友人のお子さんが、大人たちが集まって話していたところにその会話を聞いて、
一言つぶやいた。
「大人ってなんでいつも一番最悪の事態を想定するんだろうな」
子供ってするどい!![]()
本当に的を得た疑問ですよね!
なぜ人は悪いことを想定してしまうのか。。
「きっとうまく行くに違いない」って言葉は、
すぐに自然にはなかなか出てこないのはなぜ?
例えば。。。
楽しみな旅行を前にして、こどもがくしゃみ
→ 「え!もしかして、風邪?悪化して旅行は中止になるかも?!」![]()
遠くに住む両親に電話しても誰もでない
→ 「え!誰も出ない?何かあったのかも!誰も気づかれずに倒れていたらどうしよう!」![]()
最近失業率が上がったというニュースを聞いた
→ 「え!それは大変!同じことがうちにも起こったらどうしよう!」 ![]()
こんな風に、外部の現象に反応する時、無意識で出る反応が、
たいてい否定的なことが多いと思う。
(わたしだけだったらごめんなさいー
)
それはなぜなのか?
私が思うに、因果応報という考えが
私たちの頭にしみついている現実があるから、なのかなと思うんです。
「因果応報」って考えは、日本人には特にしみついていますよね。
「悪いことしたらばちが当たる」って。。
どこから来た言葉か知らないけど
小さいころから、なぜか、よーく聞いた記憶が。。。![]()
「ばちを当てる」その主語になっているのは「神」ですよね?
悪いことをしたら罰を与える「神」。。。。うーん。。。
いつもどこか遠くで見張っている?
悪いことをしたら「ほらやっぱり!」という感じで罰を与える?
それって本当に神なのでしょうか?
聖書が教える真実の神様とは全然違う「神」です!!
唯一の真実の神様でおられるイエス様は、
わたしたちがまだ罪人だった時に、わたしたちを救うために来てくださった神様で、
私は神様の愛なんて全然値しないような間違った人間なのに、、
にもかかわらず、一方的に愛して憐れんで救い出してくださった、
そんな恵みの神様だからです。
でも、因果応報の概念は、
「いいことをすればいいことが起きるし、悪いことをすれば悪いことが起きる。」
だから、悪いことが起きたらそれっていつも自分のせいなんですよね。
自分が責任をとらないといけない。
だから、悪いことがおきないように、最善の注意を払って、
いろんなことを先々を考えて注意深く生きていかないといけない。。。
逆に、成功したら、それは自分の努力の成果。。
健康は自分が運動しているから?食事に気をつけているから?
やっぱり自分の努力の成果?
ちなみに、日本は他の人々を崇拝してる感じがあるから、
「みなさまのおかげです」
って言ったりする?。。。
つまり、良いことが起きるのは自分の努力か、周りの人々のおかげ?
でもでも、限界がありますよね。。。そんなに誰も強くないし完璧じゃない。
だけど、因果応報の考えって、神様の真実とは違っているって頭でわかっていても、
イエス様を信じていても、、、無意識に頭の中で起動して、
物事を捉えていたりすることがよくあるんです。
だから、聖書のことばによって神様の真実に自分の考えを適応させていく必要があるんです。
そのことを「renewing your mind/心・考えを新たにすること」といいます。
「あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい」
ローマ人12:2
「キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。「木にかけられた者は皆呪われている」と書いてあるからです。 」
ガラテヤ人への手紙13:3
「神は、あなたがたがいつもすべての点ですべてのものに十分で、あらゆる善い業に満ちあふれるように、あらゆる恵みをあなたがたに満ちあふれさせることがおできになります。」
第2コリント9:8
神は「私たちの願うところ、思うところのすべてを超えて豊かに施すことのできる方」
エペソ人への手紙3章20節
不完全な人間に対して、唯一まことの神様は、イエスキリストを通して、
神様の愛を惜しみなく与えてくださる、と聖書は教えてくれます!![]()
それが、真実の神様です。
そして、その事実を信じることができるようにしてくださるのは聖霊様の働きです。![]()
だから、わたしたちは謙遜になって、祈って、そんなすばらしい神様にそのすばらしい真実を信じることができるように、
私たちの心の目をひらいてください、とお願いする必要があります。
読んでくださってありがとうございました。![]()
