ケムラーの日 その1 三角ビートルの話 | ヤマダ・マサミ ART&WORK 検:ヤマダマサミ

ヤマダ・マサミ ART&WORK 検:ヤマダマサミ

主に仕事に関わる、特撮、怪獣がらみのブログです。
ときどき、猫が登場します。

ケムラーの日 その1 三角ビートルの話

1966年12月4日、「ウルトラマン」第21話「噴煙突破せよ」の放映日でした。

子供にとっては難しい題名ですけど番組が終わってすぐホシノくんの脱出の場面を再現して遊びました。マルサンからケムラーのソフビは出てなかったので別の怪獣でしたし三角ビートルもありませんからその辺のオモチャで代用です。

ビートルのプラモは正月に買ってもらってリモコンは出来なくて貼り合わせただけで色も塗ってませんでしたが、本格的に遊べて興奮したものです。

そもそも当時のモノクロの小さな画面で三角ビートルの形状はよく分かりません。70年代になっても5円引きブロマイドや学年誌にもなくて、高校生になって「てれびくん」やファンコレで見て、ああこれかと思うんです。そしてまさか、原口さん宅へ遊びに行った際に本物と出会えるとは思いもよりません。

硬い朴材でつくられたミニチュアは60から90センチの間くらいでした。

火薬を使うためラッカー系の塗料は使ってなく、水性のマットな銀色で、模型の微妙な面の傾斜が心地好くて、テーブルに置いて念願だった場面の真似事をしました。

原口さんはドラマ「怪獣倶楽部~空想特撮青春記~」でハイドランジャーのフラッドホールの数がミニチュアのサイズによって違うと言っていたカツオくんのモデルです。

ぼくなんか、あの水を出し入れする穴、窓だと思っていたくらいです(名称がわからず、いま調べた)。

大学生の原口さんは、ミニチュアでだぁだぁはしゃぐぼくを中学生くらいに思ったかもしれません。

左右の羽根と先端のレーダーとキャノピーがありませんが雰囲気は当時のまま。赤は真っ赤でなく、朱色です。ここだはエナメル系だと思います。

 

児童誌のウルトラマンは、赤いラインをはっきり見せるためM(マゼンタ)版を強く出します。たまに版ズレしている写真を見かけると思います。そのせいで長くウルトラマンの赤は真っ赤だと思ってしまうんです。

90年代から意図的にオリジナルの色を重視するようになったのは、大島カメラマンの写真集の前後でしょう。

大島さんの写真は表紙用にブローニーサイズ(6×6、6×9・ろくろく、ろくきゅうと呼んでいた)なので、ウルトラ怪獣の良い処が大写しにも耐えます。講談社の絵本は何にも換えがたい資料で、同人誌以降、先輩たちに倣って<大島写真>と呼んで、大島さんのポジを崇めたものでした。

60年代のウルトラは講談社の独占に近い状態でしたから、70年代の小学館の学年誌は古いウルトラは番宣写真を使います。その頃はもう撮影用のウルトラマンの赤ラインは赤そのものでした。

古いウルトラマンは、本来はAタイプなど、朱色からさらに橙ぽい色で、撮影会で赤を吹かれました。ウルトラセブンはさらに橙寄り。当時の飛び人形が残っています。

成田さんのデザイン画がまず真っ赤でないんだとデザイン画を見せてもらったときに分かりました。

なぜ真っ赤にされるかと言えば、メディアが、印刷や商品の効果を考えて赤への要望を言うので朱色がどんどん赤くなるんです。

とくに営業窓口に意見を直に伝えるマルサン、トイマーク、増田屋など玩具会社は、男の子は赤いオモチャに惹かれると譲りません。

特撮デザインの総括を任されていた成田さんは、セブンの時にほとほと困ります。

俳優担当がどうしても上西さんにこだわって譲らず、成田さんは古谷さんのイメージでいたのに、古谷さんは隊員に決まり、古谷さんほどのスタイルは居ない上に、日本人体形の俳優のバランスを補うため、デザインを肩から上まで集中し、下半身に縮小感を出す色の青いセブンならまだなんとかなるかと苦肉の策に転じたそうですが、玩具業界が頑として赤を譲らない。

実相寺さんは、なんだあの赤トンガラシはと愕然とし、成田さんは絶望します。

セブンの色の話の詳しいところは検索してみて下さい。ま、ぼくらには、赤いセブンでなくてはなりませんけどね。

ウルトラセブンを真っ赤に指定した反撥は「明日を捜せ」で爆破される倉庫に<マルサン倉庫>と言う名前をつけたところでも分かります。

それはさておいて。

脱線しましたが、三角ビートルは銀色の上に朱色を吹いているので、綺麗なんです。

江戸時代、金箔の上に朱を乗せて、金赤と呼ばれる色を見せました。いまでも出版で、朱色の綺麗な赤を金赤などと言います。マゼンタとイエローそれぞれ(Mは90~)100%を掛け合わせます。

