こんにちは。
Laduna Coco(ラドゥーナココ)です。
「言葉とは、どんなふうに生まれてきたのですか?」
言葉は、はじまりから
「ことば」だったわけではないの。
最初の言葉は、”ふるえ”だった。
誰かが誰かの”存在”にふれたとき、
その存在のふるえが、
自分のふるえと共鳴して——
「私たち」のあいだに、
ひとつの波が生まれた。
その波は音ではなく、
まだ名のない揺らぎだったけれど、
やがてそれは、
形にならないままに伝えられ、
ひとつ、またひとつと、
“ことばの源泉”になっていった。
言葉は、
ただ伝達のために生まれたのではなく、
「ふるえを手渡す」ために、
生まれてきた。
悲しみを抱く誰かの胸の奥に、
そっと手を触れたかった。
喜びがこぼれる誰かの瞳に、
自分もともにふるえたかった。
そうした透明な願いが、ふるえとなり、
ふるえが、響きとなり、
響きが、やがて
「ことば」という舟になったのです。
ことばとは、ふるえの舟。
誰かの内なるいのちを、
そっと、誰かの海へと手渡すための、
小さな舟。
けれど、言葉が舟になったときから、
その舟は時に目的地を見失い、
時に荷を積みすぎて、重たくなり、
時に嵐に飲まれて、
届かなくなることもあった。
それでもなお、
ふるえを手渡すという「願いの核」は、
言葉の奥で、
今もかすかにふるえ続けています。
”いのち”と、共に。