24-08-21 アメリカからの便り
古風な言い回しをすると、インターネットのおかげで現在は本当にワールドワイドな時代になりました。Facebookで世界中と通じます(Twitterはやっていません)。
老猫の世話があるので旅行は出来ませんが、家にいて、海外の人と知り合って海外の様子を知ることが出来る。
翻訳ソフトを使えば乱暴な翻訳にながらも、なんとか文字の会話は可能です。ですが、面と向かうと厳しいですね。英語を勉強してこなかったので常に苦笑いです。ごめんなさい。
趣味がそのまま仕事になった事でたくさんの同好の士と知り合います(現在進行形)。海外の人とも出会います。この年齢になっても少年時代のような胸のときめきを感じます。
日本の怪獣を好きで日本のソフビを集めている海外の人の中でも、熱心な人と出会えると励みになります。
Bukoski さんはぼくが原型をやったソフビをたくさん集めていて、その上、本まで手に入れてくれました。もう30年も前に書いた「ゴジラ伝説」です。
その中の考察の一つに、
初代「ゴジラ」のピクトリアルスケッチに書かれていたゴジラの中に唐獅子タイプの絵があって、執筆のヒントになったように感じるのが、江戸時代の絵師、狩野一信が書いた地獄絵図「五百羅漢図」(増上寺所有)でした。1863年に亡くなった人で、晩年10年かけて一連の大作を仕上げたとか。ざっと160年前の作品。
https://ameblo.jp/gara999/entry-12438338945.html
鱗のゴジラは意外性があって魅力的です。
立体としては利光貞三が最初に表したゴジラの雛形が鱗のモールドでした。それがイボイボになり、鰐のようなって決定稿。ぬいぐるみの規準にされました。さらに手を入れた4タイプの写真が残っています。
美術助手だった開米栄三さんに伺うと、渡辺明さんの指示もあったが、やはり鱗だと弱い印象だそうです。ピクトリアルスケッチを書いた鈴木儀雄さんに会えるならその事を伺いたいものです。
その史実を踏まえた上で、
おそらく最初はこんな姿だった(鱗の)ゴジラが核実験にあい、被曝して、全身の鱗が落ちてケロイド状になったのが今の姿と、ぼくは解釈しました。
ゴジラの顔はキノコ雲を模していますから、あながちはずれていないでしょう。証左に、あの刺々しい背鰭は、柔らかい部分が吹き飛ばされた成れの果てです。ステゴザウルスの背鰭がモデルでしたから。
まぁそんな蘊蓄めいた事を30年前に本にしたものでした。
54年の1作目「ゴジラ」は平和の祈りがこめられていました。
戦後9年。米ソ冷戦の時代が始まり、核実験は危機と緊張を告げていたたと思います。犠牲者だったゴジラはいまの言葉で言う、祟り神となって日本へ現れた。
翌、60年代の幕開けを、経済白書はもはや戦後ではないと記します。日米関係が日本の経済を潤していきます。そんな70年も前のおはなしが全ての始まり。
ゴジラがアメリカで作られる事はわれわれも興味深く楽しみ拍手を送ります。好きな物に国境はないんです。
趣味の世界ですから厚顔無恥で良い。もちろん、争いのない世の中を祈る気持ちは誰にでもあります。現に不況で厳しい世の中で、せめて趣味はしんそこ楽しみたいのです。
ゆえ、趣味を仕事にした人たちは全力で頑張る。自分が書いた本、自分がつくった原形のソフビを買ってくれた人といつかかならず出会います。それが力になります。有り難い事です。
ところで、鱗のゴジラは、現在は公式制作以外は商品化がむずかしいようです。山吉屋で出した絵コンテゴジラは1回の発売だけでした。そこで東宝の版権には当たらない、狩野一信の地獄絵図の怪獣を商品化しました。
面白い事に、キリスト教圏でも地獄の概念はあります。だから、地獄獣と名付けたこの怪獣はヘルモンスターと呼ばれます。
そこで話はBukoski さんに戻ります。
なんと、地獄獣のタトゥを入れたそうです。すごいですね。彼のシンボルなんですね。狩野一信さんが知ったらなんと言うでしょう。ご存命なら206歳ですよ。
https://ameblo.jp/gara999/entry-12848078379.html