舞台は青森県の十和田市 時代は昭和35年頃

 

青森県を舞台にしている小説とかでググっていてヒットした本です。この作家さんは初めてです。舞台は十和田市の十和田南中学。文中にも有りますが、1981年に廃校になっています。本は2001年発行。

 

主人公は中学の2年生~3年生です。(最後の章だけは少し年月が経過してから)彼は野球部に入っていて、2年生では補欠の部員です。練習では外野の球拾いをしています。この学校、グランドが狭いのです。長方形をしているらしく短辺にあたるライト側に飛んだ飛球は学校の外の畑に落ちるのです。

 

ある日米軍放送(近くの八戸にFENの放送局があります。三沢基地が近いからでしょう。)を聞いていて、それまではプレスリーやシナトラだったのですが、突然、ビートルズが掛かります。DJも熱狂しています。新しい音楽の登場です。かかった曲は「プリーズ・プリーズ・ミー」これは1963年発売のビートルズ2作目のシングルになります。

 

この曲を聞いた事で、彼の心の中にスイッチが入ります。ここから先は、お約束の青春物語です。

 

 

  十和田湖に向かう道

 

 

自転車乗りには嬉しいことに、文中に主人公が自転車で十和田市→十和田湖まで走るシーンがあります。(読むまで知りませんでした)十和田市は十和田湖に隣接しているように思われるかもしれませんが、十和田湖より太平洋側の八戸に近くなります。距離も少し離れていて片道36㎞ほどあります。文中では夏休みに自転車で1人でキャンプ(野宿ですが)に行くのです。

 

ざっとですが、ルートをride with gpsで引いてみると、十和田市街から十和田湖畔まで走ると距離が36 kmで獲得標高が610 mになります。荷物満載の通学用の自転車でもなんとか行けるかな。

 

十和田湖までいく一般的なルートは青森駅を出発するルートでしょう。しかし、こっちは、距離が62.8 kmで獲得標高が1,500 mと距離は倍で、獲得標高は私の一日の上限ですね。こちらは八甲田山を横目に見ながらの峠道があるのです。ただ、天気が良ければ、素晴らしい展望があるでしょうね。

 

 

 

  誰が読む本なのかな~

 

 

読んでいて、このお話の時代は何時頃なのか?気になります。ビートルズの曲とか考えると、私よりは5年ばかり古めの時代になると思います。これは作者さんが1949年生まれでして、私より6年前になります。

 

時代を感じるのは、登場する体育教師の体罰ですね。今ではありえないような理由ですぐに手が出ます。また、手が出ないにしても、教頭や校長の理不尽と思える強制的な指示が出ます。

 

なので、仮に今現在リアルに中学生だったり、高校生がこの本を読んでも、違和感が先に立ってしまい、本に集中できないだろうなぁ~と思いました。

 

ところが、私の世代ならこうした暴力教師も居なくは無かったので、まぁ想像できるのです。

 

 

  これはこの時代に中学生だった人が読む本かな

 

 

痛快なのは、主人公達も我慢ばかりではなく、時に逆襲するのです。禁止されているビートルズを講堂で鳴らして踊ってみたり、納得できない指示(野球部員を相撲部に貸し出すなど)に、真向から反論したりします。

 

しかし、実際には暴力教師や頭の固い教頭にもの申すことが出来る時代だったかな?と思うと、そんなの論外って感じだったろうし、心には持っていても実際には「それは無理」と諦めていたでしょうね。

 

なので、主人公達が非力ながら、教師たちに盾突く様子は痛快でして、ガンバレと言いたくなりますね。そして、もう年齢を重ねた自分ですが、あの時にこう言えたらなぁ~と思えることがあって、お話に入り込むことが出来ました。

 

なので、この本は青春物ではありますが、本当に楽しめるのは、現役の中学生さん達ではなく、あの頃を懐かしむことができる自分達だなぁ~と思います。

 

 

  私自身のエピソードを

 

 

私も中学の時は割と教師に反感を持ってました。しかし、それを上手にアピール出来た記憶は有りません。一番覚えているのは、三年生の数学のテストです。実は自分のクラスはなにかの理由で他のクラスより数学の進み具合が遅かったのです。

ところが、テストを受けてみると自分のクラスでは授業が進んでなかった範囲の出題がされていました。

 

そこで、私は解答用紙に「これは出題範囲を越しているではないか?そんな事も分からないのか」的な文言を書いて提出しました。後日、職員室に呼び出されて「これは何だ」って事です。自分としては、悪い事をしているつもりはないし、教師の方は範囲外の出題をした事の釈明は無かったと思います。

 

しかし、上手に言い返す事が出来なくて、出てくるのは涙ばかりでした。反省して泣いている、とこの数学教師は思ったでしょうが、自分は自分の気持ちを言葉に出来ない悔しさでしたね。今なら、職員室で大声で「この先生は出題範囲を間違えたを棚上げして、生徒に説教する」と言ったかな~。

 

ただ、この話には伏線もあるのです。この数学教師ではありませんが、国語の教師が「木の葉」「きのは」と読んだのです。私は手を上げて、「先生、木の葉は『このは』と読むのと違いますか?」と授業中に指摘したのです。

 

同じように英語の教師が、Londonを「ロンドン」と読んだので、「先生、Londonは、ランダンと読むのが正しいのではありませんか?」とこれまた、クラス全員がいるかなで指摘しています。

 

職員室で札付きだったかも知れませんね。