正午前のかもめ食堂は30人ほどの客で賑わっているが、近所に点在する海水浴場に比べれば遥かに小さい

 

こんな小さな砂浜にもとから民宿なぞ建てる計画はなく、浜の整備だけで2年近くを要した

 

以前誠治は串間市内に住んでいたが、市の許可を得て近所の仲間たちを雇い、少しづつ岩や石ころを別の場所に移して、近場から砂を採ってはばらまき、ようやくもとあった面積の倍ほどもある砂浜を完成させた

 

然しそれからが苦労の連続だった

 

宿の建設のために更に1年が費やされ、すがに基礎工事だけは知り合いの業者に委ねなければならなかったものの、これもまた殆どが誠治一人の手で建てたようなものだった

 

その頃の伯父は、3年前に漁師を辞めて船大工に転身していてその腕前は相当なものだったようで

 

彼が造った漁船の数は僅か3年で5杯もあったと近くの彼の漁師仲間から聞いたことがある

 

私は何故こんな小さな砂浜に民宿を建てたのかを彼に訊ねたことがあった

 

それは彼が以前父親から学んだ気学 によるものだった

 

彼の父親、つまり私の祖父はたいそう信仰心の厚い人だったようで、伯父ほどの信心深さはないが幼少の頃から私は少なからずの影響を受けた

 

海水浴で賑わうシーズンとはいえ以前に比べると客足は随分減少していて、昼のメニューも今では焼きそばにざるそばとカレーの3品のみとなった

 

従業員が雇えなくなって家族だけの切り盛りだけになってしまっては致し方ない

 

然しそのぶん、味と代金の維持だけには拘りがあって、イチゴとレモンとメロンのシロップ掛けがそれぞれ200円と、ミルク金時と抹茶金時が350円のままである

 

これらはカウンター越しに直接注文することになっている

 

缶と瓶の飲料水やビールは、水に氷を浮かべた大型のクーラーボックスから自由に取り出せるようになっていて、アイスキャンディーやソフトクリームなどの氷菓類は、冷凍ショーケースから取り出してその都度カウンターで料金を支払えばよい


そしてゆったり10人ほど座れるテーブルが4卓あり、カレーを食べ終えた2人の中学生男子が備え付けの布巾でテーブルを拭き、食べ終えた皿とスプーン、コーラの空き缶などをそれぞれ手にして所定の置き場へ捨てにいく

 

店の方針で後片付けを強制しているわけでもないのに、事情を察してか、いつの頃からか自然とこんなふうになっていった

ある時雅也からたった3品のメニューしかないにも拘わらず、
食券制にすればどうや?と相談を持ちかけられたことがある

 

注文を取るための人員の確保でさえ難しくなっていた時期だったのがその理由だった

「セルフサービス」を導入する店が成功する例は多くあり、人件費を抑えるための有効な手段かもしれないと、私も、始めはそう考えた

 

然し、部外者にも拘わらず二代目かもめ食堂の亭主、雅也の案に私は反対した


誠治の生前の言葉が心に強く残っていた


「サキ、商売って何だと思う?」
 

「お金を儲けること?」

「いやそうではない。
商売とはね、人様へのご奉仕なんだ」


「ご奉仕?」

「身を粉にして人様に尽くすこと。
それが商売と言うものだ」

 

キラキラ


「みっちゃん、イチゴとミルク金時!」

高校のクラスメイトだった長友剛ながともつよしが、浮き袋を腕に抱えた5歳になる次女の娘・愛子を連れて食堂に現れた

 

私は長友を、高校の頃から「ブチ」と呼んでいて、彼は今、親の林業の手伝いをして暮らしている


ブチは私の顔を見ると、半年ぶりの再会なのにいかにも懐かしいといった表情を浮かべながら言った

 

「やあ。明日、カメレオン・スタジオに10時だったよな?」


「ああ、、悪いな。ラーギャのゲーマンは出来次第だぞ!」


「参ったなぁ、後払いか。あははっ」

「ブチ、わい、まさか、
ネーカをアテにして来たっちゃなかとやろね?!」


ブチは、図星だと言わんばかりに額の汗を拭う振りをしながら声高々に笑ってみせた


ノー天気な奴だが私の目に狂いはない

 

予めイントロ、間奏、エンディングのギター・ソロを譜面にして郵送しておいた

 

