これは映画とかドラマなどの映像化とは関係のない本です。
本屋さんで縦積みになっていて、思わず手に取りました。私と同じおっさん世代だと、この★★のマークが懐かしい人も多いでしょう。それと、若い人だとあのミニ四駆のブームの時代に小学生だった人もいるかな?

作者さんは、TAMIYAの社長さんです。自伝ですね。(今では会長さん。でも代表権もある)おっさんにも懐かしいお話がいっぱい。中小企業の苦労話もありますし、成功されたからちょっと自慢話もあります。戦後のドタバタから今に至るまでしっかり会社をされてきたその理由がちょっぴり分かった気分になれます。

二代目さんなのですが、最初は木工の模型のメーカーさんだったと言います。ところが、戦後アメリカなどから、あのプラスチックモデルが輸入されるようになって、愕然。その精巧なつくりは木工ではとても出せません。
当時の木工の模型っていうのは、素材の販売で実際にはユーザーさんが彫刻刀などで、細部を削り出して作っていくようなものだったそうです。それに比べるとプラモデルは簡単でしかも、細部までキレイ。

苦労してプラモデルにも手を出されますが、慣れない分野では大きな赤字も出してしまいます。
その当時は金型屋さんがすごくいばっていたそうです。世はプラスチックブームの時代で、仕事はいくらでもあったのでしょう。法外と思える価格を提示さえても、飲まざるおえない。すると、金型屋の前にはキャデラックが止まっていた・・・・
しかし、TAMIYAは後には金型も自社で製造するようになります。きっとこの時の苦労が有ったあらでしょうね。それと、この金型屋の親父のことは誰に取っても大きな教訓ですよね。

私も子供のころはプラモデル大好きでした。覚えているのは、プラモデルを買いに百貨店に連れていってもらいました。きっとお年玉かなにかだったのでしょう。しかし、百貨店のショーケースにはすごく大きな(今から思うと輸入品だったのかも知れません)航空母艦が鎮座していて、私が買えるようなものはほんの少しだけでした。まだまだ高級品の時代だったのでしょうか。親に「マルサン」のプラモデルと言っていたのを覚えています。(マルサンは一度倒産させているようです)その後、街の文具店や玩具屋にプラモデルが並ぶようになりましたね。

その中でも「戦車」は特別でした。部品数が多いので、作り甲斐があります。車輪が多いのですが、下手に接着剤を多く使うと接着した車輪が回転しなくて、泣きそうになった記憶がありますね。
本の中に、TAMIYAでは著者の信念として、誰もが楽しめるプラモデル作りとして、分かりやすい説明書を心がけたと有ります。本から拝借すると


この図解にわずかに記憶があるのです。
うぅ~懐かしい。

TAMIYAの模型は失敗が無いのでした。慣れたものにはそれが少しうっとおしい、と感じたんだよなぁ~。「これだと誰でも組み立てられるじゃないか」(笑い、笑い、笑い)
私だけでなく、日本では戦車のモデルに人気があると言います。でも、海外ではそうでもないそうです。実際に国土をこうした戦車が走り回った記憶のあるヨーロッパの国々では、ある種の嫌悪感があると言います。日本はそういう事が無かったから、私のような無頓着な子供が育ったのでしょう。

スロットレーシングカーとかミニ四駆とかヒットを飛ばして、TAMIYAにも上場の話があったと言います。
しかし、その時に社長は株主のご機嫌をうかがいながらプラモデルを作るより、上場なんかしないでTAMIYAは今までのTAMIYAで有り続ける、と言われたそうです。

いやぁ~そっちの方でもしびれるなぁ。