鳥人 * とにどり * 拾弐鳥 | ☆光のかけら☆ 乱蔵

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ある日、知る
こころに色があることを
言葉に色があることを
音楽に色があることを
時間に色があることを
わたしに色があり
わたしの名前に
ことだまがあることを

*BLEACHの色彩*に
彩られた
言の葉*言霊*花鳥風月
に触れてください

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目に見える仕事
かたちに現われた仕事
その仕事の量の多さと
いったことだけに
人間の本当の仕事の価値や
人間の本当の生活を
見出そうとしない

平塚らいてう
(『元始、女性は太陽であった』より)





元始、女性は実に太陽であった

で始まる青鞜せいとうの創刊以来
日本の女性史に大きな足跡を残した
平塚らいてう
その影響力の大きさ
膨大な仕事量を思うと
これが彼女の言葉かと
不思議な気さえします
でもこの言葉を知ってから
ますます彼女の偉大さを
思うようになりました




私たちは
どうしても
目に見える結果や仕事の量で判断しがちです
忙しくしている人の方が
暇そうにしている人より
偉いと思ってしまうのも
それを求めるあまりのことでしょう

彼女は


🌿
落ち着いた時をもたずには生きられない
🌿


と言っています
そういう時間や目に見えないものを大切にして
丁寧に仕事や生活をする
その結果が
たまたまあれだけの仕事となって残った
ということなのですね




与謝野晶子と
母性保護論争を繰り広げ
母性は国家によって
保護されなければならない
という意見を主張した彼女

🌿
家庭をもたなかったら
お子さんがなかったら
あなたはもっともっと
仕事ができたでしょうに・・・・・・
🌿


という言葉に対しても
誇らしげに答えています






二人の子どもは
わたくしという一人の女を完成させてくれる
神の賜物にほかならないのです

女性が自ら輝ける時代
うわべだけでなく
真の太陽を目指したいですね


幼少期の平塚らいてう

ひらつか・らいちょう
評論家
明治19年(1886)2月10日
昭和46年(1971)5月24日




女学校に開設された「閨秀文学会」に参加
与謝野晶子や森田草平らの教えのもと
短歌や小説を作りました
草平との心中未遂事件を乗り越え
明治四十四年
女性のみによる文芸誌「青鞜」を創刊し
女性の解放を唱え大きな反響を呼びました
🌿
🌿
おはようございます🌿
光のかけら🕊に触れて下さって
ありがとうございます
ようやく 抗がん剤の調整で
副作用💊も軽くなり 落ち着く事が出来ました
ご心配をおかけしました
今日は ゆっくりとみなさん🍀のところへと
おねがい
来週より 再び大竹工場🏭勤務
内勤の事務管理の方へ
身体に無理の無いよう 勤めていきます
みなさん🍀もお身体ご自愛下さい
素敵な色🎨の週末となりますように
ニコニコ
画像
Google  より 
お借りしております




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