3月に永平寺を訪れ、作法を習いつつ精進料理を食べてきた。最後にお茶で箸をゆすぎ、自分の箸を持ち帰るように言われ、提供されていた懐紙に包んで持ち帰った。うちに帰ってきちんと洗えば済むと気にならなかった。永平寺に行ったことで、昔は、食後箸を洗っていなかったのではないかという疑問を思い出した。というのも、小津安二郎の映画の家庭での夕飯のシーンで、各自自分の箸をそのまま箸箱に納めていた・・と、内田樹著の本の中に書いてあったからである。映画の中の話ではあるが、ごく普通の家庭での習慣を誠実に反映していたとしたら、昔は箸を洗っていなかったのかもしれない。

 

 こんな話を76歳の友達にすると、祖父母の家に住んでいた職人は各自、自分の食器と箸の入った「箱膳」を持っていて、食べ終わると箸と食器を箱膳に戻し、食器を洗っていなかったと教えてくれたのだった。84歳の知人は、昭和30年頃までの関東近郊では、あまり食器を洗っていなかったようだと言っている。お正月の祝い箸は三日間洗わなかったともいうことも聞こえてきた。

 

 50年前までは、食べ終わったご飯茶碗に白湯やお茶を注いで飲む習慣があった。お茶によって、ご飯茶碗のぬめりはある程度とれる。昔の食事は脂気のあるものは少なかった。茶碗も箸も皿も懐紙などで拭くことで、洗わなくても「よし」としていたのだろう。洗わない習慣は、水を大切にしなくてはならない環境もあったに違いない。そんな状況から60年の今は清潔志向である。

 

 今、箸箱というとお弁当の小さめの箸箱を思い浮かべる人がほとんどのことだろう。昔、家で使われていた箸箱は、家で食べる箸が悠々と納まるものだった。大学時代、寮に入っていた友人達は、自分の箸を入れた箸箱を持って食堂に行き、食後箸を箸箱に戻して自分の部屋に持ち帰っていた。この箸箱も、昔、父が入院する際、母が用意していた箸箱もこのタイプのものだった。現代の環境問題としてのマイ箸を入れる箸箱は、持ち運びを考えると大きくては困る。箸箱の変遷史をたどるのもおもしろいかもしれない。

 

 昔の箸、箸箱、食器を洗わなかったのではないかといった問題を考えるのは、それなりに楽しい時間だった。単調な生活の中で、それなりの刺激にはなったのであった。