服部文祥氏の本、三冊目になります。過去に読んだ服部氏の本に、このワンコ「ナツ」が登場します。私は、この冒険家の無謀とも思える冒険の話や古民家生活のお話より、このナツの方に魅かれました。やっぱりワンコはいいなぁ~と思えました。

この本は写真も多くて、全編ワンコのお話です。

 

 

 

↑この凛々しい顔

 

 

 

  ナツってどんな犬

 

元々は北海道の野良犬を母親に持つ雑種犬(父親は不明)です。狩猟を営んでいる友人からの連絡で服部氏が飼うことになりました。彼は少し前から犬を飼って、狩猟や山歩きのお供に出来ないか、と考えていたようです。

 

今から思うと、冒険家の先輩である角幡 唯介(かくはた ゆうすけ)氏は、同じように一匹のワンコをお供(犬そりを引く)になんとグリーンランドを単独で旅をされていて、彼の影響なんでしょう。

 

 

 

 

  本文の「はじまり」より

 

 

私にとってナツははじめて飼う犬である。わかりやすいので「飼う」を使うが、私はこの言葉があまり好きではない。私とナツとの関係を正しく表しているとは思えないからだ。ナツは飼われているのではなく、一緒に暮らしている。ナツとともにこれまで距離にして三〇〇〇キロ以上を徒歩で旅してきた。旅の行程のほとんどがノーリードである。冬は一緒に猟もする。ナツは鹿を追って何度も山に消えてしまったが、そのたびにちゃんと戻り、山奥のこの廃村でもほぼ放し飼いで過ごしている。

 

 

 

犬と共に山を3,000㎞以上歩くってちょっと想像しただけでも大変です。市内の散歩するのとはわけが違います。林道とか廃道を歩きます。本の中には雪の中をラッセルしている様子や沢を石伝いに登ったり、泳いだりしている写真もあるのです。

しかし、楽しそうだぁ~とも思います。

 

ワンコは、人間に忠実だって言いますよね。与えられた使命を果たそうとします。レベルは天と地ほど違いますが、私が飼っていたポルコ(同じ雑種犬でした)は、散歩が自分に与えられた使命だと感じていたように思います。誘えば拒んだ事は有りません。晩年は腎臓が悪くなってしまいました。亡くなる前日でも、ほんの数十メーターですが、散歩につき合ってくれました。

 

このナツは、生まれた時から狩猟に連れて行かれて、狩猟犬としての役割を教え込まれます。そして、それは犬としての本能的な部分を刺激する行為でもあったのでしょう。俄然と能力を発揮します。

 

これは服部氏がそういう犬として育てたい、という気持ちがあって、それがワンコに伝わったのでしょう。逆に、室内で大人しく「可愛い~」と言われるのが役割と認識したワンコはそういう風になるのでしょう。


 

 

  生き物としての幸せとは

 

狩猟犬の寿命は短いとも書かれています。イノシシと戦っての事故も有るし、狩猟期には、ゆっくり休めたりしません。野良猫の寿命は5年ほどで飼い猫の半分ほどにしかないそうです。やはり厳しい条件の中では寿命も短くなってしまうのが自然の摂理っていうヤツなんでしょう。

 

でも服部氏は、だからと言ってそれが幸せか?と問います。これは「命」をどう考えるか?ですね。そして、それは人間も同じです。

 

いのちは得がたい貴重な宝だが、宝物と違って大事にしまっておいても意味がない。身体は「宝物」ではなく、使い込んで価値が生まれる「道具」でもある。感覚器官(センサー)も兼ねているので「装置」ということもできる。装置はスイッチを入れて動かさないと存在価値がない。しかも身体という装置は、きちんと動かせば動かすほど性能が向上し、動かさないと衰えてダメになってしまう。動かしすぎて壊れてしまうこともあるが、壊さないギリギリのところまで正しく使い込んだときに、その装置が可能か最大限のことを為すことができる。

ギリギリまで使ってこそ、生きているっていう事なんでそうね。しかし、この1人と一匹が冬山で遭難しないことを願ってしまいます。