古い本になります。1987年に発行されています。それと、新聞連載だったようです。昭和61年(1986年)に北海道新聞や東京新聞など四誌に9月から翌年5月まで掲載されています。

 

この本を紹介してくれたのは、九州ライドの時に立ち寄った南さつま市の教会の牧師さんの有馬氏です。彼が勧めてくれました。私がクリーニング会社をやっていた事を話すと、読んでいないのが不思議に思われたようでもありました。

 

実は、この本はクリーニング業界で上場企業でもある「白洋舎」の創業者である五十嵐健治氏の物語です。私は元クリーニング屋の親父ですが、過去には白洋舎の下請けをいくつかいただいていました。京都市内のホテルを担当していた壬生の白洋舎の白衣などの糊物とか、伏見工場の糊物など。大津工場(出張所扱いだったか)のワイシャツもさせてもらっていました。

 

なので、京都には週に数回、大津は日曜日以外は出入りをしておりました。私自身が集配にお伺いした事もありましたね。いくらか親しくして頂いた工場長さんとかも居られて、私の親父と親しくさせてもらっていました。

 

しかし、こういう本が有るということは、有馬氏から紹介されるまで存知あげなかったです。三浦綾子氏の本は

 

 

を読んでいますが、これはこの年に目論んでいた、北海道一周ライドに向けて、北海道を舞台にした小説を探しては読んでいただけです。ただ、この「石狩峠」もお話の重要な柱は「キリスト教」です。

 

祈っているだけで全てが好転するハズは有りませんが、それに向けて努力をしたりすることが良い方向に物事が進む事もあるでしょう。しかし、病気や災難の時に「なぜ神様はこの試練を・・・」と思える時もあるのです。そういう中でも、やっぱり信仰の有る方は、最後まで冷静でおられるのでしょうね。

 

 

お話は五十嵐氏の波乱に満ちた(っていうか、波乱の連続)の生涯を描いています。まぁ若い時の様子は、この青年いつ野垂れ死んでいても、何の不思議もないような行動を取ります。当時、一攫千金を成し得た人物のようになる、というのがその頃の彼のよりどころです。なので、様々な仕事に就いては、投げ出して転職しています。志願して軍隊の仕事をしてみたことも有ります。その後、なんと個人でスパイになってロシア軍を牽制するという試みをしてみたり、北海道でタコ部屋で強制労働のようなことも経験します。(脱走するのですが)

でも、やがて三越に入社。運とご縁が有ったのでしょうね。キリスト教とも出会います。熱心な信者になりまして、独立して布教活動に時間を割きたいと思うようになります。そして、独立するのに「洗濯業」を選ぶのです。

ほとんど国内で洋服のクリーニングという需要がない時代から、洋装が増えて受注増、支店や工場を増やしますが、なかなか災難続き。最大の災難は関東大震災。

 

でも、この時代の日本人のバイタリティの有ること、驚きですね。災難を踏み越えて、更に工場を拡大し、業績を上げていきます。その様子が淡々と語られていきます。

 

 

 

図書館で借りた本は古かったです。端が黄色く変色してました。

 

信仰のお話なのですが、どうしても「クリーニング業の歴史」っていう部分に惹かれてしまいました。

 

関東大震災で甚大な被害を受けても再建されます。それだけ洗濯業の需要が拡大していたのが想像できます。しかも当時はクリーニングを利用される顧客は高所得者さんで、料金も高かったのです。それに比べて職人さんの給与は低く、まぁ儲かる業種だったのでしょう。

 

やがて機械化から大量生産、料金競争と薄利多売な業種になります。この本を勧めてくれた有馬氏の実家ではクリーニングの取次店をされていたとか。業界全体が数を追う方向に突き進んでいました。その事がご迷惑をかけた事も有ったようです。お話を聞いていて、申し訳なく思えました。

 

また、当時の職人さん達が定着しない様子も分かります。当社の創業者(私の親父)はこれを嫌って、機械化を目指します。当時、まだどこも職人さんがアイロンを使って仕上げるのが普通だったのですが、プレス機を導入して近隣の女性のパートさんで仕上げをしようとしたのです。

 

この元になっているのも実は白洋舎でして、当時下請けで出入りしていて、新卒の男性がプレス機を操作しているのを見て、「これだ」と思ったのです。

 

しかし、当時は国産のプレス機はなく、全て輸入品でした。また、そのクリーニング機械の輸入元は、白洋舎の系列会社でした。白洋舎も機械化をするのに、自前で商社さんを作っていたのです。私に取っては懐かしいお話です。