まず、分かりやすい例え話しとしてオーバートレーニングとアンダートレーニングの話しをしたいと思います。オーバートレーニングというのは、自分の筋力の限界を越えて疲労が蓄積した状態です。アンダートレーニングは逆に、必要な刺激が加わらないため筋力が弱化した状態です。両者ともに、パフォーマンスが落ちた、疲れやすい、やる気が起きない状態、に陥ります。その時の状態だけ見れば同じように見えますが、原因は正反対ですので、対処法ももちろん正反対になります。つまり、オーバートレーニングの場合は休息させなければいけませんが、アンダートレーニングで弱っている場合は少しずつ負荷を加えて鍛えなければ回復しません。
近年、不登校の増加が社会問題になっていますが、生きづらさへの同情と同時に疑問に感じることがあります。それは「イヤなら無理して行かなくてもいいよ。」「頑張らなくていいよ。」という親の対応です。私の幼少期は学校は行くのが当たり前だと思いこんでいてなんの疑問も感じませんでした。もし、親に「行かなくてもいいんだよ。」と言われたら行かなくなったかもしれません。「行かなくてもいいよ。」というのは子どもの負担を思いやって言っているつもりなのでしょうけれど、少し長期的に想像してみて下さい。休めば休むほど勉強は遅れをとり、クラスであった出来事など知らないことが増えます。クラスに溶け込んでいくことが余計に難しくなるでしょう。どんどん学校に行きづらくなり、外に出るのすら不安になっていきます。中学、高校進学と環境が変わるタイミングで通学出来るようになる子もいるかもしれません。しかしいずれにせよどこかで一念発起して頑張らなければ、不登校から引きこもり、生活保護、というのがむしろ自然な流れです。社会復帰へのハードルは歳を重ねるほど上がっていきます。つまり、私が言いたいのは、子どものときに「無理して」「頑張った」方がいいのではないかということです。大人になれば周りからの期待や要求も増えます。30歳になって社会復帰と頑張っても、どうでしょう。学歴、資格はおろか、なんの経験もない30歳の就職口は選択肢も少なく、労働条件も悪いでしょう。やっていて嫌になるような、続けられない仕事しかないかもしれません。労働条件の悪く、やりがいも感じられない仕事を続けていくのは難しいです。
子どもは順応性も高く、柔軟です。大人になって考え方が凝り固まったり、周囲の期待値が上がってから努力をするのではハードルがどんどん高くなってしまいます。初めて保育園や幼稚園に行くのに、母親と離れる不安で泣いてイヤイヤすることってありますよね。でも行ったら先生もやさしくて、同じ立場の仲間もいて、すぐに慣れた、みたいな。乗り越えてしまえばたいしたことではなかったような。そしてそれがひとつの経験、ひとつの自信になります。イヤなら行かなくてもいいんだよといって選ばせていたらいつまでも行かない子もいるでしょう。そしてその子はどんどん行きづらくなるのです。それは親のやさしさでしょうか。
転校やフリースクールなど、頑張れそうな環境を選んであげて下さい。中学を出て義務教育を終えてから、就職を支援したり家業を手伝わせるのもいいと思います。ただ行かないでいい、頑張らないでいいというのは違うと思います。トレーニングの例え話しを思い出して下さい。ストレス耐性というのは筋肉と同じで、負荷をかけて鍛えなければだんだん弱くなってしまいます。少しづつなにかに挑戦して、成功体験を得て行かなくてはならないのです。ほんの小さなことでもかまいません。学校に行けた、挨拶が出来た、○○ちゃんと話せた、。「今日、○○ちゃんと話して楽しかった。」、思えば幼少期、夕飯を囲みながらそんな会話をしていたと記憶しています。自尊心は成功体験を繰り返すことでしか育ちません。体験する機会、ちいさな挑戦をする機会を、たくさん作って上げて下さい。