彼の暗殺事件から約5か月が経ちましたが、まだ心が苦しくなります。
もう誰もニュースで言わなくなる日が来るのかもしれません。
なので、プレガーU代表メリッサ ストライトさんのビデオを以下に訳してみました。
「2025年9月10日チャーリーカーク氏が暗殺された。
当時31歳のターニングポイントUSAという団体の創始者でありリーダーであった。
これほどまでに深い悲しみと苦しみが世界中を包んだのは今から57年前に公民権運動のリーダーであった
マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの暗殺事件以来である。
9月21日の日曜日、アリゾナ州フィニックスにあるステイトファームスタジアムで行われた追悼式に
10万人を超える人々が出席した。大統領、副大統領、ほとんどすべての官僚、マスコミ関係者、
連邦議会の主要メンバーなども出席した。そして何千万という人々がテレビやインターネットで
式の様子を視聴した。世界中が悲しんだ。チャーリーの死によって、それほどまでに多くの人々が
共に悲しみにくれることになったのはどうしてなのか。もちろんその答えは多くあるが、
私が一つ挙げるとするなら、こうだ。それは彼自身が可能な限り一番ベストなアメリカの未来を象徴していたからだ。
チャーリーが進む方向にこの国も進んでいた。
背が高く、スポーツができて、聡明である、そんなチャーリーは、アメリカの国そのものを象徴していた。
そして彼は明確なスピーチでこの国を擁護してきたのだ。
彼がまだ生きていた時には、人々はそのことに意図して気づいていなかったのかもしれないが、
彼が亡くなってからその事実に気づいた人も多い。
高い木が倒れるまでは、その木がどのくらい高いかに気づかないのと同じように。
それだけでなく、彼は家族に忠実に仕える夫であり、二人の小さな子供たちの父親でもあり、
ゆるぎない信仰をもったクリスチャンであった。若者たちに、特に、若い男性たちにとって、
彼はみんなからの目標の先輩的な存在となった。
「私についてきなさい。みなさんも私のような歩みができるから。」と、若者を導いた。
ところが、光に照らされた未来は、一瞬のうちに、暗闇の中に埋もれてしまった。
彼が残酷なやり方で殺害されたからだ。
チャーリージェイムスカークは1993年の10月14日にイリノイ州の
シカゴの郊外アーリントンハイツで生まれた。彼の父親は小さな建築会社を経営しており
母親は精神病院で働いていた。両親とも保守派だったが、チャーリーの記憶では
どちらもそれほどまでに公に政治的な活動するタイプではなかったという。
チャーリーが熱意をもって政治的な運動を始めた理由というのは、彼自身も十分に説明できなかったが、
確かなことは、高校の時からだということだ。高校時代に何度も左翼的な教師との意見の違いで衝突したそうだ。
これから彼の人生に起きることの前兆のように。ウェストポイント大学進学を希望していたが、
願書が受領されず、ウェストポイントに行けないなら大学進学はなし、という決断をした。
皮肉なことだが、それから後にチャーリー程、数多くの大学キャンパスに足を運んだ人はいなかった。
彼が学術にのめりこんでいった理由は、見せかけだけの学位のようなもののためではなくて、その教えであった。
その教えというのは、アメリカは悪い国で、人種差別の国、帝国主義で、心がない国。
彼はそのような嘘の教えは信じなかった。世界中のどこにアメリカほど好機に溢れた国があるだろうか。
勤勉であること、個人が責任を持つこと、耐え忍ぶこと。これらのことによって、だれでも前進していくことができる。
そんな彼の信念は、ラジオで聞いた二人の人物の声によって、より確固たるものとされていった。
それはRush LimbaughとDennis Pragerの二人である。後に二人とも彼ととても親しい友人となった。
18歳の若者でラジオのトークショーなんて聞いている人はあんまりいないかもしれない。
しかしチャーリーは違っていた。
彼らのラジオ番組を聞いて、どうやったら自分と同世代の若者たちに自分の考えを
伝えていくことができるのだろうかと、考え始めるきっかけになったのだ。
自分と同世代の若者たちの多くはチャーリーが聞いていたようなラジオ番組はまったく聞いていなかったし、
高校や大学でも、彼が確信している意見を耳にすることがなかったからだ。
そこで2012年の6月に地元の実業家ビリーモンゴメリーからの経済的サポートをきっかけに
ターニングポイントUSAが生まれた。ウェストポイント大学に入学を拒否されたチャーリーカークが
高校生や大学生たちに自由市場資本主義やユダヤ教/キリスト教の価値観を広めていくという大胆な計画であった。
そして、それは本当に実現した。チャーリーはアメリカニズムという考えを広める使徒となった。
