今日は少々まともな話です。私には娘が三人居ますが、長女は今年嫁に行き、次女は大学二回生(関西圏では二年生の事をこう言います。)、3女が高校三年生。単位制ですが家を継ぎたいと勉強とシラス漁師を兼任しています。子育ても終わりに近くなった昨今、ホームセンターで2代目ロックに会いました。姿形が先代のドーベルマンのロックにそっくり。鳴門にドーベルマン専門のペットショップが有りまして、徳島に行く時は良くお邪魔してワンちゃん達と遊ばせて貰っていましたが、私達夫婦もアラフィフに近い年齢になり、大型犬は可愛いけれど病気になった時にお医者様に連れて行くのが大変なのを考えてどうしても思い切れずにいました。先代ロックが我が家に居たのはたった5年。大型犬は短命だとは理解していましたが、ある日突然リンパ腫と言われ、余命2ヶ月と宣告されました。当時の我が家は長女の進学を控え、姑は脳梗塞で入退院を繰り返し介護をどうしようか等々、色々と考える事が多く、家の中はパニック状態。困ったのがお金です。ロックを家に招いた当時ペット保険はかなり高額だったし、まさか癌になるとは思っていなかったので加入していませんでした。当然のように家の中でも相談になり、手術で切除するか、そのままそっと余生を過ごすか、オペを受けて抗がん剤治療をするか、苦しむのは明らかなので姿形が綺麗なまま安楽死を選ぶか。 お医者様は時として冷酷です。相談した結果、『少しでも生きて欲しい』と選んだのがオペと抗がん剤治療でした。『頑張って働けば何とかなるだろ。』ただし、これはお医者様が反対しました。『後数ヵ月で居なくなるのは目に見えている、どのみちこの子は助からない。ここで高額な治療を受けるのは無駄です。』と。私達は『それでも構わない。少しでも見込みが有るなら』と頼んで抗がん剤を手配してもらい、(そもそも抗がん剤が無かったのです。)2週間に一度の治療が始まり、苦しそうなロック。先生に『治らないと理解しているのに高額な治療を受けさせる私達って馬鹿だと思いますか?』と泣きながら聞いた事も有ります。先生は何も言いませんでした。旦那は『元気なうちに色々食べさせてやろう』と言うので食事は毎日手作りに。鳥の胸肉、茹でキャベツに人参、ほうれん草をいつものご飯にプラスして『沢山食べて元気になれよ』と言うと、ロックは『なんでこんなにくれるんだろう』と嬉しそうな表情でで美味しそうに完食していました。旦那は『こんな事ならもっと美味しい物を食べさせてやるんだった。』と泣きました。太ってはいけないからと多少の制限はしていたから。余命宣告されてから2ヶ月が過ぎ、病院に連れて行く度に体重は増え、お医者様も『普通は痩せて行くのに、不思議。もしかしたら』と協力的になってくれました。でも悪性リンパ腫は急変します。9月下旬、台風開けに急変し、秋晴れの良い天気に旅立ちました。前日迄散歩に行けていたのにとかなりショックでしたが、2ヶ月と言われた命は3ヶ月迄延命する事が出来ました。今でも思い出すと『人間ってこんなに泣けるんだなぁ』と思う位、良く泣きましたね、家族で。悔やまれるのが当時我が家にはデジカメが無く、携帯もガラケーのみだったので余り写真が無い事。なので2代目チビロックの写真は沢山残そうと、出来れば他の人にも見て貰えたら嬉しいなと始めた次第です。長文を読んでいただきましてありがとうございました。これからも宜しくお願い致します。

自由気ままに成長したけど、丈夫な身体と怪我をしなけりゃそれで良い。ロック、うちに来てくれてありがとうね。そして私の連れ合いにも感謝。