子宮を取りたい人 | 子宮を取る権利

子宮を取る権利

子宮内膜異型増殖症になり、子宮全摘した人の体験談。

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こんにちは。

 

うちのブログタイトルが「子宮を取る権利」。

子宮を取りたい人が全て取る権利を得るわけではない。

 

今のところ生物学的な女性は、ほぼ皆子宮があり月経を経験する。

しかしわたしたちは皆、子宮を得たいと思ったか?月経を経験したいと思ったか?

 

女性として生まれてきたことを何一つ疑問に思わずに、月経を繰り返し子を産むのか?

 

この世の中に一つの命を生み出すことで、生み出した子に対して幸福にさせられるのか?

 

わたしはトランスジェンダーではないが、10代くらいから「なぜ自分は女性の体に産まれてきたのか」という疑問は持っている。そして女性であることを心から納得したことは一度もない。

むしろなぜ自分がトランスじゃないのかという疑問さえある。

 

そして自分が子を産みたいと思ったことも、産まなきゃいけないと思ったこともない。

なので月経は煩わしいものでしかなかった。

 

産むのは「権利」であって「義務」じゃない。

 

産むのが当然だと思っている人は、他の女性も産むことを当然だと思うし勧めてくる。

その「勧める」ことが「産みたくない」人に重荷になっていることすら気づいてない人も多い。

 

実際その件で別れた夫の親とも言い争いになった。

「好きで女に産まれたわけじゃない!」

わたしがこう叫んだ時、信じられないといったような目で見られた。

 

肉体的に女性と産まれたからといって、女性であることを受け入れている訳ではない。

子を産みたい人には協力できる限り協力したいのだが、自分の遺伝子を後世に残したくはないし、現時点の社会に産んで子を幸福にできる自信もない。

人一人の責任をとても取れない。

 

でも女のカラダに産まれてきた限りは子を産むことを期待されてしまう。本人の意思とは無関係に。

産みたくない意思も産みたい意思も尊重されるべきなのに。

 

産みたい意思がある人が多いから不妊治療がある。

産まない意思はどこにあるのか?

 

月経は子宮や卵巣にとって負担であるとの説もある。

月経が重く、産まない意思が強かったわたしにとって、その説は納得できるものであった。

 

月経に関する書籍や本を読んでも、「女の子はいずれ赤ちゃん産むんだから」という前提で語られているのが苦痛で仕方なかった。

 

このブログで何度も語ったとおり、わたしは子宮内膜異型増殖症で全摘した。

全摘はわたしにとって希望だった。

そして、病気にでもかからない限り子宮を摘出出来ない現実も感じた。

 

子宮とて臓器の一つだから、健康なのに摘出するのは体に負担がかかるのは判る。

しかし「子宮がある」ことから脱却できる方法が他にもないものか?

 

肉体的性別と社会的性別が必ず一致してなきゃいけないものなのか?