現在はウサギの島などといわれていますが
戦時中に731部隊が密かに毒ガス実験を
行っていたことで日本地図からも消された島・・
「毒ガス島」と呼ばれていました。
奇しくも終戦記念日の直後・・
これもまた、数奇な巡り合わせです。
上の写真は広大な毒ガス貯蔵庫跡地。
汚染されているため、中は立ち入り禁止です。
汚染されているため、中は立ち入り禁止です。
有毒物質を直接扱う毒ガス工場は製造に関わる
従業員にとっても地獄のような環境でした。
特に当時の技術では手作業による工程が数多く残っており
多くの従業員が被毒。苦しみながら死に至りました。
多くの従業員が被毒。苦しみながら死に至りました。
また当時の島内は有無を言わせぬ問答無用の
軍隊社会で職場環境は苛烈を極め、就業時間も
昼夜二交代制で13時間労働と非常に過酷なもの
だったと史実には記されています。
軍隊社会で職場環境は苛烈を極め、就業時間も
昼夜二交代制で13時間労働と非常に過酷なもの
だったと史実には記されています。
そして終戦後、証拠隠滅のために国家が駆り出したのは
未来の輝く、少年少女だったのです。
未来の輝く、少年少女だったのです。
想像以上に過酷な環境下におかれた彼らの話は
耳を塞ぎたくなる、とても悲しい「負の遺産」であると共に
耳を塞ぎたくなる、とても悲しい「負の遺産」であると共に
政府の鬼畜な対応に対し、強い憤りを感じました。