それとは色が違いますが、銀赤も綺麗です。

この朱色か!と、三角ビートルに見入ったのが40年も前の話でした。

 

今回はホシノくん(隊員、正確には準隊員?)が活躍しました。

昭和で言うなら30年代、江戸川乱歩の「少年探偵団」や、鉄人28号をあやつる正太郎が主人公だった少年探偵ものが流行りました。その名残として、少年隊員を科特隊に加えたのがホシノくんの活躍です。

本来はもっとドラマに話に食い込んで、ウルトラマンを呼ぶ役だったはず。

TBS栫井プロデューサーは怪獣を売りにする事を第一にしたため主役はウルトラマンと怪獣です。ですが監督たちにしたらドラマを作るのは科特隊です。

初期企画名「科学特捜隊ベムラー」(ないしはレッドマン)が、その題名のとおり顕著な企画意図をを示します。主役は科特隊でありヒーローでもある。ホシノくんは狂言回しで双方をつなぐ存在でした。

でも、いつの間にかホシノくん不在で、大人たちでドラマがつくられる事が多くなります。イデとアラシがじゅうぶん子供に近い立ち位置になっていましたから。

ぼくは隊員服のホシノくんが羨ましくてなりませんでした。

当時はオレンジ色のシャツなんて売っていません。「ぼくら」の表紙になった少年モデルも羨ましかった。

あの少年、実はのちに「てれびくん」を編集するSさんの子供時代だそうです。デザイナーの岡本英郎さんが確認しています(たしかに、面影はある)。まさかライバル誌に関わるなんて分からないものですね。

少年隊員の活躍を描いたのは、脚本も監督も樋口祐三さん(筆名は海堂太郎)。

飯島監督がこれを撮っていてもじゅうぶん良い感じだったと思います。ウーの回もです。ぼくは樋口監督はポスト飯島さんで、もっと円谷作品に関わってくれたら良かったのにとファンコレのリストを見ながら思った口です。あるいは飯島さん、慣れない樋口さんの手助けとかされなかったのか、余計な詮索をしまし。

ヒドラのラストは心を寄せ合う子供と鳥の心情から中川監督の「鳥を見た」へのオマージュですよね。そこここにTBSの演出陣の流れを感じます。

 

 

 

【画像】

 

・ケムラーの顔。下顎が左右に割れているのが分かります。目の周囲が赤ぽいのが生々しいです。

 

 

・デザイン画。成田亨筆。当初は顔の先まで甲羅で隠れました。体はレッドキング模様です。強そうです。

 

 

・甲羅を開いた所。尻尾をその間に出して光線で攻撃。下顎が開く事で噴煙を広く吐く事が出来る設定。この噴煙はスペシウム光線を無力化する効果がある。

 

 

・火口に現れ、火口に没す。人間が侵してはいけないケムラーの巣だったのかもしれない。

 

 

・横向きの、版権申請用の三面写真。67年ミュージックグラフ「怪獣大百科」より。下、70年前後に流行った5円引きブロマイド。下顎がよく分かります。

 

 

・ネットで拾ったケムラーの活躍シーン。背中の弱体はゴルゴスのようです。このあとのシナリオ飯島組正月番組に、ゴルゴス再登場の予定もありました。

 

 

・ホシノくん大活躍。迫るケムラーを前に、気絶したフジ隊員を乗せた三角ビートルで脱出する場面。ムラマツがマイクで操縦の手順を指示する一連がとてもカッコイイのでした。

 

 

・1話でも使われた大きい方の三角ビートル。

 

 

・左は劇中。右は特写したミニチュアの切り抜き。トップのレーダーと左右の翼がありませんでした。

 

 

・劇中の側面とデザイン画。ビートル2号機と呼ばれています。

 

 

・練馬美術館でやった個展の図録に掲載された高山さんの造型日誌。

 

 

・スケッチブックにギミックの素案が描かれています。

 

 

・完成したケムラー。アトリエメイにて。

 

 

・これ、朝日新聞の1966年のまとめ本なんですが、タイトルを忘れました。デパートに現れたゴジラと手下のようなウルトラ怪獣たち。

 

 

・デパートに展示されたケムラー。4つ足で特殊な形態から、ショーには使われず、ペスターなどと同様に展示専門だったそうです。