日本では、「政治と金」の事でもめてますね。TVを見ていたら、今の状態は「ロッキード」とか「リクルート」に匹敵するような大事件の真っただ中にいるようなものらしいです。全容が公になって、古い体制が崩壊して、新しい時代が来るでしょうか?なかなか(全然)そうは思えないですよね。

 

 

 

  世界でもっとも貧しい大統領

 

ホセ・ムヒカは、1935年生まれで、2023年現在で88歳(ご健在)です。

南米のウルグアイの第40代の大統領を務められました。2010年~2015年。

ウルグアイが軍事政権下にあった時には、ゲリラとして活動され四回投獄され、二回脱獄。13年も刑務所入りしています。軍事政権がなくなってから立候補して、大統領を勤めることになりました。

 

この本でも、その在任中にあった2012年にブラジルのリオデジャネイロで開催された国連の会議でのスピーチから注目を集めた人です。

 

スピーチの内容はストレートで痛いところを突かれた、って感じですし、それを言う本人はそういう事を実践しているのです。言いたい事をズバッと、たとえ相手が大国であろうと、お構いなし。そして、実生活では、大統領の公用車を使わずに、自分が所有するワーゲンのビートルを使っていて、この車がなんと1987年製。2014年の価値でも30万円位という車です。決して贅沢をせずに、質素に生きることを実践されています。大統領の報酬もその90%を寄付していて、残りの1,000ドル/月で生活すると言います。一国の大統領としては、本当に貧しい(質素と言うべきでしょうね)生活をされているのです。

 

 

  2014年 国連会議でのスピーチ

 

2012年の国連のスピーチの全文はリンクから読んでみて下さい。

 

 

私が「そうだ」と思ったのは、

ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ車をインド人が持てば、この惑星はどうなるでしょう。

そうですよね。誰もがこの事実を想像すると怖くなるので、先送りにしているだけなのです。どれだけの鉄などの資源、そして空気中の酸素を消費するでしょう。
 
彼は、
我々の前に立つ巨大にな危機問題は、環境危機ではありません。政治的な危機問題なのです。
彼は、お金を持っている少数の人達が、更にお金を増やそうとする行為に警鐘を鳴らしていると思います。
 
指導者(ここでは政治家かな)の仕事は多数派(=お金持ちではない人達)の人々の利益を代表すること。彼(ムヒカ)は、裕福な人々を嫌っているわけではないが、この仕事(政治)を少数派(=裕福な人達)の人がうまくできるとは考えていないのだ。
裕福な人々は世界を彼らの視点、つまりお金の視点から捉えます。たとえ善意に基づいて取り組んでいるときでも、彼らの世界観、生活観、それに何かを決定する観念を提供するものは、お金です。
なので、彼はウルグアイで政治をするのに、ウルグアイの民衆と同じ程度の所得で生活をしようとしているのでしょう。そして、その中で素晴らしく豊な生活が出来るよ、と実践して見せているのだと思います。
 
 

 

  理想だけど実際には

 

自民党の派閥のパーティ券のキックバッグの裏金疑惑でもめている日本では考えられない政治家ですね。こんな政治家、日本なら市会議員レベルならいるかもしれませんが、県議会でもどうでしょう。こうしたお金のかからない選挙とか、市民の(県民の)為の政治をと訴えてくれても、当選して議席を維持できるかな。
 
軍事政権下ではゲリラ活動。四回投獄されて二回も脱走。軍事政権が終了して、議員から大統領。日本でいうなら、明治維新の英雄さんかな。しかし、当時の維新の為政者たちは、西洋の文化や技術を学び、真似る事に終始して、民衆の事など考えていたのかは疑問です。
 
ホセ・ムヒカが手本は、キューバのゲバラ。英雄です。今もその色は濃いのでしょう。彼が、目指すのは、富めるものから貧しきものに与える仕組み作りなのでしょう。彼自身、大統領の給与の90%を貧民層に寄付して、残りで生活をエンジョイ出来ていると言います。
 
原始時代に戻れとまでは言わないのですが、彼が政治家なら、どうすれば良いのか?その道筋を示して欲しいように思いました。なるべく世界の人が平等に。
しかし、それでは、競争原理が働かなくて、技術の進歩や生産性の向上が鈍るように思えます。共産主義の旧ソ連や中国の政治が独裁的になっていることからも、(金に汚くても)今の日本の政治の方がマシと思ったりするのです。
 
ステキな逸話がいくつも登場します。年代物のワーゲンのビートル(ドイツで生産中止になってからもブラジルで生産していたからね)に乗っているお話。恐らくキャブレーター仕様でコンピューターなんか一個も使っていない時代の車でしょう。部品だっていつまでも取り換え可能で、乗る気があればいつまでも乗れるでしょうね。しかし、燃費はどうなんだろう。彼の年間走行距離が長いなら、燃費の良い最新の車に乗り換えた方が環境負荷は小さいかもしれません。
 
また、ある青年がヒッチハイクしていて、停まってくれた車を運転していたのは、なんと大統領だったという逸話。ビックリしただろうけど、出来過ぎみたい。外国メディアの取材中に貧しい人から「恵んで」と言われて、メディアの前でお金を渡したって話も、スタンドプレーって思われてもしかたないですね。そんな事したら、どこにも出歩けなくなりそう。
 
人口300万人の国だから出来ることだろうか?大阪市なら270万人。横山市長は、ビートルに乗って自宅から通えるかな。滋賀県なら140万人。三日月知事なら可能だろうか。
 
♪愛の歌を歌っていれば、世界は平和に♪と思っていた時代が有りました。世界中の人達が原始時代とは言わなくても、1950年代位の生活で満足すれば、今の地球規模の環境破壊をひょっとしたら止められるんだろうか?そう思いたいけど、実現できるでしょうか?
 

 

  自転車のお話が登場

 

彼の逸話には、あのワーゲンのビートルが有名なのですが、本文には自転車の話も登場します。彼は13~17才の頃は、自転車競技のアマチュアレーサーだったそうです。そして、今も青いプジョーの自転車を保有していて、60年も前の物とは思えない位だそうです。
 
私は(今)持っているもので贅沢に暮らすことが出来ます。
そういう、彼の考えの中に、この自転車っていうアイテムが多大に影響しているのだろうなぁ~と想像ました。自転車は部品の互換性が高くて、年代やメーカーを問わず、交換できることが多いようです。長く乗り続けられます。当時のフレームですから、当然「スチール」製ですね。修理だって効くでしょう。
 
そして、体重60㎏の人間が移動するのに、重量が20㎏にも満たない道具を使うのと、今や軽自動車でも1,000㎏にならんとする道具を使っての移動では、消費するエネルギーの量は全然違います。