、俺はオカマだって自分を定義している人は良いんですよ。社会的に定義される自分と、自分自身で自らを定義するのは別の話だからね。

まあ、どっちも突き詰めて行かないと行けないって話です。今の日本の危険な状態。ふらふらになった国民には、早急に、社会的にも、自分自身でも、自らを定義し直す必要があります。じゃないと外国人の日本で暮らす日本人、って未来が待ってるよ。