小林昭二さんのこと | ヤマダ・マサミ ART&WORK 検:ヤマダマサミ

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主に仕事に関わる、特撮、怪獣がらみのブログです。
ときどき、猫が登場します。

先日のウルフェス・レジェンドナイトで、科特隊4人が揃った際に当然のようにキャップの話題になりました。
ムラマツキャップは小林昭二(あきじ、と読みます)そのもの。4人のまとめ役でした。
その人柄と演技に向けた真摯な取り組みに、若いキャストが感化される。
TBSが主催した「ウルトラマン」から「キャプテンウルトラ」への引き継ぎのパーティで、熱心に「ウルトラマン」を見ていた東映の平山プロデューサーは小林さんと直に出会い、いつか自分の番組に出てもらおうと心に誓ったと言う話を、当の平山さんに伺いました。有名な話です。
まず平山さんがとてもヒューマンな人です。
どうして設定にあるように仮面ライダーはクラッシャーで噛みきらないんですか?と聞くと、ニコニコしながら、山田君それはね、喧嘩で弱いヤツがすることなんだ。おれの仮面ライダーに噛みつきなんて卑怯な真似はさせたくないんだ。
平山さん、ではアマゾンは?とは聞けませんでした。アマゾン、理性がありませんからね。
東映京都の時代劇の助監督で苦労を重ねた平山さんですから誠実な小林さんの人となりに惚れたんでしょうね。
「仮面ライダー」の立花藤兵衛は、4年後満を持して登場。
小林さんも義理堅いんでしょう。ライダーは1号からストロンガーまでレギュラーでした。
しかしスカイの時は断りました。当たり役は大事だが、役者は1つの役に縛られたくない、のだと。これも有名な話。
そして小林さんの俳優座の後輩の塚本信夫さんを推薦します。
塚本さんは「帰ってきたウルトラマン」でMATの加藤隊長を演じていますから、ウルトラマンつながりでもあります。
そもそも「帰ってきた」は小林さんありきの企画でしたから同じ理由で断ったのでしょう。その際に塚本さんを推薦したのかは分かりません。
奇しくも、小林さんが亡くなった35日後に塚本さんも亡くなります。
96年でした。本当にお2人、誠実で優しそうで、素敵な俳優でした。
8月27日は小林さんの命日だったので、画像を集めてみました。
ぼくはお会いした事ないんですが、人伝てにサインをいただきました。
ムラマツキャップは36才だったんですよ。
自分より20才近く若いのに、どう見ても年上です。

「ホビージャパン」では当然追悼記事をつくりましたが、上記同じ様な内容なので、「ガメラ2レギオン襲来」公開に合わせて金子修介監督に小林さんの話を伺った、その前後を再録してみます。


LINGLINC番外編 『ガメラ2 レギオン襲来』監督・金子修介に会う
聞き手:ヤマダ・マサミ
(収録:96年11月19日)

<抜粋>
――前線の模様がリアルでしたね。
前から、戦争ものをやれるときは、戦争指揮所の静かなところと戦闘場面のカットバックをやってみたいなって、思ってました。今回も、怪獣のところは大音響になって耳がそれに慣れて驚きがなくなるので、静かな戦闘指揮所をカットバックさせて、大音響と静かな部分との、音の上でのモンタージュを考えたんです。ただまぁ、だいじょうぶなのかなぁってところはありましたよ。伝令が紙でもってくるわけでしょ、それで作戦を決めるなんてのは。そこは広報の指導で、現行の自衛隊のシステムに添ったんです。

