19-05-12 ある会 | ヤマダ・マサミ ART&WORK 検:ヤマダマサミ

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主に仕事に関わる、特撮、怪獣がらみのブログです。
ときどき、猫が登場します。

19-05-12 ある会合

神戸の元祖<ちびっこ怪獣博士>こと原坂一郎さんが仕事でこちらへ来ると言うので、会うことになって、最初はいつもの<モーレツ!特撮ナイト>でと思ったんですが場所が取れず、それならばと岩崎さんに泣きついたら快諾してくれて、岩崎邸居酒屋開催とあいなり、その常連さんたちと合わせて17人の大所帯になりました。岩崎さん、皆さん、ありがとうございました。

また先日、ビンさんから田中さんを応援して!と頼まれた事もあって、田中敦子さんにも来てもらって、みんなに紹介出来ました。

アマゾンプライムで、ぜひとも「被災地の水産加工業 経営者たちの戦いの記録」を見ていただきたいです。感想を書き込みしてくれたら最高です。よろしくお願いします。

https://www.amazon.co.jp/dp/B07PXNCX7K/ref=sr_1_fkmr0_1?__mk_ja_JP&fbclid=IwAR2RtkNeZlkx-5gI73pCO5e7hDvaJNXSd2e3oj8lRr-sXSMMvghDX_p3y9c

 

田中さんの「ウルトラQ」から「ウルトラセブン」までのスクリプター経験は本当に大きな意味があって、まだまだ表に出ない証言の1つ1つが、特撮ファンにとっては宝物のようです。東北の復興記録とともに、そっちの方も残してもらいたいです。これから、みんなで応援していければと思っています。

ぼくの方はこのお2人のエスコートでしたが、岩崎さんの人脈から多種多彩な業種の集まりになりました。

特撮大好きと言う声優の関智一さんがいらして、原坂さんの娘さんが大ファンだそうでファンレターの手渡し。きっとお父さん、鼻高々で感謝されるでしょうね。

原坂さんは翌日、本業があるため10時過ぎに帰ることになって、早川くんに田中さんの事をお願いして、JRの駅まで原坂さんを見送り、そのまま帰りました。

 

原坂さんと言えば特撮ファン運命の1979年の、あの「大特撮」のスタッフなんですよ。

あの年、ファンコレも出て、サントラ「ゴジラ」も出て、「実相寺昭雄監督作品ウルトラマン」が公開され、「ゴジラ映画大全集」の日替わり上映を見に日劇へ通い、朝の再放送で久しぶりの「ウルトラQ」を見る事がかない、 個人的には河崎実監督の「√ウルトラセブン」を見に生田まで行ったり、いや円谷プロと東宝へも遊びに行ってみた、第3次怪獣ブームの幕開けのトップランナーが「大特撮」でした。

原坂さん、ぼくより5つ上ですからその分、性根の据わった怪獣ファンの子供だったようで、「桂小金治のアフタヌーンショー」にちびっこ怪獣博士として出ています。

あれ、平日の番組なのにみんな知っている不思議さ。ジャイアントロボに抱っこされた名シーン、記憶にありますよ。なにかに紹介されたか、再放送みたいのがあったんじゃなかろうか。

そんな経緯で、大人たちの中に囲まれた経験から、子供に関わる職に就いた原坂さん、保育士に始まって現在は子供コンサルタント。

神戸の事務所ウルトラマンハウスはたまにテレビで見かけます。ラジオ番組「FMあまがさき」を「ジャイアントロボ」が縁となる片山由美子さんとご一緒されています。マツコの番組に出た事はフェイスブックで知りました。

アグレッシブな方ですから、関西方面での田中さんの活動の宣伝もお願いしました。

時間ぎりぎりまで居てくれて、以前見せる約束をしていた子供の頃のスケッチブックを岩崎さんちの玄関先で披露。交換で、原坂さんのマンガも見せてもらいました。

 

そういえば、その運命の79年からおよそ10年後。88年~89年にかけて、自分たちも特撮をやったんですよ。

バンダイの系列で、バンダイの安い方のCMを撮っていた栄進堂の東京出張所で、その頃ウルトラマンの新作がなかったため、新作の特撮ヒーローをビデオとオモチャのパックにして売る事になって、最初のメンバーであった上松さんに呼ばれました。

ちょうど建築模型の会社がつらくなっていた事もあって移ったんですが、そこからが紆余曲折。結果、「アイアンデューク」と言う短編パイロットフィルムを作って、解散の憂き目。

