わたしは昔からよく笑う人間みたいだが、心の中にある言葉をうまく外に出せなかったり、言葉にできなかったりしてきて。人間だれしもそういう部分は必ずあるので、自分がどの程度なのかはしらないが、そのことがとてももどかしかった。脳内に確かにある映像や、言葉のやり場を探してたし、みんなはどんなことをどんな風に感じているのだろうと気になって仕方がなかった。
でも、真剣に話すことばよりも、しょーもない笑い話とかテキトーに発する言葉って、簡単だったしさしさわりがなかったしだれも傷つけないし傷つかないし、そんなことばっかり吐き出してた。みんな笑ってるしいっかって。そうしたら自分が笑えない部分のやり場はどうなるのだろうと思いつつ、やっぱりテキトーな言葉を吐いてた。
とある方が、わたしのおんがくの『茶色』を聞いて「今まで悩んで疑問に思ってたことがストンとふにおちてすっきりした」って言ってくれた。"ピュアが故に少し歪んだ"ってとこらしい。
でもわたしは、その方が会話の中で発した、「よく笑う人とかへらへらしてる人は、笑ったりへらへらしないと生きていけないからそうしてるだけなのにね」って言葉がストンと心に落ちた。笑うのが少し楽になった。うれしい。
…なんか話が変わってしまった!
テキトーな言葉を吐いてたって書いたけど、話す内容とかは気にしてて、へんなやつって思われるのがこわくってしょーもない言葉さえ発せなかったりもしたのね。だから昔の方がちゃんと言葉を発してた部分もある。あくまで発し方のおはなし。でも、それはすごく窮屈で、どんどん日常を送ってるのがわたしじゃなくなるのを感じてたもんだから、そんな風に話す自分も嫌だった。でもでも、やっといまは、自分の思うがまま話せるようになったからとても楽ちん。おんがくのおかげで。そのぶん、話し方がおかしいとか言葉がへんだとか何言ってるのかわからないとかはいろいろ言われるようになった!果たしてこれでいいのか!?
それでも今のほうが、なんだってしんどくないんだよ。おんがくおんがく!
わたしのおんがくにはわたしの本音だって悩みだって恥ずかしさだって生き方だって傷だってなにもかもつまっている。わたしが日常で出せなかったものがたくさんつまっている。だから、やっぱり、わたしのおんがくを受け止めてくれる人は、わたしのいちばんの理解者だよ!
全部を分かる必要はなくて、わたしがうたうことばにわかるとかわからないとかすきだとかきらいだとかそんなことを感じてひとつのおんがくを通して会話してくれたり、自分のことに重ね合わせてくれたり、そんな風にしてもらえる関係をずっと築いてたいね。
そんな風にうたっていけたらいいな。