能登の被災地の状況に心を痛めながらもポルトガルに行ってきた。

 

 2009年3月、亡夫とポルトガル・スペインツアーに参加した。このときはリスボンとエボラを観光後、スペインの主要都市周遊だった。スペインは犯罪が多いからと「警戒、警戒、警戒」と言われ続け、疲れ果てた旅であった。南米で容赦なく略奪したスペインだが、ポルトガル人はそういうことができず小国にとどまったらしい。そうした面が反映されているのか、15年前は2日間の滞在にすぎないのに居心地良さそうな国だという思いがあった。また、リスボンより北にあるポルトや他の観光地を見たいという思いもあり、今回の選択となった。

 

 ドバイまでは12時間、乗り換えて、リスボンまでは8時間の飛行である。ドバイの高層ビル群を見ることができる

のではないかと期待したが、行きも帰りも深夜での乗り換えのため見られずじまいであった。

 

 リスボンに着くとすぐバスで148kmの所にある世界遺産「勝利のサンタマリア修道院」があるパターリャに向かった。

ゴジック建築だが、縄、珊瑚、天球儀の浮き彫りを特色とするマヌエル形式も加わっていた。ポルトガルの全盛期の

基礎を築き上げた闘いを祝して建てられていたこの場所が第一歩だったことで、その後の観光の説明の理解が頭に入り

やすくなっていた。観光後、バスで198km走りポルトに向かった。ここで2日ぶりにベッドで眠ることができたのであった。

 

 翌日、バスで240km走り、スペイン領となるサンチャゴ・デ・コンポステーラを見学した。キリスト教3大聖地の一つで

である。キリストの12使徒の一人ヤコブの墓があるため、毎年たくさんの信者が訪れている。大聖堂にある巡礼者を清め

るための90キログラムの香炉には存在感があった。ヤコブの印はホタテ貝とのことで、いたるところにホタテの形があるのが

面白い。4時間弱を費やしてポルトに戻り、この日はこれで終了した。

 

 4日目はポルトにあるレロ書店見学からだった。ハリーポッターの映画で有名になったというこの書店は、人気が出たために

予約して入場料を払う。ファンタジー系のものが苦手な私は、ハリーポッター関連のものを知らなかった。店の真ん中の

曲がりくねった赤い階段、本の陳列棚は確かに魅力的である。

 

 官製葉書ほどの大きさ、厚さ10cm、字が細かい本はドンキホーテであった。ドンキホーテがこんなにボリュームのある本であることに驚かされた。見学の記念品は、ドンキホーテ仕様の本だが、厚さ1cmほどの英語版「不思議の国のアリス」だった。黒地にペパーミントグリーンのスカート、上に白エプロン、出ている足は白のハイソックス、その足のすぐ下にピンク色のウサギの耳が描かれている。表紙の下4分の1が耳からつながった同じピンク色の帯状になり、ここに金色の字で題名が記されている。

自分用の良い土産となった。

 

 ここから徒歩でエッフェルの弟子が設計した二重構造の橋に向かった。ポルト観光の写真によく登場する橋である。左側にギマランイス城の壁を見つつ、ときどき通る地下鉄に気をつけてロープウエイ乗り場にたどりついた。このロープウエィも観光写真によく掲載されている。快晴の青空の下、川を行く船、ポルトの街を見渡しながらの約5分のロープウェイ乗車は、2時間ほどの歩行の後の褒美となった。

 

 次は78kmバスに乗って到達したアヴェイロ観光だった。街の真ん中に運河がある。ベニスのゴンドラを大きくしたような手漕船に乗る余裕はなく、昼食だけの滞在であった。ここからまたバスで10km乗り、着いたのがコスタノヴァである。海岸沿いに建つ建物の多くがカラフルな縦縞模様になっている。パジャマシティと称され剽軽感がある。広い空と海でのびやかな気持ちになれる街であった。

 

 この日の最後の観光は更にバスで84km走ってのコインブラである。1290年創立のコインブラ大学がある。2万人の学生のうち3500人は留学生という。1960年代のイギリスのオックスフォード大学が舞台のドラマや映画などで、先生や学生がマントを着ているのを見たことはあるが、ここでは今もマントをまとった学生が歩いていた。1720年に建立され、30万冊の蔵書がある図書館が有名である。黄金色の室内装飾と蔵書の対比が目に迫ってくる。

 

 山の手にあった大学の見学を終えて、坂を下りながらコインブラの市街地に向かった。金平糖はこのコインブラが発祥という。

元祖金平糖は、直径約5ミリ、細かい突起がある球状で、色は薄紅色、白色、薄黄色などである。ほんのりとした甘さであった。

 

 5日目はコインブラからバスで250kmのところにある巨大岩の村モンサントである。様々な形をした巨大岩の合間に道ができている。上っていけば最終地点はテンプル騎士団の城跡がある。この付近は足下不如意ということで城跡まで行くのを諦めたが、岩を取り込んで建っている住宅があったり、巨大な丸い形の岩があったり、楽しい街だった。

 

 昼食後はバスで198kmのところにあるファティマ観光である。1917年、3人の子供達が聖母マリアの降臨を見たということで

有名になった。大量にやってくる信者のために、バチカン広場と同面積の広場、1万人が座れる聖堂も造られている。処女懐胎も、こうした聖母マリアの顕現も、ありえないことが起こるから神は存在するというのが信者の言い分となるのだろう。なかなか行けない所に行くことができた貴重な体験ではあった。

 

 観光最終日はリスボン観光だった。この日の観光であるジェロニモス修道院、ヘレンの塔、発見のモニュメントは、15年前、夫と共に観光している。しかし、ケーブルカーには乗車していなかった。車体は子供時代に乗った都電とほぼ同じでオンボロだが、急勾配を5分ほどで上り、アルカンタラ展望台に到着した。冬晴れのもと、リスボンの街を一望できたことは幸いだった。

 

 午後、シントラ宮殿見学があった。15年前の夫は杖をついていても、他のツアー客と一緒に見学していたのだ。驚きでもあった。このツアーの最後の最後がユーラシア大陸最西端のロカ岬である。ポルトガル詩人カモインズの詩「ここに地終わり海始まる」の石碑の横でツアー仲間とそれぞれの写真を取り合った。これが、この旅行中唯一の私が写った写真となった。

 

 今回の旅は、飛行機が往復で37時間強、バス1740kmであった。雨期にもかかわらず一度も傘をささずに済んだこと、今回もツアーメイトに恵まれて楽しい旅となった。 時期ではなかったからと鰯を食すことなく、カステラのもととなった菓子パォンデローを食べ損ねたことなどの心残りはある。しかし、干し鱈の卵とじ、タコのリゾット、エッグタルトは美味であった。

 

 今回もまた無事旅を終えることができたことに深く感謝する次第である。