映画が有名ですよね。その年のアカデミー賞で最優秀の作品賞を取っていますし、最優秀監督賞、優秀脚本賞なども受賞されています。監督賞とか脚本賞を受賞しているところがミソなんでしょうね。

 

公開が2012年と12年も前なので、キャストを見ても、神木隆之介、橋本愛、東出昌大、山本美月、松岡茉優、前野朋哉、とか「みんな高校生役だったんだぁ~」と思えてしまいますね。

 

いつも映像化されている作品を読む場合だと、読む時に分かりやすいので、キャストだけはチラ見しておくことが多いですが、12年は長いですねぇ~。

 

読んだ原作本では、人物毎の章立てになっています。数名の登場人物の人称で語られながら物語が進みます。しかし、A君が話している時系列と、その後に話すB君の時系列が繋がっている訳ではなく、逆戻りして話始めたりします。これが、まどろっこしく感じます。

 

映画では、どうも人毎の章立てから、曜日毎の章立てに変えて作られたようです。本と違ってページを読み直すことが出来ないからね。それでアカデミー賞受賞されたとなると、原作の作家さん心中は穏やかではないでしょうね。

 

 

 

 

  いまどきの高校生って考える

 

 

自分のブログで「高校生」で検索すると、このワードを120ほど登場させています。私は自分の高校生時代は楽しく過ごさせてもらった記憶があります。勉学の方は入学時からずっと右肩下がりに落ち続けて卒業時はギリギリ。しかし、部活に入らないのですが、楽しく過ごさせてもらったのです。

 

ところが、この小説に登場する高校生さんは、なにかしらの「暗さ」「辛さ」を感じてしまいます。作者さんが、大学生時代に構想を考えて書かれた本だそうですから、こんなクラス内部の階級社会とかが普通に存在していたのでしょう。それを意識はしているのですが、表立っての動きは出来ない→波風立てないことが最良と思われているようです。それと、将来に向けてのなんだか閉塞感。

 

一人の男子が

俺たちはまだ17歳で、これからなんんでもやりたいことが出来る、希望も夢もなんでも持っている、なんて言われるけど本当は違う。これからなんでも手に入れられる可能性のあるてのひらがあるだけで、今は空っぽなんだ。

 

やっぱり自分達の時代の方が、将来に向けての考え方にしても、良い意味でノー天気に過ごせて、それなりになんとかなった時代だったのかな、と思えます。この本に登場する彼らは苦悶し続けるのです。

 

  これがこの本のミソ?

 

 

不思議に思えるのが、題名の「桐島、部活やめるってよ」桐島君です。名前は登場しますが、文中には登場しないのです。

 

彼は、バレー部のキャプテンでリベロと呼ばれる守備の専門家。周囲の信頼度も高いです。彼女もいます。

 

「なんで部活を止めるの」を片隅に置きながら、読み進めることになるんですが、本には具体的には書いてないのです。ただ、なんとなく彼が「イチ抜けた~」とこの停滞した学校生活から抜け出して、自分の世界に進み出したのでは?と思えました。

 

彼を登場させずに、読者にいろいろと想像させることを狙っているのかな?

 

それと、場違い的に登場するのが、「映像部」です。冴えない二人が応募した作品が賞を受賞してしまいます。朝礼で発表されても「映像部って有ったの?」的な視線。すごく面倒くさい感じのいかにも「オタク」な二人ですが、彼らの世界の中で「青春」している様子が伝わります。

 

周囲から見ると異端でカッコ悪いのですが、その真剣さにはある種うらやましくも思うし、これが高校生本来のカッコ良さですよねぇ~。

 

一人の女子の独白で

昨日グランドに置きっぱなしだった心が、一瞬で私の小さな胸に戻ってきて、ばくばくと激しく脈を打ちながら体温を上げていく。心臓の内側がぜったいに誰にも見つからないように、だけどいつもより速めに動いている。

周囲に気遣いしながらの彼女の心の動き。作家さんにかかると、「こう書くんだぁ~」と思えたのですが、旧来の青春物なら、ここは「大声」「走りだす」とか、するところなんだろうけどなぁ~。