画材当番を知ったのは、カルチャーセンターで一緒に絵を習っていた人が自主的クラスにも参加するようになったときだった。画材当番のときに、画材にいいと思って持っていっても「こんなものは描けない」と言う人がいるとこぼしたのである。

 

 習っていたカルチャーセンターのクラスでは、その日のテーマの画材が花などと一緒に真ん中のテーブルに並んでいた。並んでいるそのままでも、その一部を切り取っても、どの角度から描いても「絵」になるように先生が構成されていた。習い始めの頃は、並んだまま、あるいはその一部を描いていたが、そのうち、自分なりの構成で描くようになった。しかし、提示されていたテーマを描かなかったことはない。鳥の剥製のときは戸惑った。他のクラスで、鳥の剥製を見ると回れ右をして帰宅してしまった人がいたという。私も鳥を正視するのは辛かった。与えられたテーマだから取り組んだが、描かないで済ませたかったというのが本音である。

 

 カルチャーセンターが廃業となったため、区の施設で行われている絵のクラスに参加するようになった。クラスとはいえテーマはない。画材当番は4人にいる。当番同士で、画材がダブらないように調整する。花、野菜、果物は定番である。紫陽花、向日葵、茄子、檸檬、洋梨、林檎、筍を描かなかった年はあっただろうか。パン、人形類の登場も多い。画材は朝10時から午後3時までテーブルの上に出しっぱなしになる。このため、痛みやすい魚などが登場することは少ない。カルチャーセンター同様、画材を並べるのは先生や先輩達である。絵になるように並べるには、それなりの技量が必要だからである。

 

 私が画材当番のとき持っていったものは、こんなものを絵にしたらオモシロイと考えたものである。しかし、私が持っていったものは人気がない。帽子、毛糸玉、マンドリン、オカリナ、ウクレレ、茶道の点前セットなどは描いてくれた人もいたが、少数だった。小さいキーボード、ヘルメット、長靴、傘、浮き袋を描いたのは私だけである。花を描く人が圧倒的に多い。次に果物・野菜・パンなどの食物となる。静物画と聞いて思い浮かぶモノが好まれるということなのだろう。私は画面で勝手に構成して描いているし、描きたいモノがないとき、区の文化センターの美術室の棚にある石膏像や備品を描いたこともある。そんな私が「私の選んだ画材が描かれない」と文句は言えない。

 

 選んだ画材が描かれなかったことにめげていた私だが、最近は「描いたことがないものを描く」と言って、私の持っていった画材を描いてくれる仲間が出てきた。何より「こんなものは描けない」と直接言われなかったことを喜びたい。