「私はこの国を愛している。権利とは自由とは何かを知りたいと願っている学生たちと共にこの活動をしていくことに
情熱を持っている。」と、彼の執筆した本「キャンパスバトルフィールド」においてそう言っている。
彼は本能的に人々の注目を集める能力を持っていたと言っても過言ではないだろう。
「巨大政府は最悪」とかバイラルになるスローガンを生み出したり、「さぁみんな論議しよう」と
大学キャンパスで多くの学生たちをディベートに呼び掛けた。
おそらく今までなかったことだと思われるが、
チャーリーは保守主義というものを「かっこいい・クール」なものにした。
保守的な若者が新しい意味での反逆者となり、チャーリーは彼らを防壁へ導いていた。
彼は行くところどこででも自分の考えを人々に印象付けた。TPUSA(ターニングポイントUSA)
という集会が各地の大学や高校で次々にスタートしていった。2016年には、1000箇所で集会ができた。
その年の後半に、チャーリーは、ビジネスマンであり自分の祖父ぐらいの年齢であるドナルドトランプに大きく賭けた。
それまでの大統領候補者たちはあまりに冷血であったが、彼こそがそこから打破する人物だと知っていたからである。
トランプは完全にそれまでの大統領候補者たちとは違う猛獣のごとき人物であった。
弁解的でなく、恐れがなく、アメリカの国を無条件に愛している。
トランプもまた同じようにチャーリーの中に同じような強さを見出した。
新たな自信と新たなつながりを得て、チャーリーはTPUSAをどんどん大きな組織にしていき、
TPUSAはおそらく世界中で一番大きな保守派の団体と成長していった。
チャーリーもあらゆる面で成長していった。彼のディベートのスキルも向上していき、
知識もますます高まっていき、何より大切なことは、彼の信仰が強められていったことだ。
「信仰と自由はともに重要だ」ということを彼はよく若者たちに伝えていた。
「もしも国家が信仰を失うなら、当然のことながら、自由も失うことになる。
これがこれまでのアメリカのやり方であった。左翼主義、つまりは大学で一般的に広められている思想というのは、
失望と虚しさ以外のどこにもこの国を導いていかない」と説いた。
2021年3月にチャーリーは元ミスアリゾナであったエリカフランと結婚し、
間もなく二人の子供が与えられた。すべてがうまくいっていた。
2024、チャーリーはドナルドトランプの再選挙に貢献した。
トランプが今回は総得票数で勝利となった。大学生層というのは、これまではいつも共和党の弱みだったが、
チャーリーの貢献により、今では共和党の新しい力の元となった。チャーリーはこれを一時的な動きとは見なさず、
この国で起きた大転換だと見なした。2025年の秋、彼は新たに、全米の大学のディベートツアーを計画した。
過去最大の規模のものである。そして、その最初の開催地がユタバリー大学であった。
そしてそこがまさに彼が殺された場所であった。
その14か月前にドナルドトランプはまさに完全なタイミングで頭をそらしたことによって暗殺者の銃弾から免れた。
チャーリーは向いていた方向から銃弾をその身にうけた。
瞬間的に彼の運命は定まってしまった。そして、今、私たちはこの質問に直面するべきである。
「なぜチャーリーは暗殺されたのか」それは、暗殺者が彼を憎んでいたからではない。
彼はチャーリーの知り合いではなかった。彼はチャーリーが説いていた教えを憎んでいたのである。
「よりよい人生とは自分たちが、信仰に、家族に、国家に従事していくことから来る。」そんな教えである。
聖書が教える価値観である。それは暗殺者の人生とは完全に相反するものであった。
彼の人生は怒りと妬みに縛られていた。暗殺者はチャーリーを憎んでいなかった。彼は神を憎んでいた。
でも誰にも神を殺すことなんてできない。しかし、神を代表する者、神を擁護する者を殺すことはできる。
チャーリーは彼の持っていた信仰のために殺された。その意味では、聖書の中のペテロやパウロと同じ殉教者である。
チャーリーは宗教的リバイバルを求めてきた。つまりアメリカにとっての新しいグレイトアウェイクニング(大覚醒)である。
彼が殉教したことにより、実際に、若者層でリバイバルが起きていることは事実である。
教会出席者が増加した。聖書の売り上げがアップした。新しいTPUSA集会が全国各地でスタートしている。
まさにチャーリーの暗殺者が恐れていたことである。誰にも未来を予想することはできないが、
チャーリーが懸命に実現させようと励んできたまさにその通りに、
もしも私たちの未来が明るいものであるとわかる日が来るなら、
その時私たちは誰がそのような未来の実現に貢献していたのか思い返すであろう。
それはイリノイ州出身の若者。良いことだけを成し遂げたかった彼、そしてそれを実際に成し遂げた
チャーリーカークである。
メリッサ ストライト プレガーU代表