まったくもって今更なんですが、日渡早紀『ぼくの地球を守って』(略してぼく地球)を読了しました。

 

 

1986年から1994年に『花とゆめ』で連載され一世を風靡した少女漫画ですね。

前世の記憶を共有する7人の男女が、少しずつ思い出される過去の記憶に翻弄されつつも成長していく物語です。

 

さて、漫画の感想などを書くならまず第一にストーリーのここがよかったとかこのキャラクターが好きとかを書くべきなのでしょうけれど、私の興味の中心はちょっとずれたところにありました。

そもそも私がこの作品に関心を持った理由が少々不純でして……。

 

ぼく地球が連載されていた80年代末から90年代初め頃、主に少女たちの間で「戦士症候群」というある種の現象がありました。

月刊誌『ムー』の読者投稿欄を中心に、前世の記憶がある、自分は超能力に目覚めた戦士であり仲間を探している、といった内容の投稿で溢れた時期があったのだそうで。

雑誌投稿欄を媒介とした現代における集団妄想みたいなものなのかなあ、と思うのですが、ぼく地球はそういった流行りを物語の重要な要素として取り入れてヒットしたもののようです。

 

で、コミックスには連載時の広告スペースだった空白の縦1/4の空欄がありまして、作者の日渡早紀さんはこのスペースを使って色々な話をしています。ここの「わずか1/4のたわごと」欄がまた実に面白いんです。

作者がふだんどんな感じで仕事をしているかとか、飼っている猫の話とか、読者からのメッセージの返信欄としても活用されていました。

ぼく地球の読者たちは、物語の先の展開の予測をしたり、ぼく地球のイメージソングを録音したカセットテープを作者に送ってきたり、非常に強くキャラクターに共感を示して、この物語はまるで自分のことのようだと語っていたり、今時ここまで読者と濃い交流をする漫画家っていないんじゃないだろうかと思います。なんかちょっと危なかしく感じるほどです。

やたらと距離が近いんですよね……当時の漫画ファン界隈の空気って、みんなこんな感じだったんでしょうか。アニメ化に難色を示す原作ガチ勢なんかについては変わらないな、とも思う。

日渡さんはそれらの読者からのメッセージにとても丁寧に対応している印象でした。

 

そして、単行本8巻において、日渡さんは突然、このような注意書きを掲載します。

 

「『ぼくの地球を守って』というマンガは、始めから最後まで、間違いなくバリバリの日渡の頭の中だけで組み立てられているフィクションです。」

 

↑『僕の地球を守って』8巻

 

8巻に全部で13箇所ある「たわごと」のその5~その11までを使って、日渡さんは綿々と「ぼく地球は完全なるフィクションである」ことを訴えていました。

(いやー、実を言えばこの文章を確認したいというのがぼく地球を読みたかった理由の3割くらいを占めていた!笑)

だいぶ心配して慌てている感じが伝わる文章ですね。

 

なぜ突然こうして物語に水を差すような声明を掲載したのか。

 

8巻が刊行されたのは1989年12月。

実はこの年の8月に、女子中学生が前世の自分を見るためと称して自殺未遂事件を起こしていました。

少女たちはアニメ映画『魔女の宅急便』を見て(ジブリのあの!)みずき健の漫画『シークエンス』(短編集。表題作「シークエンス」は、こちらもまた転生とか超能力を題材にしたSF短編)をもって自殺未遂……つまり現世の淵のぎりぎりのところまで行ってしまったようです。

 

前世とか来世とかこういった空想遊びはある程度はみんな通った道じゃないかなあと思いますが、時折ここまでやらかしてしまう例もあるって感じかな……うっかり死ななくてよかったです、ほんと。

つまりこの事件を受けての緊急声明だったと思われます。

 

(ちなみにこの8巻から漫画本編の冒頭に「この物語はフィクションです」という注意書きも記されるようになっていました。いまでは漫画やアニメで当たり前に見かける定型句ですが、ひょっとして発祥はぼく地球なんだろうか?)

 

さらに続く9巻では、8巻の声明を読んだ読者からの反応が紹介されています。

「分かってはいたけどショックだった。わざわざ書かないでほしかった」とか「夢を見たり空想をするのがそんなに悪いことですか?」といった反応が(特に10代の読者に)かなりあった模様。

 

もちろん一方で「そんな人(フィクションだとわかっていない人)もいるなんてびっくり」とか「無理に現実を突きつけずに待つことも必要」「心配しなくてもいずれ気づくから大丈夫」というものもありました。

さらにこの読者コメントの中に「戦士症候群をご存知でしょうか」というものもあり、この時点で既に「戦士症候群」は知られていた模様です。(名付け親は誰だろう?)

