風人 * むかぜ * 陸風 | ☆光のかけら☆ 乱蔵

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ある日、知る
こころに色があることを
言葉に色があることを
音楽に色があることを
時間に色があることを
わたしに色があり
わたしの名前に
ことだまがあることを

*BLEACHの色彩*に
彩られた
言の葉*言霊*花鳥風月
に触れてください

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しばしこそ 富めるまづしき
かはりあれ
つひの行衛ゆくへ
たれか定めん

和宮
(『静寛院御詠草』より )



有栖川熾仁ありすがわたるひと親王という
婚約者がありながら
強引に将軍家に嫁がされた
皇女和宮
幕末の動乱期
めまぐるしく変わる運命に
翻弄され続けたような生涯でした


伝静寛院宮肖像写真 和宮と伝わる写真
* 実は大和郡山藩の最後の藩主・柳澤保申の正室
『柳沢明子さん』と判明されましたが
真偽については未だ議論されているそうです


そんな彼女が
明治になってから詠んだ歌が
数多く残っています
これもそのひとつ
外を通る商人や物乞いの声を
聞いて詠んだ歌の一首です


🌿
少しの間
裕福だろうと貧かろうと
たいした変わりがあるでしょうか
最後に行き着くところは
誰にも定められないのです
🌿


彼女は
本当の幸せは
身分や富とは関係ないということを
身を持って理解したのでしょう




🌿
天下泰平のため
誠にいやいやの事
余儀なく御うけ申し上げ候・・・・・・
🌿




こう言って泣く泣く嫁いだ将軍家でしたが
十四だ将軍家茂いえもちのやさしさに触れ
思いのほか
仲むつまじい夫婦だったといわれます


その幸せも
家茂がわずか二十歳で急死したため
たった四年のことでした




三十四歳で生涯を閉じた和宮は
将軍家のお側にと言い残して
この世を去ったといいます
この言葉どおり
芝増上寺の家茂の隣に葬られました
永遠に愛する人と寄り添うことができ
ようやく
穏やかなときを過ごしていることでしょう




かずのみや
十四代将軍徳川家茂の正室

弘化三年(1846)閏五月十日
明治十年(1877)九月二日



皇女・和宮は有栖川宮熾仁親王と
婚約していましたが
公武合体政策のため将軍家茂と結婚します


結婚後わずか四年ほどで家茂が亡くなると
和宮は出家し静寛院と改めました
また徳川家存続を朝廷に嘆願し
婚家のために尽力しました
ふんわりウイング
こんばんは✨✨✨✨✨✨
光のカケラふんわりウイングに触れて下さって
ありがとうございます
おやすみ
和宮🌿の画像
『青天を衝け』をお借りしました
Googleで検索すると 先程の画像の他に
こちらの画像が出ていましたが
こちらは有栖川宮熾仁親王の妃・溝口薫子さん
歴代の謎❓の謎は深い・・・・・・です不満
という事で 深川麻衣ちゃん💕を
使わせていただきました
ほんわか
明日も穏やかな一日🍀が 訪れますように



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