ザナバザル


モンゴルの歴代啓蒙学者ウンドル・ゲゲーンという称号を持つザナバザル」についてお話しします。17世紀から18世紀にかけて社会や政治宗教、芸能において偉大な功績を残し、人道的な人であったザナバザル氏について歴史書に残されています。ザナバザル氏はチンギスハーン黄金家系に属するアブタイハーンの孫で、1635年に生まれたということです。彼の故郷は現在の中部モンゴルのウブルハンガイ県です。天賦の才能を持って生まれたザナバザル氏は3歳の時には既に読み書きができるようになり、13歳からサンスクリット語やチベット語、哲学、詩を勉強し、20歳のとき当時のモンゴルやチベットの学者たちと比べても遜色ないレベルまで達し、さらにそのレベルをも超えるまで行ったと言われています。また、13歳のときから寺を建て始め、モンゴル全土で数多くの寺院の建設を指導したということです。さらに、彼はこれらの寺院の図面や模型を作り、装飾や仏像を作る作業にも自分自身自ら行ったのです。例を挙げると、2千人収容可能な大きなバットツァガーンという寺院の本堂建設の設計や、その模型などがあり、それを現在の視点から見ても大変レベルの高い建築物だということが分かります。また、彼は金銀細工や鋳造の技術を高いレベルで身につけた人でもありました。


ザナバザル氏は、ウランバートル市のザナバザル名誉芸術博物館にあるオチルダリの5つの仏像、8つの塔、21人のターラーなどの金箔仏像を作りました。その中で、ツァガーンダリ・エヘつまり白いターラー、ノゴーンダリエヘつまり緑のターラーは民族の誇りでもあり外国人観光客の注目の的になっています。モンゴルの歴史や文化記念物展示会が海外でよく行われるので、皆さんも見たことがあるかもしれません。ザナバザル氏の作った作品はそのレベルにおいても、価値においてもモンゴル、さらにアジアだけではなく、世界でも高く評価されています。ザナバザル氏は緑のターラーで東洋の女性の美しさを子供に乳を与えている母親で表現し、白いターラーで無垢な女の子の美しさを表しています。これらの貴重な作品を仏像制作における32の考え方、80の方法で人間に合うバランスに合わせて作ったことで、モンゴル的な仏像に仕上げることができました。このようなことで、彼の作品は人間の心の平穏、幸せを表現したとされています。また、彼の作ったワジラダラという仏像は、胸で両手を組み合わせています。1つの手は男性の本質を表すワドジラを、もう一方は女性の本質、ベルを象徴していて、男女の不変和合を表現しているのです。高さ72センチ、幅46センチで作られた彼の仏像は東洋における何百年の伝統を持つ技術で作ろうとすれば、部分的に鋳造し、はんだ付けした後、服などの飾り付けをして作るしか方法がありませんが、ザナバザル氏はこれを全部鋳造していたのがその技術力の高さと評価されています。この鋳造方法は学者たちによって、「ネルフ流」すなわち承流派と呼ばれています。また、ザナバザル氏は優れた金銀細工師であっただけではなく、画家、詩人、言語学者、哲学者でもありました。彼は、国の安全や国民の平和な生活、人びとの融和を大事にした多くの本や詩を制作していました。ザナバザル氏が5歳の時、彼をモンゴルの初の活仏として崇め、宮殿を建てさせたということが現在の首都ウランバートル市の基盤になったのです。