前回の補足になりますが巷には有料でセッションのやり方を教えるスクールというのがあるようで、昨日その宣伝サイトの中に「インプロ」という言葉を見つけたので、以下抜粋してその内容を要約してみます
"今回はよくセッションの現場で使われる「インプロ」について解説します。用語の意味がわかったところでセッションが上達する訳ではありませんが 知っておくと本番で焦らないし、周りのメンバーとのコミュニケーションが取りやすい..そんなセッションの専門用語の1つで「インプロ」とは正しくは英語の「インプロビゼーション=improvisation」の略です。(ちなみに海外でインプロ!と叫んでも意味は通じません。日本人特有の省略語です)また、他にも「インプロバイズする」などと 動詞的に使われたりもします。(中略)..という風に なんだかかっこいい響きのインプロですが、何のことはない 「即興で演奏する」という「アドリブ」とまったく同じ意味の言葉です。でも、よく会話の中で「このBメロの部分をインプロで何かカッコイイの入れてよ」みたいに さらっと使われるので、意味がわかっていないとそれだけで話について行けず、無駄に肩身の狭い思いをする可能性もありますので、初心者のかたは是非頭の片隅に置いてみて下さい。即興=アドリブ=インプロはすべて同じです"
ゲゲゲの認識不足でした (笑)
「インプロヴィゼイション」の省略語があったんですね!
然もセッションの現場ではごく普通に使われているようです
でも実際のところ、本当に"アドリブ=インプロ"なのでしょうか?
そこでふと思い出したのが
シュールという言葉
本来は超現実主義を概念とする「シュルレアリスム」の省略語だったのが、シュルレアリスム→シュールレアリズム(何故かシュルがシュールとなりスムが英語読みっぽいズムに変化)→更に略されてシュールへと変化した言葉で
もとの意味とはかけ離れたニュアンスで「シュールやなぁ~」などと感覚的に使われている気もしますが
一方、日本には中・高生を中心とした省略語文化というものがあって、その省略語たるものが次から次へと増産されて、アっ!という間に死語となっていくんですね
そのために、本来の言葉の意味が曖昧となったり、全く違った概念になる可能性もあったりして
言葉はコミュニケーションのためのツール以外に、 言霊(ことだま)という側面があって、とりわけ音楽に関する複雑な内容を言葉を使って如何に相手に理解してもらえるか、また共感してもらえるかというのは非常に難しいものなんですよね
造語として日本に定着した「シュール」に関する説明を三省堂さんが10分でわかるシュールの中で説明しておられますが、四苦八苦されてる様子が覗えます
ということで、いずれまたもう一度「インプロヴィゼイション」の概念についてはしっかり整理してみることにしましょう
★
補足だけで、既に30分経過 (笑)
あ、言い忘れてましたが
タワシの専門はコントラバスです
真面目くさった表情が笑ける
前回はあれから投稿までに1時間、遅い朝食と換気扇の汚れ落としと部屋の掃除に1時間、あとは2時間ほど寝て楽器の練習を1時間..
で、そのあとも寝てました (笑)
そして明日の夜に久しぶりのライブがあって、残された練習時間はあと僅か!
そうそう、何が言いたかったのか
いま思い出しました!
明日にライブを控えて焦ってたんです
練習不足で (笑)
それでね、この記事を書いた後に必死のパッチで練習するつもりだったのが..
★★
よくよく考えてみると
このような精神状態ではダメなんで
もう寝ることにします (笑)
事がうまくいかない時、ヒトはその原因を「一生懸命努力しないから」だと思いがちですが、逆に何故「一所懸命努力すればうまく解決する」と思ってしまうのかを考えてみると
それは幼児の頃から今日に至るまで、一所懸命に努力することを強制的あるいは無意識に訓練されてきたせいかも知れません
挨拶に「頑張ってね!」が定番の1つになっているようですが、練習嫌いの私にとって「一所懸命に努力しないと社会の落伍者になってしまうよ!」という暗示のような言葉に聞こえてしまうのです
子供の頃、両親や教師からこんな言葉を聞かされませんでしたか?
「もっと、しっかり頑張りなさい」
とか「もっともっと努力しなさい」
勿論努力は必要ですが、そもそも一所懸命努力するって必要なんでしょうか?
場合によっては無理をすることで精神的に好ましくない状態を作り出すこともあるんですよね
努力してもダメだった時、努力が足りなかったと思ってしまった人は前よりもっと努力しようとして、能力の限界を越えてしまいがちになりますが、ヒトの本能には生命維持のための安全弁というものがあるらしくて、能力の限界を越えて努力しようとすると、どうやら潜在意識の緊急回路というものが作動するようなんです
そして、その回路は2つあって
1つは「努力してもダメだった事」に対して回避する、つまり逃げるまたは忘れようとする方向へと進み、そのことを意識外のものにしようとします
そしてもう1つの回路に迷い込んでしまうと、さあ大変!
意識に過度の緊張を与えて一般社会との断絶を計ろうとします
つまりノイローゼ
「一所懸命に努力」することで総てが解決して総ての人が成功するのなら、この世は一流の人達で満ち溢れていることでしょう
然し悲しいかな、こと音楽の一流プレイヤーと呼ばれる人はごく少数であり「努力すること」を1つのエネルギーとして捉えてその最も理想的な形とは
これはあるスポーツのメンタルコーチの話なんですが、1つの運動が完了した時点でエネルギーの収支がゼロとなっていること
つまり、運動に必要なだけのゼンマイを巻きその運動が終わった時点でゼンマイの緊張がゼロになっていることが最も理想的なエネルギーの使い方なんだそうです
言い換えるなら、ある作業に対して最大限のエネルギーを使用するのではなく自然と出てくる最低限のエネルギーで作業を完了させることが理想だということですね
そこでもう一度「一所懸命に努力する」ことについて演奏という立場で考えてみましょう
ある日、演奏が上手くいかなかったとします
「今度こそ!一所懸命努力しよう」と思うことつまり、次回は自然に出てくるエネルギー以上の力で練習してエネルギー以上の力で演奏に臨もうと思ってその結果演奏が上手くいけばいいのですが、もし上手く行えなかった場合
かなりの精神的ダメージを受けることになります
ヒトの体は、自然な行動の結果による疲労であればエネルギーがゼロになっても休息することでエネルギーを再充電して次の日には元気になってまた仕事に取り掛かれるように創られているようなので
不自然で過度の緊張(一所懸命に努力してつくられた疲労)は、丸1日寝た程度ではその不必要なエネルギーが放出されないため回復が困難となり、そのような状態が数日間続けば、精力も同時に衰えていくようなんですね
ニッカド電池は、その能力内で使用すると再充電が200回以上はできるらしいです
しかしそのパワーの限界以上のものを得ようとして許容充電時間をオーバーして充電してしまうと、本来は200回以上繰返し使えるものが、数回充電しただけでまったく電池としては使い物にならなくなってしまうらしいです
世の中で成功するというのは確率の問題でもあるので、チャンスに対して一度のチャレンジよりも二度のチャレンジ、更に二度でだめなら三度、四度チャレンジすることで成功へ近づける方法だってあります
一所懸命努力して不必要なエネルギーを使い続けることで次のチャンスにチャレンジしようとしてもエネルギーの再充電ができないために、せっかくのチャンスを見過ごす結果にもなりかねません
ってなことで、何事も
ほどほどがよろしいようで