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なよたけの 風にまかする
身ながらも
たわまぬ節は ありとこそ聞け
西郷千恵子
( 辞世より )
西郷千恵子肖像 広田修也画
戊辰戦争の折
会津での戦いは激しく悲惨でした
飯盛山で自刃した白虎隊士たち 『八重の桜』より
十五歳から十七歳の少年たちが
自刃した白虎隊の悲劇は有名ですが
白虎隊生き残り隊士 酒井峰治像
会津各地でさまざまな悲劇が
繰り広げられたといいます
自害した婦女子だけでも
二百三十二人におよぶとか
会津藩家老
西郷頼母たのもの妻
千恵子もそのひとり
これは
そのときの辞世です
雪村庵
なよたけとは
細くしなやかな竹のこと
弱竹と書いたりもします
なよたけのように
風の吹くままに身をまかせてはいますが
たわまない節も持っているのです
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享年三十四歳
強い信念と覚悟をうかがわせる歌です
ただ
この歌に詠まれた
なよたけの節の心は
いつの世にも通じるものではないか
と思うのです
たわまぬ一節
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それがあるからこそ
ほかのことに対しては
おおらかでいられるのではないでしょうか
自分なりの信念を持った人は
ふだんは風に
身をまかせているように見えても
いざというときには
強く
そして美しいものです
悲しい背景を持った歌ですが
平和な時代にこそ
受け継いでいきたい心のような気がします
絵ろうそくとかまくら
さいごう・ちえこ
幕末の会津藩家老・西郷頼母の妻
天保六年(1835)
〜
慶応四年(1868)八月二十三日
『八重の桜』 西郷千恵子役 宮崎美子
幕末
会津藩は官軍に抗し
武士やその家族が籠城しました
慶応四年
官軍が若松城下🏯に突入し
ついに千恵子はいあわせた
二十一人の家族・親戚とともに自刃します
この悲惨な事件は千恵子の辞世とともに
長く語られることとなりました
長女・細布子(たえこ)16歳
次女・瀑子(たきこ)13歳
姉妹の遺した辞世の句🌿
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手を取りて共に行きなば迷わじよ
いざ辿らまし死出の山道
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