俊徳丸伝承において、主人公の救済者である許嫁の女性キャラクターは、作品ごとに名前にかなりブレがある。

説経節「俊徳丸」では乙姫、義太夫「弱法師」では露の前、歌舞伎「摂州合邦辻」では浅香姫、読本「俊徳麻呂謡曲演義」では級照姫、などなど。どれもうるわしいネーミングではあるがどういうわけか見事にバラバラ。

照手姫や安寿やさよ姫などのほかの説経節ヒロインとくらべて、どうもヒロインとしてのキャラが弱いせいかしらん?などと思っていたのだが……!?

 

ところでわたくし、近ごろ俊徳沼が極まりまして(?)俊徳丸伝承を古いのから新しいのまで集められるだけ集めてみようと試みはじめ、民話から盆踊りの口説から瞽女唄から眺め渡していたところ、許嫁の名前にある程度の傾向があることに気がつきました。

以下、各地に伝承された昔話や口説から、許嫁の名前をピックアップ。

 

玉枝姫  1件(岩手)

お虎姫  2件(新潟・山梨)

初菊   3件(岡山・鳥取・兵庫)

初花姫  4件(高知・愛媛・群馬・山口)

あかね  1件(岡山)

おと姫  2件(徳島・島根)

梅桜姫  1件(山口)

さくらの姫1件(大分)

桜木姫  1件(大分)

桜の前  1件(熊本)

ちごの姫 1件(長崎)

キク   1件(鹿児島)

 

さらに玄人の語りをみると以下のような感じ。(ここはもうちょっと調べたいね……)

 

越後瞽女:小林ハル、杉本キクイ → おとらの姫、おとら姫

肥後琵琶:山鹿良之 → 初菊

 

やはりばらつきはあるけど特に多いのが「初菊」と「初花」。「乙姫」ももちろんある。あと新潟・山梨の「おとら姫」は越後瞽女の伝えたものでしょう。九州・山口あたりは桜系の名前になっている。

 

私が今特に注目したいのは初花という名前。これ、じつは江戸時代の俊徳丸ものに登場する人名である。ただし、俊徳丸の許嫁ではない。別の人物なのだ。

 

ちょっと長くなるが初花について以下解説。

初花が初めて登場するのは、享保15(1730)年刊行の浮世草子『富士浅間裾野桜(ふじあさますそののさくら)』。この作品は俊徳丸もので(内容がわかるものとしては)初めて「富士浅間もの(天王寺の楽人富士と住吉の楽人浅間の対立と殺人、殺された富士の妻の敵討ちを題材にしたもの)」の要素が入った内容で、説経節の俊徳丸にだいぶ大きくアレンジが加えられている。

俊徳丸の恋人役は乙姫。ただし、乙姫には先に別の許嫁がいて、俊徳丸への想いは不義の恋という形になっている。俊徳丸への恋文を見とがめられるが、乙姫の家臣の大鳥頼母が機転を利かせ、これは自分の妹の初花が書いたものだという。ここで初花の名前が出るんですね。頼母の妹初花は乙姫と年格好の似た女性で、ついには乙姫の身替わりとなり嫁入りするその道中で自害することになります。主人である乙姫の恋の成就のために、我が身を犠牲にする女性が初花でした。

 

さて次に、この『裾野桜』から派生したのが享保18(1733)年初演の浄瑠璃『莠伶人吾妻雛形(ふたばれいじんあずまのひながた)』。

ここでは初花は俊徳丸の舞楽の師匠である富士の娘で、乙姫と許嫁である俊徳丸に一目惚れして、セクシーに言い寄る積極的な女性になっています。乙姫の腰元たちに見つかってボコされますが、乙姫が止めに入り、初花は正妻である乙姫の顔を立てる形で一度は身を引きます。そしてこの初花がじつは寅の年寅の日寅の刻生まれ。後に病に冒された俊徳丸の病平癒のため、自らの生血を差し出して息絶えます。俊徳丸もので「生血による病の平癒」の要素が出てくるのはこれが最初(のはず)。『摂州合邦辻』の玉手御前に連なるキャラクター造形でもあります。

 

つまり初花は、まずは主人の恋の成就のため、次には恋人の命を救うために、自ら身替わりとなって死んだ、自己犠牲的な女性だったわけです。

俊徳丸ものにおける初花の来歴は、このようなものでした。

 

(なお、『裾野桜』から派生したものとして、俊徳丸は一切出てこないが『粟島譜嫁入雛形(あわしまけいずよめいりひながた)』という作品もある。これらの作品の影響関係については、石川潤二郎「江島其磧作「富士浅間裾野桜」の研究――主として「摂州合邦ヶ辻」成立に及ぼした影響を中心に俊徳丸伝説に占める文学史的位置について――」(近世文学史研究の会編『近世中期文学の諸問題』明善堂書店、1966所収)を読むとよくわかります)

 

さて。

 

身替わりになって死んでしまっては晴れて恋人と結ばれることはできない。しかしながら、献身的なヒロインとしての存在感としては、初花は乙姫を圧倒しているんじゃないだろうか。

民間伝承の世界において、初花の身を挺した献身こそが主人公の恋のお相手にふさわしいと判断されてきたのではないか。そうしてついには、初花が俊徳丸の許嫁の座をゲットするに至ったのではないか?(そもそも江戸人は身替わりものが大好きだ!)

主人である乙姫の身替わりとなって死んだ乙姫とよく似た女性が、いつしかすっかり乙姫と入れ替わって、本物のヒロインとなっていた……のだとしたら、これはなんともよくできた身替わり劇ではありませんか。

 

侮りがたし、自己犠牲ヒロイン「初花」!

 

なお、瞽女唄などに現れるおとら姫は(小林ハル、杉本キクイ両氏の唄が収録された『越後瞽女唄集』には「「おとらの姫」も「乙姫」の転訛」と脚注があるが)、これも寅の年寅の日寅の刻生まれの女を意味する名前ではないかと思う。

物語中では死を遂げてはいなくても、その名前の中に初花的な「自己犠牲的身替わり死」を透かし見ているのではないだろうか。

初菊というのも、初花の派生かもしれない……というのは考えすぎか?

 

 

……などと、独り大発見をしたような浮かれた気持ちでいるのだが、そうと決めつけてかかるにはまだ疑問もあるので、一応いくつか問題点をあげておこう。そう、私は冷静。

 

1、そもそも『裾野桜』や『吾妻雛形』はそれほど広く人口に膾炙していたのか?『合邦辻』ほどメジャーではないよね?

2、「初花」という名前には、他に文化的背景があるかもしれない。俊徳丸もの以外の初花という人物を探してみたら別のルーツがあるかも。

3、そもそも民間での個人の語りである昔話と、盆踊りなどの口説と、玄人の芸能とをごっちゃにして並列に考えてしまっていいのか?影響力や伝播力に違いがあるのでは?

 

といったところかな。

うん、とにかく今はここまで。