うさ飼いになった ねね | 庭のOHANAうさぎ

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~ うさぎとお花とお野菜と ~
お庭再生奮闘記

こんばんは
ママうさぎです
 
 
 
 
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ねねが去年から学校で始めた企画です
 
 
新聞発行を前に うさぎについての質問箱 を設置しました
すぐに質問箱に質問がありました
 
 
さて ここからは悲しい事もありますよキョロキョロ
 
 
学校うさぎ  という存在が
いつも頭にあったこの3年間
かんなさんと知り合い
学校うさぎの現実をよく知りました
 
 
かんなさんは
うさぎに対して無知な学校に
手を差し伸べサポートし
うさぎ飼育の現場が良くなる様に
努力していました。
うさぎ愛ゆえに負担が増え
それでも
病気になったうさぎさんは放っておけず
保護し治療し
出産を手伝い里親さんを見つけ
送り届けるところまでされていました
 
私には真似できず、ただ憧れるだけでした
 
 
学校ははっきり言って誰の物でもなく
校長や先生や子供達みんな去って行く場所
動物飼育をしていく上で責任の所在がはっきりしません
校長先生に主導権があって
その時はその時の校長先生次第の
対応と責任です
 
 
校長先生や先生が転勤するのは仕方ないし
飼育係の先生もなりたくてなった人は何人いるでしょうか?
他の係の先生よりも責任を感じていると思います
子供達が無知なのも
飼った事がないんだから仕方がありません
私だって鹿や豚の飼育はできません無知だから
誰も責める事は出来ないんです
 
 
はっきり言って誰も強く飼いたいと思ったわけではないし
飼う時に命を守る決心していません
私達うさ飼いとは違うんです
 
 
しかし
無知がゆえに不幸が不幸を呼ぶ事も多いと聞きます
雄雌を一緒に飼って
劣性遺伝を助長させたり
多くなりすきで治療すら受けれないで苦しんで逝ってしまう
 
 
声も出ないうさぎさんに悪さする人間もいます
悪さする人間からすれば愛情を持った飼い主のいない動物は
手を出しやすいのでしょう
命をかけて守ってくれる飼い主がいないのですから
みなさんなら命をかけますよね
 
 
そもそも
安定した支援者かつ理解者もいない所で
動物を飼うべきではありません
 
 
 
私とねねは
3年前のゴールデンウィークに
学校で産まれたばかりのこうさぎが
死んでいるのを見ました
ハエがブンブン飛んでました
餌は空でした
飢えていた母うさぎが育児を拒否したのだと感じました
いつから食事がないのか悲しくなり
私達はまろんのペレットを母うさぎにあげました
休みはあと2日あったので
たくさんあげました
息つく暇もないほど食べていました
あの日のねねの顔が忘れられません
まさかこんな光景が自分の目の前に・・
なんだろう・・よく分かんないこんなの・・
そういう顔でした
 
 
ねねはあの頃
まろんをかわいいと思うだけで
大切にしようとする努力が足りませんでした
かわいがるだけでお世話を任せられませんでした
まだ飼い主と呼べるものではありませんでした
でもあの日からじわじわとねねの中に
うさぎを守るという気持ちが少しづつ膨らんできました
 
 
ため息ばかりのゴールデンウィークを送った私達は
休み明けに校長先生に手紙を書きました
ねねはドキドキしながら
初めてうさぎを守る行為をしるべく
担任の先生に手紙を渡してくれました
2年生でした
その日の夕方校長先生に電話で謝まられました
理解と配慮が足りなかったと・・
私も勝手にペレットをあげた事を
謝りました
 
 
 
それからは  嘘でしょ?というくらい沢山ペレットがあり
雄雌を分けて飼育していました
少しホッとしていました
 
 
しかし
ある日あの母うさぎさんが死んでしまっていた事を知らされました
公に知らされる事なく飼育員によってか先生によってか
埋葬されていました
子供たちは知らされていませんでした
なぜ知らせないのか・・・
死がショックな事だから?
なぜ悼む事も取り上げられているのか?
 
