23-12-16 薩摩剣八郎さん、やすらかに。 | ヤマダ・マサミ ART&WORK 検:ヤマダマサミ

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23-12-16 薩摩剣八郎さん、やすらかに。

薩摩さんの訃報が飛びこんできました。がっくりきます。

しばらく会っていませんから会いたいのは山々でしたが、フェイスブックのアカウントを複数持っているのにどれも使ってなくて、人伝てに越してしまったとは伺ったんですが。そこになにかデリケートな部分も感じていました。デスゴジのジャイアントサイズが出たので見てもらいたかった。もっと欲を出して探し回れば良かったんですね。

晩年と言うのであれば、数年前まで、あんなに元気に打ち込みをしていた姿が脳裏に焼きついた。ずっと元気なままでいると思い込みたかった気持ちもあったかもしれません。

ただただ、川原で風の吹く中、続けていた打ち込み。

えい! えい!

打ちこまれた古木はドカッドカッと音を立てて粉砕される。ただただ、黙々と同じ行為を続けている姿。なんのために?

その動画を見ては、烈しさに圧倒されたり、時に人がもつ弱さを垣間見たり。薩摩さんはとにかくぼっけもんで、人が好く、話好きでした。好漢でした。

そのくせ、とても繊細でした。

 

薩摩さんは、84年の復活「ゴジラ」の取材でお世話になりました。ぼくが安井さんのバイトを経て、初めて仕事として小学館でムックをやることになったのは、新作ゴジラをゴールとした、旧作を使った入門百科2冊と絵本8冊と、新作のムックでした。

薩摩さんが84ゴジラを演じたのは37歳。デスゴジの時が48歳(中島春雄さんがゴジラを引退したのが43歳)ですから、俳優として名前が売れると言う面では遅咲きです。そのためかマスコミへの売り込みは積極的でした。陽気で人懐こくて、取材しやすい人でした。

こういうものがあると、手記を見せてもらったので、そのまま、それを使わせて下さいとトントン拍子で話が進んだ。

実は助監督を3、4人集めて座談会をしてもらい、数ページを用意していたんです。それをやめて、差し替えで薩摩さんの原稿を入れる事になった。助監督さんたちには申し訳なかったのですが、生原稿の威力は大きくて。

それからしばらくしてから平成VSシリーズの取材をする事になって再会し、またしばらく開けて再会する。度々、なにかのきっかけで会う。

あるとき、薩摩さんの誕生会をファン有志でやる話があって、主催の一人と薩摩さんがもめてしまって、上手く進まなかった。

そこで薩摩さんがやりたかった芝居がありました。「竜馬のなぞ」と言う舞台の台本です。この短縮を翻訳してやるつもりでいました。テルミンの大西さんと科楽特奏隊が参加するユニークな演目でした。もちろん竜馬を薩摩さんがやります。勿体ない事でしたが、まぁ、上手く行かない事も人生ですからね。

海外へ呼ばれる事が増えた薩摩さんの活躍はフェイスブックでは知られる所でした。ネット上でのお付き合いは続いたんですが、コロナ禍へ入って投稿がなくなった。

調布に住んでいたので吉祥寺でやるモーレツ!特撮ナイトにもへよく来てくれた事と、打ち合わせでよく調布のファミレスへ行った事。次から次へと思い出されます。

画像、宝田明さんの誕生会の集合写真。8年くらい前ですか。

中島さんが、ゴジラはメスだと思うんだよ、と言いました。女は人間も動物も強いからね、と。なるほど、中島さんの昭和のゴジラはときどき艶めかしい時がある。一方で、薩摩さんのゴジラは引くところなく雄々しい、まさにオスのゴジラを感じます。

最初の一太刀で勝負を決する必殺の示現流。そんな自慢げな話をすると中島さんはそっぽを向いて、なに言ってやがんだ、と苦笑いする。

2人はライバルだったんでしょうね。だから2人してアメリカのイベントへ呼ばれると老いて目が悪くなった中島さんが負けていられないと発奮する。健康法に役立っていた?

いまアメリカで新作のゴジラが大人気です。薩摩さんは観てくれたんだろうか。中島さん、薩摩さん、彼らのゴジラあっての、現在のゴジラです。

 

薩摩隼人の末裔として堂々と生き抜いた薩摩さん。でも少し不器用でしたね。ぼっけもんの薩摩さん。やすらかに。