飯島敏宏さんが亡くなってしまった。
飯島さんは監督であり、千束北男名義で書く脚本家であり、木下プロでは番組プロデューサーでもありました。そして、ウルトラマンの生みの親です。
ウルトラマンの生みの親は何人いるのだろう?
設定と企画は金城哲夫、デザインは成田亨、造型は佐々木明、演者は古谷敏、演出を、飯島監督が担う。たぶん、この5人が直接的なウルトラマンの生みの親たちです。
飯島監督は、TBS映画部から円谷プロへ出向いて「ウルトラQ」から演出とシナリオを担当する。とくに「2020年の挑戦」は、不世出のケムール人と言うキャラクターを生み、小林昭二の空自二佐がムラマツキャップのイメージの元にされた。「2020年の挑戦」じたいが「ウルトラマン」のプロトタイプを感じます。
科学万能の未来から医療で不死を得たケムール人が肉体の衰えだけは避けられずに地球の若い人間の体を求めて現れる。
ケムール人はケムール星人でないのに、長く疑問がありました。あれは未来の人間の姿ではないか? 監督に伺うと、ちょっと曖昧さを残すところが良さそうな返事でしたが。
ウルトラマンはその真逆です。闇に対して光。ケムール人はバルタン星人に姿を変えて挑戦しに来ます。
その物語が、かれこれ55年も続きました。これから続きます。100年後のファンが「ウルトラマン」を楽しむでしょう。
10代の終わり、同人誌を始めてすぐ「ウルトラマン」の特集号をつくりました。会員たちのそのとき、放映から13年目のまだ幼少時の記憶のままに綴った文集と、幻の劇場版「ジャイアント作戦」のシナリオ掲載を目玉にしました。そのため、円谷プロで飯島監督の連絡先を聞いて手紙を出しました。そのときの返信がこれです。
TBSの演出家はみなインテリです。出来上がったばかりのウルトラマンと面と向かった飯島監督は、デュマの「鉄仮面」を想起したそうです。囚われの仮面。でもウルトラマンは輝かしい光を放ちました。
飯島監督と会ったのは「ウルトラQ伝説」(アスペクト)と言う本の取材ででした。インタビューの最後に、同人誌の話をするとニコッとしてくれてあのときの、と思い出してくれました。そこから「ウルトラマン」の話が始まりました。
大映から円谷英二に呼ばれた的場徹特撮監督が技斗までは聞いてないと、ウルトラマンの戦い場面を拒否、飯島監督が替わって特撮の現場へ出向きます。
スペシューム光線は、古谷さんの美しい肢体を十分に生かした十文字のポーズで完成しました。
合成の中野稔が同席して、光線を出す手を動かして欲しくないと注文をつける。
すると飯島監督は、大人たちの軍事教練が記憶にある世代だったからライフルを左手で固定をする事を思い出し、右手から光線を出す際に、左手を添えた。もう1つのヒントは忍者の手裏剣もあったとかで、それはウルトラスラッシュになりました。
もちろん監督のアイディアを形にし昇華させてあの美しいポーズを生んだのはビンさんの1日300回の鍛錬の賜でしょう。だから、ビンさんには、飯島監督は別格の思い出があるんだと思います。
「ぼくのトクサツ物語6」の飯島監督の項、思いの丈を込めて書いたばかりです。感謝だけです。ゆっくりお休み下さい。ありがとうございました。