東北地域のライドで手つかずなのが、仙台から以南に至るルートになります。(ほんの38㎞ほどだけ、いわき七海道を走っています→)いつものようにライドの前に予習のつもりで、訪問先が舞台になっている本を読むようにしています。

 

昨年の三陸海岸を南下するルートでは震災の傷痕を沢山見ました。しかし、さすがに10年を超す年月です。私のような通りすがりが目に出来る部分はキレイに片付けられていて、震災を伝承する会館などで見聞きすることが出来ました。

 

しかし、仙台以南と言うと福島県です。あの「フクシマ」は震災の被害だけでなく、ご存知のように原子力発電所の事故と重なっています。自分が自転車で通過できる場所にも制限があるのですが、出来る限り感じてこれたら、と思います。

 

市の図書館で「福島 原発」で検索すると100冊以上の蔵書があります。この本は「社会」という分類になってました。そのあたりには、同様の本も沢山有ったのですが、全部は読めませんね。相馬っていうと、「相馬馬追」がこの時期にテレビなどでも放送されるので知っていたのがきっかけになりました。

 

 

 

 

 

出版社のサイトから

 

 

未曾有の災害と原発事故は、そこで生活する人びとの営みを大きく変え、「力の弱い側が理不尽な目に遭う構図」が蓄積され続けています。その人たちとともに悩み、行動しようとする著者の揺るぎのない目が写し取ったルポルタージュ。南相馬を「定点」に、「3・11」以降足繁く通い続け、“汚されたフクシマ”から再び立ち上がる一人ひとりの物語です。

 

 

 

 

 

これは重たい本を手に取ってしまった

 

 

福島と原発をキーにして検索すれば、どの本を手にしても重たいでしょうが、複数の当事者さんに何度も年月をかけてボランティアとして接してきた筆者さんが書き残されたこの本は重たかったです。

 

出版は2020年ですが、筆者さんは震災の年の2011年8月にはボランティアとして現地に入られています。事故当時のちょっとヒステリックな混乱の報道が続いていた時期にもひたすら我慢をしながら現地の皆さんが居たのです。

 

3世代が同じ屋根の下で生活していたのが、今は4ヶ所に分かれて生活している家族。寂しいだろうし、悔しいでしょうね。この悲しみを東電はお金で表せるって言うのでしょうか。

 

 

お寺の住職さんのお話

 

 

鹿島区にある勝縁寺の住職の湯澤さんに「一番辛かったことは?」と聞いての答え。

 

「行方不明者の死亡認定がされるようになって、生活維持者が亡くなった場合は500万円、それほかは250万円の災害弔慰金が出ることになってからだ。仕事もなくなって収入がないから食べて行けない。

遺体は見つからないけど、葬式をしようかって相談されたんだけど、それは答えられないんだよ。ご家族が決める事ですってしか言えないんだ。原発から30㎞圏内は東電から毎月一人10万円の精神的慰謝料が出るけど、圏外はそれがないでしょう。30㎞圏内外で、醜い争いが出てしまった。

『いつまでも東電から金もらってないで働け』

なんて言うようになったね。それまでは被災者同士

『大変だったね。』なんて言い合っていたのにね。」

 

家族も自分で決める事にためらいがあるのでしょうね。住職にその判断を委ねたい気持ちも分かります。ここでも東電の補償の「お金」が話を複雑にしてしまうのですね。(他に解決方法も分かりませんが)

 

 

 

 

長引く避難生活

 

こんなお話が有りました。70歳の自分に取っては他人事とは思えないです。(自分の両親は両方ともに発症しました)

 

「おどなぐして暴れるような人じゃなかったけど、几帳面な人ほど、この病気になりやすいってお医者さんは言うんだ。外にも行けなくなって、足腰も弱って、気難しくなったんだな。」(中略)

津波で家も息子も失うという大きな衝撃とその後の急激な環境の変化で、杉浦さんは一気にアルツハイマー型の認知症の症状が出てしまったのだろう。

 

 

 

「家族一緒に暮らしたい」は間違っていた?

 

 

集会場でぬいぐるみ作りをされているサークルが有りました。集まって会話して、物を作って、それでいくらかの余剰金が出れば、自身が自由に使えるお金になります。細やかな楽しみ。そんな場所で代表格の天野さんのお話

 

 

以前は子供や孫と暮らし、また中には曾孫、玄孫がいた人もいる。2世代、3世代、時には4世代での生活だったのが、若い世代は他所に避難して、」じじばば世代が仮設に入居している例が多い。

 

なので、「家族一緒に暮らしたい」の気持ちは当然強いです。しかし、若い人もそれぞれの地で努力して「それぞれの暮らし」を築いてきたのだ。(この時点で4年経過)

 

 

「家族一緒に暮らしたい」の言葉は、私たちの胸を打つ。そのフレーズが間違いだという天野さんの言葉は原発事故のもららした罪をなお一層強く私たちに突き付ける。(中略)

間違っていた」のではなく、

一緒に暮らしたい」という願いを「自ら絶たねばならない」からではないか?

 

 

 

本としてはちょっと読みずらいかな

 

 

月刊誌に連載されていた文章に加筆修正して有ります。なので、毎回状況説明も入ります。また、時期や場所が飛ぶ時もあるので、やや混乱しますね。どうも小説っていうプロットを書いて、分かりやすさをある程度担保した本に慣れているからでしょうね。しかし、「お話を聞かせて下さい」と言っても、皆さんの口は重いだろうし、ボソボソと話てくれても、思い出す度に悲しさがよみ上がってきて、止まってしまうからでしょうね。

 

 

ご自身のことで

 

日頃私は脱原発を唱え、毎週金曜日に官邸前で行われている反原連の集会に参加している。「原発反対!」「東電解体!」などと叫んでいる。

ある場所で東電の社員さんに出会います。彼は型通りの返事しか話さないので、「ロボットのよう」という感想を持ちますが、後になって彼が目立たないところでボランティア活動をしたり、社内で同僚に呼び掛けていることを知ります。

活動家に有りがちな、やや視野の狭さを感じさせてくれたのも、南相馬の暖かさでしょうか。