ビデオと企画書をもってあちこちセールスに行きました。

「アイアンデューク」はインディーズビデオではなくて、企業物なんです。演出した上松さんが亡くなってしまい、いよいよ表に出ませんが、ちょうど30年前です。いま見てもそんなに悪くないかも(ぼくは美術です)。35ミリの3分物。モニター600も使っています。

 https://www.youtube.com/watch?v=rgcMyrIEGWw&feature=youtu.be 

その時、上松さんから紹介されたのが岩崎さんでした。

上松さんは強烈な個性でしたが、岩崎さんは温和しい方。

あと原口さんを加えたその3人が中高時代の同級生だそうで、ぼくより2学年上の方たちで、特撮ミュージアムに収められたミニチュアのいくつかはその3人が集めたものです。

栄進堂のあと、結局、映像展開は難しくて、本の世界に戻って、竹書房でベストブックシリーズをやった時に、「ウルトラセブン」用に岩崎さんにウルトラホーク1号を借りて、レストアして、特写した事がありました。

岩崎さんのブログに詳しくあるので参照して下さい。

https://blogs.yahoo.co.jp/imaginerjp/8657518.html

180センチの立派なミニチュアで、破損も多かったので直すのは厄介でしたけど、斎藤純二カメラマンが良い写真を撮ってくれています。

あと、成田さんから絵を買ってくれる人は居ないかと相談を受けて、上松さんと岩崎さんを連れて行って、何点か買ってもらっています。

岩崎さんはその縁で、成田さんが京都で鬼のモニュメントを作る際にお手伝いされたそうです。

歳を重ねていくと若い時の出会いや思い出がただ懐かしく思えて仕方ありません。損得のない関係です。

 

そういう一夜でした。

この10日は、外で産まれて猫たちがだいたい夏に見かけて3ヶ月くらいだったため5月生まれで統一。飼い主ともども、みんなの誕生日にしてあります。みんな1つ歳をとりました。

家猫にも外猫にも全員に焼きカツオ(と言う名前の商品)奮発。おめでとう。長生きして下さいね。

美也とゴエモン・しろちゃん夫妻は15歳、人間で言えば76歳ほど。しんこは5歳なので、36歳。通いのくうちゃんはしんこと同い年。銀ちゃんの方は9歳ぐらいで、52歳。

1年ぐらい見かけないクロスケは首輪をつけてくれたどこかの家で楽しくやっているだろうか。クロスケだけは年齢不詳でしたね。

mさんちのロクタロは、それぞれ12歳、9歳。公園から4匹を卒業させて6年経っての初夏になります。

この月末は、4匹を世話していたオジサンが公園で亡くなった命日もあります。つまり、あれから8年も経つんですね。震災の年でしたからね。

 

一週間の疲れが出て一日、だるくて寝てしまった。

母の日でしたね。なにもしてあげられず。

作業はつねに進行中。

 

 

 

 

 

 

 

・岩崎さんの記事から拝借、集合写真。後方に成田さんの絵が見えます。

右端が岩崎さん。

 

・ランダムに、会合の模様。西から東から多種多彩な人の集まりになりました。

 

 

・岩崎さんにお借りしたウルトラホーク1号。3つ、それぞれ作り手が別のようで、α号は朴材を薄く合わせてとても軽いんですが、座布団より大きなγ号は角材で芯を作ってあってとても重たいんです。あちこち破損してあったのを補修して竹書房の「ベストブック ウルトラセブン」で使わせてもらいました。

 

 

・田中敦子さんの仕事。「経営者たちの戦いの記録」。いつか南海トラフも来ます。東京直下型もあるでしょう。自分たちのあしたが、この記録に刻まれている。そう思うともっとたくさんの人が見ないといけない映像です。

モノクロ写真は「ウルトラQ」から。下、梶田組「悪魔ッ子」のビハインドは珍しい。八高線。

 

 

・原坂一郎さんをどういう人かと説明するのは簡単です。おもろいおっちゃんです。もちろん、目に見えないところでそうとう努力を重ねている人ですよ。頭の回転が速いんです。

バラゴンのマンガは小3の時のもので、バラゴンを抱えたまま地盤沈下していくのが一郎少年の記憶。それが証言でもありますね。果たして、そのバージョンのフィルムはいつか出てくるのか?

 

 

・原坂さんに「大特撮」の宣伝チラシをもらいました。1978年に配布されたそうです。

 

 

・自分のスケッチブックから。「ウルトラセブン」を報じた少年マガジンのグラビアを見て描いたんですよ。67年の秋。「ウルトラQ」「ウルトラマン」、それと「ジャイアントロボ」がお気に入りで、大伴昌司の影響で、秘密基地の図解なんかも描いています。原坂さんに、子供の絵は素晴らしい! と言ってくれました。