モンゴル伝統舞踊
ツアム踊りとは宗教の仮面踊りである。相互に闘争する新旧宗教の仮目や矛盾の最中に形成されたので最初から秘密、象徴的性格があり、土着民俗神の災難、妨害の妖気(鬼、怪物という)を退治するために呪文の踊りである。初期の頃のツアム踊りは寺院内で非常に秘密裏に行われ、観客もなく、らま僧たちの宗教上の誓いを捧げた人たちだけが参加する権利があり、特定の目的を持った宗教的儀式だった。ツアム踊りを演じる時、体を揺り動かし、頭を回し、手の多くの動作を行い、跳んだり、足を踏みしめたり、歩く、踊るなど様々な動作をする。その動作により、笑う、怒る、救う、追い払うなどの心理的描写を表現する。ツアム踊り演じる役者たちは大小の歩き方で敵の住む家屋を振動させ、崩壊させる意味を表現し、跳んだり回転すれば敵を嘲り、追い払い、切り捨てる意味を表す。右足で踏みしめると男の鬼が、左足で踏みしめると女の鬼が退治されると言われるので強く踏みしめながら踊る一般にツアム踊りの衣装は絹地のアップリケの手工芸品である。広い三角形の袖のあるツアム踊りの衣装、花模様の上着(ドディグ)、神の厳しい顔を模様にした前掛け(マティグ)、温和相の仏像のある帯、ウルージンという骨の数珠の飾りなどからツアム踊りの衣装は成っている。ツアム踊りの仮面の大きさは人の顔の二倍の大きさで、出演者たちの目は仮面の口のあたりに来るのでそこから覗く。仏たちの役柄を表す仮面をポンマシーで製作する。初めに仮面の形を木製で凹凸の二個を作り、この型の真ん中に
2センチ位の空間を作る。その型にゴムの液体を注ぎ凝縮させる。そうして出来たゴムの鋳形に薄い紙を沢山貼り付ける方法で仮面を製作する。ツアム踊りは大昔のインドで形成され、チベットを経由し、モンゴルに広まったとされている。元々宗教的意義のなかった長編的説話、詩文的詠唱、会話形態の芝居、音楽のリズムによって舞い踊る演劇は民間の芸術であった。次の仏教が興隆し、その発展過程で宗教的内容の余興となり、さらに専門的な宗教の意義を持ついたった。ツアム踊りは純粋に宗教的習慣の形態で仏教を奉るアジア各国で発展した。
この舞踊は非常に小さなスペースで演じられ、手、肩、胸、腰、目そして頭の動きによって異なる意味を表現します。ビイあるいはビイルゲーは遊牧生活から生まれた独特の舞踊形式です。都市化により、その固有の要素の多くが失われようとしています。それゆえ、これを保存することが必要です。
モンゴルの様々な民族集団が居住しているほぼ全ての地方が、それぞれ固有の形式のビイあるいはビイルゲーを持っています。特にモンゴル西部地方がビイルゲー舞踊で有名です。
伝統舞踊ビイあるいはビイルゲーでは、音楽が重要な役割を担っています。限られたスペースの中で行うことのできる所作はモンゴル舞踊の基本的な特徴で、手、肩、胸、腰、目そして頭の動きによる表現の豊かさがスペースの小ささを補います。
国の様々な地域に住む人々が、自分たちの感情を表現するのにそれぞれ異なるやり方を用いていることから、振付けは多種多様です。こうした伝統舞踊の多くはモリン・ホール(morin huur、馬頭琴)、イヘル(ikhel)、そして時には他の楽器も組み合わせた伴奏に合わせて演じられます。
ブリヤート族の舞踊ヨーホル(Yohor)等のように人の声のみを伴奏に演じられる舞踊もあります。
モンゴル舞踊が非常に早いうちから発展していたことは、「モンゴル秘史」(Secret History)の中の「モンゴル人は喜び、踊り、多いに楽しむことを常としていた…彼らは膝まで埃にまみれるまで踊っていた」という一節によって証明されています。
モンゴルの伝統舞踊には西モンゴルに伝わる「ビエ」と呼ばれる肩を揺すったり体を前後左右に振る激しい踊りと、外来ですがモンゴルに根付いた「ツアム」と呼ばれる宗教的な仮面舞踏があります。どちらもイベント的には人気の高い舞踏でインパクトもありますが日本での認知度は馬頭琴、ホーミーと比べるとかなり落ちてしまいます。