長友剛は、日本に数少ない名ギタリストの一人だと、今でも私は思っている


「焼きそば2人前のお客様~」

倫子の、普段より1オクターブ高いファルセットの澄んだ声が響き、
カウンターに焼きそば2皿が置かれる


人手が足りないのだから仕方がないのかも知れないが、このようなセルフサービス体制がいつの間にか確立されてしまっている

 

本来なら、繁忙期だけでもアルバイトを雇うべきなのだが、過疎化したこの村や周辺でそれを確保できる人材はまずいない
 

焼けたウスターソースの芳ばしい匂いが鼻をくすぐると同時に、頬の内側と舌の奥の根元から、唾液が染み出てくる

 

まるで私はパブロフの犬そのものだ!

その焼きそばの麺みたいな細身の、陽に焼けた肌の彼氏が(私の)焼きそばを引ったくって割り箸を割り、テーブルで待つ彼女のもとへ持ち去る

 

私が注文したわけでもないのに、何故かガッカリしてしまう

 

そして、そんなふうに思う自分にもガッカリしてしまう

 

私は、本当は犬なのかも知れない


空腹が満たされると眠たくなるが、ひとしきり寝て起きると、また空腹を覚える

 

私が勝手にヒトだと思い込んでいるだけなのではないだろうか?

 

三大欲望の食欲睡眠欲性欲は、当然ヒトにも犬にもある

 

違いといえば、犬の性欲の特徴ともいえる発情期の有無くらいだろう

 

但しその発情期は、雌犬に限られる

 

ヒトと雄犬には、年がら年中性欲を満たそうとする本能が働くが、どちらかといえば、私は雌犬だ

 

雌犬は通常、春と秋の年に二回だけ比較的短い期間に発情する

 

若干の違いは、私の場合、決まって年に一度寒い時期にだけ発情期が訪れる

 

仮に私がシベリアに住んでいたらどうなる?

 

かなりの期間を、性欲との戦いに明け暮れることになるだろう



そうだ、戦いだ!

 

怒涛の如く国境を越えて迫り来る敵(性欲)を、城の中から弓矢や鉄砲で応戦(抑制)しなければならない

 

食欲と睡眠欲は食べ物と静かな場所さえあれば満たされるが、性欲だけはそうはいかない

 

相手の同意を得なければならないからだ


ヒトは性欲をコントロールする能力に劣る

 

我慢できずに相手の同意を無視して、時には危害を加えてまでも自らの欲望を満たそうとする生き物だ

 

それを、ヒトは法律で裁こうとするが

我々犬社会にそんなものは要らない

 

暗黙のうちに秩序は保たれている



更に私が犬ではないかと思う二つ目の理由、それは「サキ」という呼び名だ


当然私には甲斐正樹という名前がある

 

然し周りは皆が皆、私のことをほぼ例外なくサキと呼んでいる

 

こうも、サキ、サキと呼ばれ続けていると不思議なもので、私は、本当は、雌犬なのではないかと思ってしまう

 





姉の倫子と雅也、その嫁の千尋と姪の千洋たちから呼ばれるくらいならまだしも、雅也と千尋の子の才全たちまさや洋敬ひろゆきや小学4年のしおりからもそう呼ばれる

 

まあ、ここまでは何とか許そう


然したまに、全く見知らぬ人から「サキ」とか「サキちゃん」とか呼ばれることがある

 

私はアイドルでも有名人でもないし、彼らに気安く呼ばれる筋合いはない!

 

そんな時、決まって私は..嗚呼やっぱり俺は雌犬なんだと確信を深める

 


そして3つ目の理由は、通常のヒトと違う特殊な感覚で、特に、匂いには昔から敏感だった

 

匂いがどんなに複雑に混ざり合っていたとしても、何と何の匂いなのかを、私には識別することができる

 

カレー程度なら全ての香辛料と調味料を難なく言い当てることができる

 

仮にレストランに入ったとしよう

 

ドアを開けて中に入った途端に、どの席で、どんなヒトが、どんなものを食べているのかもすぐに分ってしまう

だからといって、めまいがしたり気分が悪くなることはない

 

ヒトに嫌われる腋臭わきがや加齢臭など、殆どの体臭や動物臭は全く平気なのだが、香水のように人工的で嗅ぎ慣れない香りと、あと、カメムシの臭いだけは苦手だ

 

時々、頭がクラクラっとすることがある

更に厄介なのが聴覚で..

