鳥人 * ななとり * 漆鳥 | ☆光のかけら☆ 乱蔵

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☆光のかけら☆

ある日、知る
こころに色があることを
言葉に色があることを
音楽に色があることを
時間に色があることを
わたしに色があり
わたしの名前に
ことだまがあることを

*BLEACHの色彩*に
彩られた
言の葉*言霊*花鳥風月
に触れてください

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しあわせは手ごたえを
伴ってやって来るが、
しあわせぼけは
さりげなく侵入する

幸田文
(「しあわせぼけ」より)



物語なら
「みんなしあわせになりました」でおしまい
でも
現実は
そこでは終わらないのです

有り難いと思い
感謝し
ひたすら平安に落付いているうちに
勇気は失う
気力は減る
忍耐はあまくなる
からだは弱くなる
ものが億劫になる
と喪失ばかりである


幸田文は
それを「しあわせぼけ」
と呼んでいます



文豪
幸田露伴の娘として生まれた彼女は
さぞ恵まれた家庭に育ったのかと思いきや
病気がちの家族の世話に明け暮れ
結婚すれば
離婚
倒産と
苦労の絶えない人生だったようです
それを苦難を乗り越えてきた
彼女の言葉だけに
説得力がありますね






不幸を克服するよりも
しあわせを上手に扱う方が難しいと
彼女は言います

先人たちは
不幸を克服することに懸命でした
その努力の上に
今の私たちのしあわせが
成り立っているのです


ふしあわせをなんとかしのげたのなら
しあわせももっと上手に扱える筈である


しあわせの扱い方については
まだまだ
勉強する余地がありそうですね




こうだ・あや
随筆家、小説家
明治三十七年(1904)九月一日
平成二年(1990)十月三十一日


離婚後生家に戻った文は
父・幸田露伴の看護にあたります
昭和二十二年に「雑記」を発表
以降父の思い出を綴り評価を受けます
三十一年には芸者置屋で奉公した
経験をもとに『流れる』を上梓しました
著書に
『おとうと』『闘』『きもの』など


🌿
おはようございます晴れ
光のかけら🕊に触れて下さって
ありがとうございます
抗がん剤💊の副作用★が重く★★★★
なかなかみなさん🍀のところへ
伺う事が出来ませんでした
ようやく 少しずつ・・・・・・
お返ししていきます
穏やかな週末🌿となりますように
新しい月🎎雛月*ひいなつき も宜しくお願いします
ほんわか





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