戦闘指揮所のシーンは、都合で1日しか借りられなかったんですが、やりたかったことはいっぱいあったんです。湾岸戦争を見ると、アメリカ軍なんかはもっとハイテクな機材を使っていて、その方が自然なんですが、今回、自衛隊に協力してもらえて、こちらが想像していたのとは、多少、違った。実際は、日本の軍事設備は、そこまでいってないんだ、というんです。それは、日本の歴史のなかで、幸運なことなのかもしれません。近代国家になって以来、他国に蹂躙された沖縄以外では、地上戦がなかった。そこで、封建時代の将棋にも似た戦闘指揮所の名残が、いまでも残っているわけなんです。
――小林昭二さんの台詞がよかった。台本にはない台詞ですよね。
ええ。ぼくがつけ加えたんです。樋口さんは、書いたとたん、カッコイイっていってくれたけど、プロデューサー的にはこれはヤバイんじゃないかって。最初は「こんどはまもろうや、この国を」って“この国を”があったんですが、好戦的な映画に見られちゃう。それでカットしたんです。
――イデオロギーが見えて来ちゃうわけですね。
自分としてはバランスいいんですが、多少、誤解を招いて。撮影前は「誰も守ってくれる人はいなかった」というのがあって、左翼的な過激さが出るんじゃないかと。引っかかる人にしたら、前の戦争は守るべき戦争だったのかってことになる。こっちは、他国へ侵略してる戦争が、守るべき戦争であるわけがないじゃないと思っていても。日本人には軍人アレルギーがあるから。『G1』『G2』と、自衛隊とおつきあいして、かつての帝国軍とは本質的に違う組織だってわかるんですけど、日本人の記憶の中に軍服を着た人間が自分たちを苦しめたっていうのがぬぐい去れない。
――小林さんの部分から「いざとなったら逃げればいい」という若い砲撃手を気遣う班長まで、シリアスな自衛隊の作戦のなかで人間(性)が出ていて、ホッとしました。
そうなんですよ。自衛隊というより、人間が、怪獣と戦って勝つ話にしたかったから、こちらとしても。コンテ描いているときもヘルメットばかり描いて、なんてヘルメット濃度の高い映画だと思いましたよね(笑)。最後の敬礼のシーンは、演出してるときに思いついたんです。まちまちに敬礼して。
<以下略>



小林昭二のもう1つの仕事は声優でした。ジョン・ウエインで知られています。「ウルトラマン」人気で当然のように、声のドラマ、フォノシートの新録に小林さん何度も起用されています。

ミュージックグラフ「怪獣大百科」所載の「ペスターガマクジラ二大海獣の死斗」から。
https://www.youtube.com/watch?v=laKWxFKDp8Y

ミュージックグラフ「ウルトラマン パノラマ大怪獣」所載の「怪獣地帯をゆく」から。
https://www.youtube.com/watch?v=EtpEwPvHZOQ










・パリに本部を置く国際警察機構の日本支部、それが科学特別捜査隊、略して科特隊である。金城哲夫がノーベル書房「ウルトラマン全集」で書いた設定によれば、日本支部には、ムラマツ班の他に、ヤマト班、ミナト班などが存在する。テレビ「ウルトラマン」はムラマツ班の5人の物語というわけです。








・科特隊のキャップ、ムラマツ。キャップというのは、当時TBS映画部の洋行帰りの主任がキャップ、と呼ばれていたのでそれに倣ったという説があります。









・科特隊の色紙はヤフオクに出たもの。手に負えない値段でした。題字は熊谷健さんでしょうね。毒蝮さんがまだ本名の石井伊𠮷名義です。








・「ウルトラQ」の「2020年の挑戦」の天野二左(二等空佐)のイメージがそのままムラマツになった。飯島監督の時代劇で感触が良くての器用だったそうです。
「ウルトラマン」、イデ役が石川進で撮影が始まった。ギャラとスケジュールの問題で降板、二瓶正也さんのイデが生まれる。すでにひとしきり撮影が済んでいたと、先日の飯島さんの弁がありました。
円谷作品では、「ウルトラセブン」の「あなたはだあれ」、「怪奇大作戦」のレギュラー町田警部など。「帰ってきたウルトラマン」の高村船長の歌「ケナケナシーモンス」も印象に残ります。https://www.youtube.com/watch?v=RlTfQ6cReuw





・撮影が終わって同窓会の科特隊。キャップはいまでもそばにいるんですね。










・小林さんのもう1つの代表作。ライダーシリーズの立花藤兵衛。おやじさん、と呼ばれます(おやっさん、はノリダー)。ちゃんと歌もあります。「折れは立花藤兵ヱだ!」https://www.youtube.com/watch?v=vbpTu6-aggU










・「ゴジラVSキングギドラ」の土橋竜三。「VSモスラ」にも同じ役で出演。バラエティ人気も特撮へのオファーにつながったでしょう。








・小林昭二をもっとも効果的に使った市川崑監督の一連。金田一耕助の物語。小林さんの存在感は忘れようがない。