テレビのニュースで宮川大助・花子さんの新しい本が出版される事を知りました。「なにわ介護男子」なる題名らしいです。

市の図書館に有るかな?(ちょっと早すぎですが)と検索してみると、その本はまだなかったですが、少し前に出版されていたこの本「あわてず、あせらず、あきらめず」(2022年2月発行)が有りました。

 

 

  究極の共稼ぎ「夫婦漫才」

 

 

夫婦漫才っていうと、究極の「夫婦共稼ぎ」だと思うのです。お二人ともが働いているご夫婦は珍しくもありませんが、ずっとお互いが隣にいるっていう職場はそうはないでしょう。しかも自宅に帰っても(当たり前ですが)一緒です。

 

「なんで夫婦漫才をされたのですか?」と聞かれるのですが、それは夫婦の道のりだからです。夫婦の木にいろんな花や枝を咲かせたいというのが自分(花子)の夢でした。大助君がトラックの運転手さんをするのだったら私は助手席にと思うし、八百屋さんをするのだったらにんじんを売っていると思います。たまたまそれが漫才という職業でした。皆さんから「苦労したね」と言われますが、私は苦労と思っていません。ただ、努力はしました。これは私たちだけでなく、漫才師の皆さんが同じです。ただ、別の苦労は有りました。

 

 

大助氏は、朝鮮半島出身。終戦直後に帰国しますが、貧困(wikiは極貧と記載)の生活だったようです。電気会社に勤務しながら、松竹芸能の養成場を経て、コンビを組んだのですが、解散。一時は芸事を廃業して、スーパーの警備員をしていたと言います。そこに警察官を辞めていた花子さんが入社してくるのです。(花子さんは元警察官だったのですね)大助さんは、漫才台本を書きながらチャンスを狙って、やがて夫婦漫才を始めます。

 

二人ともなかなかの苦労話があるようです。この本で駆け出し当時の苦労話を詳しく書かれることはないのですが、やっぱりこの時期にご苦労が今の夫婦仲につながっていると思います。

 

しかし、お互いに年齢を重ねていくと、闘病生活が始まります。二人で支え合って乗り越えようとされるお話に、ウルっとしました。

 

 

 

  「センターマイクの前に」が最大の目標

 

 

病気の事についてとにかく前向きにお考えです。不思議なくらいです。

 

今回の病気にしても、前の病気にしても、夫が病気になったときでも、私は常に幸せだと思いました。というのは、闘病に専念できたからです。病気をしたことで家族不和になったりいろいろなことが起こりますが、私たちはそれを乗り越えられたと思っています。

漫才のコンビとしては、夫婦で良かったと思うことがいっぱいありました。他人のコンビだったら、相手の家庭があるからどれほどしんどくても早く復帰して、きっともっと無理をしていたと思います。病気になった今回は、夫婦ですから存分に甘えさせてもらいました。(中略)

病気になり、改めて漫才をしていてよかったなと思いました。病気をして入院したときでも、私には夢と希望があったのです。リハビリ室でいただいた言葉を忘れたことはありません。病気になると、最大の目標はなんとかして治りたいことだろうと思います。でも私は漫才師です。病気が治るのは過程であり、最終目標は復帰して漫才で舞台に立つことです。

なんと言っても芸人さんですから、なんでも「芸の肥やし」にしているのでは?という斜めから見るような見方もあるでしょうが、お二人は自分達の状態を公開することで、同じような病気に悩んでいる人を応援したいと言われます。

 

笑いあり、ちょっとホロっと、ウルっとさせてくれる本でした。