第323回 決まりました。 | おおさんのブログ

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日々思っていることを徒然なるままに書いています。

時々ですが、田宮さんのブログを読んでいます。
思い当たる事が、多かったりするので。

私にも、どうもこの流れが来たようで、火曜日に正式に新しい仕事が決まりました。

県立の特別支援学校の臨時講師として、5月の中旬から勤務することになりました。

2年ぶりに臨時講師に戻ります。昨年も、学校現場ではあり、子供たちからも先生と呼ばれ、対外的には先生ではありましたが、実際の身分は先生ではなかったわけで。免許はあるとはいえ。

なんとなく、微妙でした。

臨時とはいえ、立場も待遇も正規に準じます。

1月の東京の不合格以降、いや、一旦講師の契約を切れてから約2年、更に遡ると採用試験を受けるのを辞めてから、それもいれると4年、どうするかという問題は心の中にありました。

その間に、父が心筋梗塞に倒れて亡くなり、母親は両膝に人工関節を入れる手術をして。弟は全身麻酔して親知らずを3本一気に抜きました。他にも葬式をはじめとしていろんな手続きがあって。

まあ、私なりに好きなこともしてきましたが、ほんとうにいろんなことがありました。私自身も家族にも。

講師という立場ですが、子供と関わり、いろんな経験もし、それなりの給料もいただき。それなりには充実していたものの、すごく疲れてもいました。

特に、3年間院内学級にいて、担任してきた子を亡くした中で、何もできなかった、他にできたことがあったのではないかという、なんていうのか敗北感や無力感というか、打ちのめされた感はずっと心のどこかには抱えていた気はします。

その中で特に大きかった出来事が二つ。

一つ目は、ずっと順調だと思っていた子が、どんな薬も効かなくて、かなり厳しいと知ったとき。それまで治るとばかり思い勉強主体でやってきてたんですよね。今、振り返ると、順調ではないと気づくきっかけはありました。でも、私は楽観的に考えてその機会を逃しました。教員をしていた中でも、一番後悔しているかもしれません。保護者も、医師も聞かない限りは、言わないので察するしかないのですよね。

もう少し、早くそのことに気づいていたら。もう少し、元気なときに好きなことをしてあげられたかな。あの子の本心はどうだったろう。素直でおとなしい、真面目な子でした。

後は、この子も故人ですが、「病気になるくらいなら、生まれてこない方がよかったのかな」と言われたこと。白血病で、退院間近で再発が分かり再発の治療中でした。「そんなことないよ」というのがやっとでした。彼女は、とても頭のいい子でしたから、綺麗事は言いたくなくて。再発の治療は治り、退院したのですが再び再発し亡くなりました。今でも、何を言ったらよかったのかと思うことはあります。答えは出ないですが。

生きていれば、二人とも中学3年生。

たぶん、私のどこかには残り続けていくもので、忘れてはいけないこと。

このあたりから、私の考え方が変わりだして、変わってしまう自分のまま、採用試験を受けることができなくなってしまい。特に、担当してきた子を相次いで亡くした年から受けるのを辞めました。

人は死ぬのは当たり前なんだけど、それを前にしたら、勉強を教えることになんの意味があるのか…とか、考えるうちに、学校というものに嫌気がさしてもきて。

結構、人間関係もいろいろあって、白髪は一気に増えるし、ストレスでヘルペスにはなるし…

今、思えば、あそこで辞めてなければ、たぶん強制終了にはなっていたのかなと。辞めた年に、母の手術、父の病気も重なりましたからね。

講師を辞めたときは、すっきりしませんでしたが、父が倒れて、このために仕事が変わったのかなと思うし、今年もフルタイムにはならなかったのは母の手術やら、父のその後の手続きができるようになるためだったのかなと。

父のこともいろいろありましたが、最終的に全てはいいようにおさまったなあと思います。

物事の可否は、後々にならないと分からないことも、たくさんあるんだなと思います。

ただ、やはり自分は何らかの形で、教育や子供に関わりたいと思うし、大きな力を前に学校教育なんて非力かもしれないけど、それでも私はそれをよるとこれとしてやっていくしかないなと思うようになり。

ようやく、採用試験を受けようと思うようになったのが昨年のこと。

そういう意味では、少し底を抜けたかもしれません。

なんですが、まだ採用試験を受ける葛藤というのは、完全に解消はされてなくて、正直採用試験のことを聞かれたり、応援されると、すごくザワザワします。周りには悪気はなくて、よかれと思っているだけに、辛いところです。

それは、仕方ない部分がある。
正規と臨時の扱いは仕方ないけど、違う。

教員の世界の常識として、正規になるのが当たり前で、そのために死に物狂いにやるのが、すばらしいというか、当然というか。同調圧力かな。
どうも、そこが苦手というかなんというか。
そうではない選択肢はないのかと思うと、なんとなく息がつまる。

教員になる人の多くは、幸せなんだと思います。
子供時代がある程度幸せでないと、やろうと思わないというか。小さい頃からなりたくて、憧れる先生がいて、親や親戚が教師で…とか。私も、そういう意味ではそうなんですが。

教員免許にしても、採用試験にしても、真面目にやらないと、気持ちがある程度強くないと通過できないわけで。めんどくさいことも多い。

まあ、そういう人が先生になるべきだけど、教師が迷うわけにいかないし。そうやってなった先生が、子供の気持ちにほんとのところ、どこまで添えるのかなと思ったりもする。真面目で強い子ばかりではないもんね。

ここ何年か、教員採用試験について言われ続けていて、最近しみじみ、子供もそんな気持ちかなと自分の指導を反省したり、思うこともあり。

教師の仕事は好きだと思う。私みたいな経歴でも雇う懐の広さがある。ただ、激務で、責任も重い。病んでいる先生、ぷつりと辞めてしまう先生も見てきた。自分も紙一重だったかなと。

これは、占いで仕事に関して言われた言葉として

役割役目に従事しすぎる、少人数に対してゆっくり合わせていける人、~しなさいと指示することが少ない人、相手を変えようとしない人、スピード勝負でなくこつこつゆっくり合わせる、同じ目線で話ができる人と言われました。

ただ、時代が変わるスピードが早くて、学校自体も早くやることや変わることを求める場所。

働いていて、しんどさを感じるのは、このあたりのギャップかなと腑に落ちました。

亡き父も、仕事が好きでしたが、自分の信念を曲げられなくて、会社とも喧嘩もしてきた人で、たぶんそのストレスも命を縮める原因にはなったと思う。私は、その要素持っているように感じます。

仕事は自分がいないと回らないという気持ちでやるとしても、命を削ることはない。仕事の代わりいるけど、家族の代わりはいない。命あっての仕事。

教師が、子供と関わる仕事の全てではない。と、かつて教育実習をともにした人に言われました。
その人は、教員の道を諦め、結婚し子供がいます。子供に関わる仕事をしてはいるようです。

なぜ、教師を目指すのか、正規でなければいけないのか、そこに答えが出せてないから、合格ができないのだろうと思います。いまいち、採用試験の勉強が中途半端なのも。

今回の話は、そういう自分にとっての試金石かなと思うのです。。弟は知的ですが、特別支援で知的に行くのは初めて。就労を目指す軽度の知的を対象とする学校。県内に、数校しかありません。たまたまですが、約2ヶ月の短期。

まるで、今の私の気持ちを見越した話。

不安はありますが、またここでの経験が、自分の糧となり、また自分を動かす原動力になるのかなと思うので、気持ちも新たにぼちぼちやるかなと思うのです。

さらっと書くつもりが、とてつもなく長くなりました。読んでいただきありがとうございます。