アッバース朝の衰退とイスラム世界の拡大 | 世界史ですよ!!

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2、アッバース朝の衰退とイスラム世界の拡大

 9世紀には東アジアで唐が衰え、西欧ではフランク王国が分裂し、南アジアではインドが長期の分裂をつづけており、西アジアではアッバース朝が文化の盛期を迎えつつ政治的には衰期に入った。アッバース朝の衰退はイラン人・トルコ人・モンゴル人・ベルベル人その他の諸民族がイスラム教を受容しつつ、また諸地域の先進文明を吸収しつつ独自の民族的発展をとげていく、イスラム世界の分裂と発展と拡大の過程であった。

 9世紀にはイラン高原にイラン系軍事政権が独立し、ついで中央アジアを中心にイラン系のサーマン(サーマーン)朝が成立して中央アジアに西進したトルコ系諸民族のイスラム化を促した。10世紀にイラン高原におこったシーア派のブワイフ朝はバグダッドに入城してカリフを圧迫し、イスラム帝国における武家政治の端をひらいた。

 9世紀にはモンゴル高原のトルコ系ウイグルが四散し、正装してイラン系住民の地であったタリム盆地、中央アジアをトルコ化するとともにイスラム教をうけいれた。以後中央アジアにトルコ=イスラム諸族が建国して西南アジア・北アフリカヨーロッパに西進し、また南進してアフガニスタン・北インドに入り、各地に諸王朝が興亡した。

 中央アジアには10世紀にカラハン朝、、11世紀にセルジューク=トルコ、ホラズム(コラズム)、アフガニスタンには10世紀にガズナ朝、12世紀にゴール朝が成立した。

 11世紀半ば、セルジューク=トルコはバグダッドに入城してブワイフ朝を倒し、カリフからスルタンの称をえて武家政治をおこない、小アジア・シリアを含む西アジアを支配したが、十字軍とホラズムの攻撃で12世紀に分裂した。

 11世紀以後、ガズナ朝、ついでゴール朝は北インドに南進してイスラム教を強制し、13世紀にはゴール朝の部将が北インドに独立して奴隷王朝をたてた。ここに7世紀後半以来の北インドの分裂が終わるとともに、以後北インドにハルジー朝・トゥグルク朝・サイイド朝・ロディー朝の5つのいイスラム軍事政権(デリー=スルタン朝)が交替し、16世紀にはムガル帝国成立した。

 13世紀に奴隷王朝が成立した年に、チンギス=ハンがモンゴル高原を統一し、西進して中央アジアのホラズムを滅ぼし、西北インドにも侵入した。その一族は13世紀にアッバース朝を滅ぼして西アジアにイル=ハン国、中央アジアにチャガタイ=ハン国をたてイスラムに改宗した。

 14世紀末、元が明に滅ぼされた直後、中央アジアにモンゴル=トルコ系のティムール帝国がおこり、チャガタイ=ハン国・イル=ハン国を滅ぼして西アジアを統一し、発展途上のオスマン帝国に大打撃を与え、15世紀前半全盛期を迎えたが、1500年、中央アジアのトルコ系ウズベク族の南下で滅んだ。ティムール帝国は西アジア最期の統一王朝であった。16世紀以後西アジアは分裂し、中央アジアにはウズベク族の諸ハン国、イランにはイラン系のサファヴィー朝、その西にはオスマン=トルコ帝国が並立し、また南アジアにはティムールの子孫がムガル帝国を樹立した。