21-05-29 村石監督が来た! | ヤマダ・マサミ ART&WORK 検:ヤマダマサミ

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21-05-29 村石監督が来た!

<びっくりしゃっくり大怪獣>の集録。通算17回から20回までの4本。

高円寺のミニシアターバッカスに、村石宏實(むらいし ひろちか)さんが来てくれました。

新鋭監督の秋武裕介さんへ声をかけました。秋武監督は「ウルトラマンティガ」(96年)世代。バッカスの上映で知り合ったばかり。最近はバンダイのCMなどもやっています。ベテランの村石監督を紹介したくなりました。

この図式はかつて、ロフト/プラスワンのイベントで、梶田興治監督へ手塚昌明監督を紹介したのと同じ意味があります。

きのうの「ミュージックステーション」でV6の長野くんの代表作として映像がかかった「ウルトラマンティガ THE FINAL ODYSSEY」(2000年)の監督が村石さんでした。劇場公開されてから21年目。

96年に放映が始まった「ウルトラマンティガ」は初代「ウルトラマン」30周年記念番組でしたから、初代が55周年ならば「ティガ」は25周年となります。どっちのウルトラマンもぼくには重要です。

初代は原体験として。「ティガ」は仕事として。

村石監督とは、「ティガ」から「ガイア」までのテレビシリーズを中心に、本編と特撮の取材でお世話になり、ロフト/プラスワンのイベントにお付き合い下さった。つまり25年来の関係です。

ですが、ぼくは「ウルトラマンコスモス」以降は取材へ行く機会がなく、どんどん疎遠になっていたところで、たまたま吉祥寺駅で久しぶりに監督と再会した事がありました。ただもう互いに懐かしくて、元気かどうかを確かめ合うだけでした。そこからだって10年くらいが経って、ことし、マンガ家の金谷さんに紹介する事になって監督へお声がけした。

すると、ヤマダちゃん、遠慮なく声かけて、と仰ってくれたので、<びっくりしゃっくり大怪獣>に村石監督登場!となった次第。

 

このところ、NHK・BS「たけしのこれがホントのニッポン芸能史 特撮」の収録もあった監督。見た目は当時とそう変わらないんですが、それでも74歳になるのだとか。25年前「ティガ」の時は監督は49歳、脂の乗りきった仕事です。ぼくは35歳でした。

せっかくの再会なので、人生話を残したくなります。ぼくが還暦ですからね。若い人へ伝えたい事が出て来ます。

秋武監督はそういう意味では、初代も大好きなので、村石監督が、初代から円谷プロに関わって(光学で中野さんの下に付いた)、大映、東映、東宝、円谷プロと渡り歩いた足跡は刺激になったでしょう。

学生時代の8ミリに始まって商業映像に関わった村石さんの自主制作での監督デビュー作に「OH!カオ」(73年)と言う幻の1本があります。

青春スターでブレイクする小倉一郎さんが主役。

実は小倉さんが「ティガ」にヤオ博士役で出たのは、若い時からの繋がりがあったからでした。

なぜ幻かと言えば出資してくれた先や無償で参加してくれたスタッフがあるため当時以来、眠ったままなのです。これを見たい! 

出来ればバッカスで。

いま豊場さんと水島さんが、SFマインドをもつインディーズの映像をバッカスでかけて回を重ねています。コロナ禍の苦しい時代だからこその一縷のオアシスです。

若い人を、オジサンたちがプッシュしているのが良いんです。

村石さんの「OH!カオ」は、SFでないのだけど、のちにたくさんの特撮番組に関わる人の原点、20代前半の作品です。

「OH!カオ」の人脈でピー・プロへつながりました。

それまで大映「ザ・ガードマン」や東映「キイハンター」、三船プロでは「荒野の素浪人」などの助監督を経験し、ピー・プロでやっと商業監督デビューします。「電人ザボーガー」は監督の思い入れあるシリーズでした。

そんな話をたくさんしてもらいました。

ロフト/プラスワン時代の常連客だったおろろさんと加藤くん、それに「サイバーコップ」ではコスモプロで造型で関わった斉藤くんが応援に来てくれました。

配信が決まりましたらお知らせします。お疲れ様でした。ありがとうございます。