堺屋太一がボケた模様【移民を受け入れて日本再生!】 | ロバ耳ブログ 

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お!いつの間にか、また雨雲が供給されとる。この雨雲、航空機でせっせと人工雲を作り供給しているんですよ。嘘だと思う方は、飛行機を観察しましょう。


朝には夜露で潤うのが、私たちの国の気候なんですけど、最近、夜露って意識してます?夜露が無くなってません?地域のせいかな…。

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今の台風の状況ですが、これが台風かあ?どうせ台風が通り過ぎても、全く台風一過で晴れ渡ることもなく、雨もパラパラするような曇り空になるんですよ。
若い人はともかく、年配の人は気付いて下さい。気づかないとかヤバいです。



そんなヤバい、年配の中の年配、団塊世代という言葉の生みの親、堺屋太一。昔は国の経済政策とか、興味深い話をしていました。しかし、ここへ来て焼きが回ったのでしょうか、移民を受け入れろと大々的に主張し始めましたよ。もう本当にもう…。


堺屋によると、日本は過去二回の渡来人の受け入れで、国を活性化して来たと言います。一つは鎖国前。戦国時代の終わり頃まで、大陸から優秀な移民を受け入れた。もう一つは明治期。移民のお陰で殖産興業に成功した。
これで日本は活性化したのだと力説しだしたそうですが、こんなの全て妄想ですからねえ。江戸に入って鎖国をしたのは、朝鮮人中国人の受け入れを拒否したわけで、理由は今と同じでしょう。明治期になって、朝鮮人中国人を受け入れて、戦争が終わった、全員に帰ってもらうよう働きかけたのも、今の私たちが良く知る同じ理由なのです。

堺屋は、はっきり言ってバブル直前までの国内経済にしか見識がなく、アメリカに守られた状態の日本経済の中では、それで知識人として通った。為替も固定だし、海外の政治や経済に無頓着で居られる環境だったのです。
まあ、一言で言うと過保護ですよ。



これが冷戦の終結以降、プラザ合意を経て、状況は一変いたしまして、その時には日本経済はアメリカ最大の脅威だったんです。そういう状況下でも、次の世代を犠牲にしながら、ぬくぬくと生きてきた糞世代。これが再び、日本を破滅に導く移民政策に言及し、学者として深い見聞を広げるどころか、あろうことか妄想による移民推進。逝って良しレベルですね…。


いやこれ本当にゴミすぎますわ…。少しは尊敬していただけに辛い…。