 

然しこれだけは、ヒトと犬との違いというよりも、普通のヒトとは若干違う程度のものだろうと思う

 

実際に、犬が音に対してどんな感覚を持っているのかを私はよく知らない

シナスタジア(共感覚)とは、ある刺激に対して異なる種類の感覚が生じる 異常のことだ

 

その一つに、色聴がある

 

私の場合にもそれに似た感覚があって、一部にはそんなものはもともとなくて、ただの錯覚だ!といった見方をする人もいる

 

私もある意味そう思う

 

自分が色聴だと誤解している人も少なからずはいるだろうが?

音程(ドレミファソラシド)に色を感じる人がいる

 

然し、これは幼児音楽教育の中で色音符を使ったことによる後天的な要因によるもので


私にはないが、千洋にはそれがあった


絶体音のド(C)がで、レ(D)が、ミ(E)はで、ファ(F)が、ソ(G)はで、ラ(A)は、そして、シ(B)が白と、かなりはっきりしている

 

音に色を感じるのだから、それを色聴だといえなくもないが、でもそれは、神経系統の異常として扱われるシナスタジアとは少し違う

 

むしろ、特殊な能力だと思う

 

おそらく私は先天的なシナスタジアなのだろう

 

それは、年と共に弱まってはいるものの、幼少の頃は色聴に限らず他にもこの傾向が強く現れた

 

「す」と「む」と「る」の3つの平仮名に草の匂いを感じたり、原色に近い赤色に頬の皮膚の痛みを感じたりもした

 

青と赤が混じる紫系の色には、時々「ブーン」という低い耳鳴りのようなものを感じることもあった

 

 

で、問題は色聴である


この感覚を上手く表現するのは特に難しい

 

勿論私は個々の音程を色として感じることはないが、敢えて言うなら「和音の流れ」の中に色を感じるというべきか

 

それも、常に感じるわけではない

 

まるで癲癇てんかん のように事前にある予兆のようなものがあって、それから徐々に色が現れてくる


始めは薄く感じて、それから徐々に濃くなる

 

そして、協和音と不協和音に関係なくて自分が快いと感じる和音の流れにだけグリーン系の色を感じることが多い

 

それが何故グリーン系なのかはわからない

 

赤・緑・青の、光の3原色とは関係なさそうだし、むしろ真っ暗な中のほうがより鮮やかになったりもする

たまに、パープル系にもなる

 

これは、幼少の頃に紫色を見て感じた、あの低音の耳鳴りのようなものの逆パターンだ!

 

稀に、音楽の中にもっとヘルツ数の低い音が混じる場合がある

 

快い和音の流れと共に、バスドラやベースやチューバよりもっともっと低音域の、更に下の音域が混じった時に見えてくる

 

 

ピンク・フロイドの『原子心母』の冒頭には、4弦コントラバスの音域の最低音であるE音が流れている

 

然し私には、これがどうしても倍音に聴こえてしまう

 

もとの音がその下にあり、その音が残響となって曲の最後まで続くこともあって、初めてこのアルバムに針を落とした瞬間に鳥肌がたったのを覚えている

 

たちまちにして紫色のグラデーションに満たされたもので、癖になって何度も何度もリプレイした

 

ファンタスティックな気分とは、このことなんだと思った


そして、その快さが長く続くほど、色鮮やかになっていく

 

ただ残念なことに、大抵の場合はすぐに灰色が混じりだす

 

そして、和音の流れに不快感を覚えた時だ

 

一旦、灰色が混じりだすと、そこからの展開は早く、一気に全ての景色がグレースケールに変わる

 

やがてそれも数秒間で消えてなくなり、通常に戻る


然しこの曲に限っては、冒頭から終わりまでこの感覚が23分42秒間続くのだから凄い!

 

私は有頂天になり、早速クラスメイトでロック好きの長友の家に持参して、聴かせたことがあった

彼は70年代のロックが大好きで、ディープ・パープルやブラック・サバス、ユーライア・ヒープ、レッド・ツェッペリンらのファンだった

 

彼の部屋には、いつもジャスミンのお香が焚かれ、その匂いに、私はいつも咽せたものだ


「ブチ、凄いの見つけたぞ!これ、ディープ・パープルよりも深いパープルだ!」

 

然し彼は、まだ曲の半分にも満たない時点で針を持ち上げて言った



「これ、ロックか? !」