 

↑『僕の地球を守って』9巻

 

そもそも時系列的にもぼく地球は『ムー』の投稿欄に着想を得ている様子がうかがえるので(『ムー』に「転生者」や「戦士」たちからの投稿が現れたはじめたのは83年頃からだそうで、ぼく地球よりも早い。ぼく地球読者の「私の知ってる範囲では5、6年前から続いています」というコメントとも一致)、連載開始時点で既に戦士症候群は存在していたはずです。

 

ですので当然ぼく地球が戦士症候群を生んだわけでもなければ自殺未遂事件の直接原因でもないでしょうけれど、なにしろヒット作なので、ムーブメントを盛り上げる役割くらいは果たしていたかもしれません。

 

何というか、時代の雰囲気を感じると同時に、当時の読者たちはなんてナイーブだったんだろうと……いまの読者って、いくら面白い漫画にのめり込んでいたとしても、ここまで思い込むことはほとんどないだろうと思うのですよ。

危うくも、ほんのちょっと羨ましい物語体験でもある……ちょっとだけね。

 

ぼく地球はフィクションです、と強く否定した日渡さんですが、その一方で「たわごと」コーナーで真面目に心霊写真を撮った話をしていたり、新しく飼い始めた子猫が前に飼っていた猫の生まれ変わりかもしれないとか、そういう話題も普通に出てくる。

やっぱりぼく地球は80〜90年代のオカルトブームのなか生まれた一作なのだなあと考える次第。

 

 

……と、ここまで漫画を取り巻く作者と読者のことばかり書き連ねてしまったが、内容についてもやっぱりちょっと書いておくべきですね。

 

『ぼくの地球を守って』、今読んでも大変に面白い漫画でした。

現代ではアウトかなと思うところも少々あったものの(特に同性愛描写まわり……まあそれは時代的に仕方ないですね)、物語の大筋としては実に健全な少年少女の成長物語になっていたと思います。

ちょっと不思議ちゃんな少女が今まで知らなかった前世(=未知なる自分)と遭遇し、悩み心揺さぶられながらも、友人たちと助け合って自我を確立していく物語。直球のジュブナイルじゃないですか。

 

特に輪くん。いいよね輪くん……。

皆が高校生で前世の記憶に目覚めるなか、まだ幼く人格が出来上がる前に覚醒してしまったばかりに、前世の人格に乗っ取られてしまいそうになる輪くん……。

 

「私が知らない本当の私」って、特に自分はいったい何者なんだろうとか、何ができるんだろうとか悩んでいる不安定な時期にはひどく魅力的に見える「なにか」で、ついそちらに引っ張られてしまうっていうのはちょっとわかります。

 

思春期のワヤワヤな自我の隙間に忍び込んでくる「もう1人の私、本当の私」という理想像。

「あなたの前世は……」なんていう話はまさにそういう欲望を満たしてくれる絶好のフィクションだ。

でもぼく地球は、そうやって「私ではない私」に飲み込まれてしまうことの恐ろしさ、悲しさをもきちんと描き切ってくれていました。

最終的にはみんなきちんと自己統合できてるんですよ結局。日常に回帰したとも言える。

これから先は、自分自身として生きていける。

(8,9巻の「たわごと」で日渡さんの言わんとしていたことも、フィクションを楽しんだあとはちゃんと現実に戻ってきてね、ということでしたし)

 

時には空想の世界にもう1人の自分を幻視しつつ、しかしそちらに乗っ取られることのないように等身大の自分を確かめつつ。

 

「両足をでんっと大地にくっつけて、両手を大きく星にさしのべて」元気でいきましようね~~!

 

 

余談:このお便り欄に時折登場するこの↓ありすちゃんのカットが妙に好きです。かわいい~!

 

めっちゃコブシ利かせて演歌歌ってる感じ

 

 

【参考書籍】

 

「戦士症候群」について詳しくまとめられているもの・・・浅羽通明「オカルト雑誌を恐怖に震わせた謎の投稿少女たち!」『別冊宝島92 うわさの本』所収。ちなみにこの本は1989年4月の刊行で、自殺未遂事件以前のもの。

 

 

 

自殺未遂事件を含めた「戦士症候群」についての論考・・・赤坂憲雄「前世/遅れてきたかぐや姫たちの夢」『排除の現象学』所収。