 
なぜうさぎは学校に必要なのか・・
食糧難の頃の食糧として
うさぎが飼われたと言われていますが
今飼育する名目は命の教育ですよね・・・
 
 
困惑した私達
でももう学校にうさぎはいない
心配はもうしなくていいんだと正直思いました
しかしまた1匹飼われ出しました
無意味な繰り返しが始まってしまいます
これが 学校うさぎ という事なんだなと思いました
 
 
今年度からねねは飼育員になれる権利がありました
でもあの時の子ウサギ事件が心につまっていて
前期は飼育員になろうとはしませんでした
 
 
でも後期 飼育員になると秋ごろから言い出しました
決心がついたようでした
学校に行ったら私もうさ友さんも誰も助けてくれません
重い信念をもって飼育員をする人は
自分だけと知っての決心でした
うさ飼いにとって納得のいかない事が
待ち受けているに違いないのです
 
 
しかし
まろんの闘病やみんなの病気やお別れが
ねねを強くしていました
放っておけなくなったのです
 
 
そして間違った知識が
うさぎを危険にさらすという現実を
目の当たりにしたからです
ある日友達の飼育員が「うさぎは耳を持つんだよ」と
話していた事に怯えたからです
お友達はおばあ様から聞いたことを信じていました
うさ飼いさんにはとても恐ろしい情報です
ねねの心臓はバクバクと音を立てていたそうです
ねねは私に話した時とにかく怒っていました
あんなねねは初めて見ました
でも おばあさまの時代は
うさぎは食料だったのかもしれないので仕方ないのです
ペットとしてのうさぎの扱いを知らないのです
 
 
でも そんな事が広まったら大変です
ねねの数少ないそのお友達に
珍しく強い口調で訂正したそうで
私も学校の飼育担当の先生に
間違った情報なので訂正して
飼育員の中で耳は持ってはいけない事を
徹底してくださいと言いました
先生はきちんと聞き入れて子供たちに指導したそうです
お友達はねねを理解してくれました
 
 
飼育員になってからは
担当の先生がもう一度うさぎの耳を持たないように
と新飼育員に話してくれたそうです
担当日に飼育小屋の掃除をするねね
チョコちゃんといううさぎさんのの様子を
私に話してくれました
 
 
 
担当の先生が相談しやすかったこともあって
ねねは新聞発行を企画しました
学年女子の飼育員にも相談して手伝ってもらってます
しかしねねみたいなもんがうさスキルが一番高いので
結局一人で記事を書き上げる事になり
発行日当日までバタバタし
最後は学校で書き上げ
 

 

 
先日第1回の新聞を無事発行しました
 
 
子供達ばかりか先生にも反響があり
他の先生からもうちのクラスや廊下に
貼っても良いと許可が出ました
 
そして早速
第二回発行の質問箱にも質問がありました
 
 
この新聞にはねねと私の思惑があります
○うさぎについて知識をつけてもらう
子供に限らず先生にも
次にどの先生が担当になるか分からないし
○みんなにうさぎを理解してもらい感心を持ってもらう
してはいけない事をみんなに分からせチョコちゃんの命を守る
○チョコちゃんをアイドル化させみんなに親衛隊になってもらう
悪さをする人あらば注意してもらう
チョコちゃんの健康に関心を持ってもらう
○飼育員になりたいと思う子がいたらいいな
ねねも卒業する時が来ます 続けなければ意味はありません
魅力的な新聞にしていけたらと思っています
○チョコちゃんが逝く時があれば公表できるようにしてもらう
ひっそりと埋めるような事なく1人でも寂しいと思ってほしい
そこからきっと いろいろ学ぶと思います
 
 
こうしなければならないというのは押し付けでしかない
気になる してあげたい という温かい気持ちが生まれる事が大事です
好奇心も大事です
なので 質問箱でまず参加してもらう
質問してくてもらいみんなで新聞を作っていくスタイルにしました
質問してくれる学年が増える程 関心は高まります
そういう気持ちをもって今回の質問を選んだので
その答えに みんなが驚いてくれたのは好感触です
 
 
うさぎを守るという事を
飼育員や先生だけではなく
生徒達に託したい
6年間も学校にいるのは校長先生でも先生でもなく
子供達だから 育つ心があるなら
試してみようと思っています
 
 
命の大切さを学ぶには
まず少しでも愛があった方がいいに決まってる
愛があってこそお別れを悼めると思います
 
 
 
時期ねねが飼育員になれるか分かりません
でも新聞のお手伝いは続けていきたいと言っています
理想のようにいかないかもしれない度60%
失敗するのも怖いけど
うさぎ飼育が大変な事になっている学校がある中で
うちの学校は綺麗な環境だし
担当の先生も支援してくれます
そしてチョコちゃんだけなので
 
 
こんな事しかできないけど
やってみます
 
 
しかし いつの間にか
ねねはうさ飼いになってました
守ろうという気持ちと責任
それが証拠です
 
 
ニコニコうん まろんがおねぇちゃんを育てたんだよ
ありがとねハート
これがまろんの使命かもよキョロキョロビックリマーク
 
 
テストは隠すけどねチューチクッ
 
 
お願いお付き合いありがとうごさいます