巷ではIQ(知能指数)が20以上離れると会話が成り立たないという噂があるそうです。
最近知ったのですが。
『面白い話だな』
と思ってネットで調べてみたのですが、
結局、
『そんなことはありません』
という事でした。
成り立たないというか、会話が面倒もしくは困難、或いはIQが高い方の気遣いで何とか成り立つようにしているというのが真実だと考えます。
その状況は、会話が成り立たないというよりも
『お話にならないよ』
と言った方がより現実に近いのだと思います。
また、IQというのは年齢により補正がかかるそうで、同じIQであっても幼児と青年位に歳が離れると当然青年の方が実際は頭が良いという事になるのだとか。
僕らの頃は中学3年生までIQテストというものを全校生徒がおそらく全国統一して一斉に受けていました。
僕は普通にやっていましたが、なぜか結果がすこぶる良すぎて、
その割に勉強は並みの成績より少し良いくらいだったため、
(いやもう少し良かったかな・・・どうでもいいことなので覚えていない)
「やればできるのになぜやらない」
と先生からずっと言われ続けていました。
僕は勉強が嫌いというより、どれだけ勉強していい学校に進学したところで結局実家の稼業を継がなければならなかったため、勉強などやる意味、いい点数を取る意味が無いと思っていたのでした。
しかしながらIQというものは
『地頭の良さ』
であるから、勉強するしないにかかわらず極端に下がることは無いのです。
そういうのはその人の普段の言動や、誰かと会話する際に漏れ出てしまいます。
これは以前何度もお話しした、
ダメな人は自分よりはるかに優れた人を、
『自分とはなにか違う』
と認識するものの、
その違和感の根拠を、
『自分より能力が低いからだ』
と勘違いして、見下したり、あるいは自分の考えが理解できていないと勘違いして丁寧に説明してわからせようすることがしばしばあるのです。
だからうちの両親は
『お前は人の話を聞かないじゃないか』
と毎回キレました。
それでもうちの母に至っては、間違いなく並以上のIQはありました。
けれどその知能を何故か息子や目をつけた相手への攻撃の為に使っていたので、すべて仕事に回せていればいいとこまで行ったのだと思います。
頭のいい悪いは関係なく、両親がやっていることは結局同じことで、その点気が合ったから夫婦になったのでしょう。
たとえば、僕が
『〇×はいくつ持って行けばいい?』
と訊くじゃないですか。
そうすると両親は、
「△という仕事には〇×をつかうんだ」
「わかってんのか?」
と答えます。
「いや、それわかっているからいくついるんだと訊いてるんでしょうが」
と僕が言うと、
「オマエそもそも△という仕事のこと知っているのか?」
と返します。
これキリが無い。
奴等は何としてもマウントを取るため、自分の方が上だと思うがためにこういう返し方をします。
僕はもっと話を端寄って最初から確認するだけのために
「〇×6個で良いんでしょ」
という訊きかたもします。
お客様との会話を知らないから、いくつご希望されたのかは話した本人じゃないとわかりません。
ただし経験上、普通だと幾つというのがあるから、それなら6個だと予想して準備しているのです。
すると両親(特に母)は、
「オマエそもそも合計という意味が分かっているのか?」
はあ?
「足し算というものがわかっているのかと訊いているんだ! 」
と言ってくる。
母の場合クズな性格が入っている為こんな返し方をするが、まぁ行っていることは父同じだし、見下す奴の中でも自分が人に対して親切だと思い込んでいる奴はこんな返し方をしてきます。
「それでいい」
「いや、今回は8個」
と返せばものの5秒で話が終わる。
母は何としても僕に対して文句を言う時間を長くしたいため、だいたい3時間この話が続く。
確認事項が3つあると9時間。
一日の仕事がそれで終ってしまうのだ。
だから母が死んで全てのお客様と直接僕が話せるようになって物凄い仕事が早くなり、分でも依頼主や紹介者様も見直したどころ驚いたのだった。
自分でもびっくりしたし。
これは極端な例だったけど、話が分かる相手なら会話の色々な部分(単語)を端折ることが多いと思う
同じ業界で同じ仕事をしている人ならそれが使える。
けれどと母は意味不明なんだが、すべての単語に『お』を付けていた。
そうすれば丁寧だと思ってているのか、とても聞きにくい。
「お教科書をお開きになって、お読みになり、ご感想をおっしゃって・・・」
とか、過剰すぎて嫌になる。
しかも通常使われていない言葉に変換することもしばしば。
例えば
『成人式』
というところを
『元服』
と言い換えて、さらにもう一つ変換して
『初冠』
あるいは
『加冠』
等と言って、もはや何のことかわからなくなる。
まぁ例のようにこんな難しいことは知らなかっただろうけれどさ。
似たような言い方はするんだ。
こんなように自分の業界の用語も置き換えて言うので業界人でもわかりにくくそれがミスにつながるが、母はそれで勝ったと、自分の方が利口だ思っている。
『どんぐりの背比べ』
ではなく、
『どんぐりの目いっぱいの背伸び』
である。
母の場合はこの手の中でも一番面倒な例ですが、結構こういうことをやってくる人が多いですよ。
あそこの息子(僕のこと)は頭がおかしいとか馬鹿だとかって同業者の営業が話しているという噂(話していたのは事実ですが)をよく耳にしましたが、理解できないのはあなたたちと差がありすぎるからで、しかもその差は自分たちが上ではなく下ですから。
以前あるお店に入った時、iphone4をレジの価格表示パネルに使っていたのを見て、「これ面白いですね」とバイトの女子高生に言ったら、
これはiPhoneというものであること
世の中にはスマホというものがあって・・・
と説明しようとしてくれました。
iPhoneは初代から8、SE2あたりまで全部買い替えていましたし多少は知っているつもりですが。
「おもしろい」
と言ったことが、
「これ何なんですか?」
と訊いていると同義だと思っていることが煩わしい。
個人的に僕が考えるのは、
本当はIQより『そだち』そして『その家庭の経済状況』の方が会話が成り立つか成り立たないかに影響しているのではないかと思います。
或いは、
『年齢の違い』
初対面の人でも昔も見ていたテレビ番組の話をすれば相手が自分と近いか離れているのか先か後か年齢がだいたいわかりますが、逆に言うと年齢が大きく違えばこの話は全くかみ合いません。
話を戻します。
もう最初に結論を言って今知っていますが、IQが大きく違っていてもたいてい上の人が話を合わせてくれる。
合わせないならそこまでする必要ない相手だと思ったのでしょう。
世の中の仕組みって、
大きな会社というものはたいてい
少数の利口な人がそうでない大勢の人が好みそうな商品サービスを考え出して儲けている。
早い話がこれです。
例えば富裕層だけのとか利口な人向けのサービスや商品に特化するという事もできますが、人数が少ないためヒットしにくいのです。
利口な人はそうでない人の好みを想像できますが、ほぼ逆は無い。
もしその逆が出来たとしたらその瞬間からその人は実は利口な人だったという事になります。
何が言いたいかまとまりませんが、
『IQが20離れると会話にならない』
と言うのは当たらずとも遠からずなのだなぁと思うまででした。