3、北アフリカ・イベリア半島のイスラム諸王朝
10世紀にはシーア過激派のファーティマ朝がアグラブ朝を滅ぼし、チュニジアに建国してカリフを称し、エジプト・シリアを征服して首都カイロを建設した。後ウマイヤ朝も対抗上カリフを称したから、ここに3カリフ国分立の形勢が生じた。
エジプトでは12世紀末スンナ派のアイユーブ朝がファーティマ朝を滅ぼし、十字軍と戦ってイェルサレム王国を滅ぼし、 第3回十字軍を破った。13世紀なかばにマムルーク朝が国を奪い、エジプト・シリアを支配してモンゴル帝国の分国であるイル=ハン国の西進を阻止し、十字軍の残存勢力を追って地中海貿易と文化の繁栄を誇ったが、16世紀初めオスマン=トルコに滅ぼされた。
11世紀には北西アフリカのベルベル人のイスラム化が急激に進み、とくにモロッコのムラービト朝は西スーダンの黒人王国ガーナ王国を滅ぼすとともに、イベリア半島にも進出したキリスト教徒の南進に反撃した。12世紀にムラービト朝を滅ぼしたムワッヒド朝もイベリア半島に進出したが、キリスト教徒に敗れて撤退した。この間、半島にはキリスト教諸国が発展し、13世紀以来半島南部に繁栄したイスラムのナスル朝が、15世紀末スペインに滅ぼされると、8世紀以来のイスラムの半島支配を終わりをつげた。