夜明けの海に足は向いていた


こごえるような寒い冬の海に


海のこころを聞きたかった


あなたにはやさしさがない


昨日言われた言葉を思い出している


ごめんね やさしさ不足


四角い太陽が今水平線から昇っていく


帰ったら言うよ


ごめんね やさしさ不足


・・・・・・・・・・・。





このブログを開設してもう6年が経ちます。GanPartnerとして妻の癌闘病に立ち合い共に懸命な毎日を過ごしている時に開設しました。2009年11月にその妻が他界して以来、ブログに向かう気持ちが失せてしまっていました。


最近、といってもまだ二週間位前ですが、自身、難病を抱えながら、子供さんの心の病に必死で立ち向かっている方にお会いして、深い感銘を受け、またその方のブログを読み、懸命ながら、前向きな文面に、もう一度このブログに向かってみようという気持ちになりました。 その方にこのブログを通して感謝します。ありがとうございます。



さてブログを止めて、むその後ですが、いろいろありました。最初の頃は喪失感と寂寥感にどう対応したらよいのか全く暗黒の世界にいました。 3年ほど経って、少しそんな気持ちから解放されてきつつありますが、まだ完全には元の自分には戻っていません。 ひょっとしてそれは無理なことかも知れませんが、独りなら独りの生き方があるのではないかと日々模索し続けています。


その際必要な力を「孤独力」として、その力をつけようと必死です。 一人ではとても無理かとも思いますが、それはそれで流れるままにして、心は「独り」でも、さらに上を目指して孤高に生きたいと思っています。


人間、誰でも、心は孤独なのではないでしょうか・・・。  生活のパートナーがいることは一人より淋しさは紛れると思いますが、誰もが日一日と確実に老化の道を辿っているのは否定できません。 ひょっとしたら明日までは、来月までは、来年まではこのままの心身の健康も若さもあまり変化を感じないでしょう。でも後5年後、10年後、20年後となれば、そうは言っていられなくなるでしょう。 確実に身体も心も老化します。


本当の人生の闘いは60歳を越えてからだと思います。  そんな先のことを・・・・。 そうです考えても仕様がない・・・。 今が大切、今生きるのに懸命・・・・。 そうです。その通りです・・・。 でも「時は命」・・・。確実に命は転変します。 衰えていきます。


だから、今が懸命であればあるほど、少し立ち止まって、少し先のことを考えて生きたいと・・・私は考えます。


「時は命」ということを・・・考えて・・・今日を、明日を、そして一年後を・・・ある年齢に到達する時の自分を想像して、生きていきたい・・・と・・・私は考えています。 


気が長いですかね・・・・。 でもこうしてブログに向かっていても刻々と心臓の鼓動は聞こえ、時計の針は時を過去に押しやっています・・・


命が愛おしい・・・・時間が勿体ない・・・・。  そして同じ時空間を生きている人間が愛おしい・・・のです。


         




GanPartnerの名前の由来を書きます。

実は私の妻、がん闘病者なのです。「尿膜管がん」という、極めて希少な症例です。

そうです! 癌患者の同伴者なのです。ガンパートナーです。


2004年から闘病が始まりました。

最初にセカンドオピニオンを受けた病院の医師、「余命一年」と淡々と仰いましたよ!


「余命宣告」の可否についてはいろんな意見があるようですが、貴方はどうお考えになりますか?


私は、「余命宣告」は医師といえども、人間、やるべきではないと思います。


何故なら、私達の場合は治療法を誤ったからです。厳しい宣告をされると、治療が怖くなります。


たった一年なら、できるだけQOL(生活の質)を下げない治療法を選ぼうという気持ちがどうしても働いてしまいがちです。積極的に治療を受けようという前向きの気持ちになれなくなります。


もしかしたら、きちんと正攻法の治療をすれば、治る可能性があったかも知りないのに、大変そうな副作用の話をされ、万一のことを考えて、緩和ケアをどこで受けるか、考えておくように、とまで言われてしまうと、そりゃ、逃げたくなりますよ!


スマートな医師はきちんと治療を受ける場合のメリットを忘れさせないと思いますよ。


癌患者ばかりに対応していると、人は愚かになるのですかね。少なくとも謙虚さは失うようです。


医師の皆さんたちぃー、あなた達もただの人間ですよ。どこか考え違いしていない?


医師と患者と何が違うの?  医師の食い扶持は患者が払っているんだよ!


それなのに患者はどうしてこんなに、「先生さまぁー」と持ち上げ、丁寧語を駆使して対するのぉー?


小さい頃、とてもじゃないけど優れているとは思えなかった子が、やっと医学部の入試に成功して、医師の道が開けるんだよね。決して地頭は良くなかったけど、いつの間にか○○大学の医学部の教授だとかッ、驚くよなぁー。


医師、実は、そんなに優秀な人間ではないんだよ!


優秀な人間て、100万人に一人いるかいないかだけど、そんな人たち、意外と医師にはならないんだよ!


優秀な人間はむしろ自然科学の分野に進む場合が多いのです。


医師は数学苦手、物理嫌い、知識を覚えれば何とか点の取れる、生物です。


そんな知的能力の低い連中が、お金欲しさに医師になるのさぁー。


だから、何故、医師に患者はペコペコすんのよぉ。  ペコペコしても医療費をまけて貰える訳じゃないのよぉ。ましていい薬を与えてくれる訳でもないのさぁ。貴方だけに特別何かして貰おうという貴方の魂胆も見え透いているよ。


然し、医師たちは、特にボンクラな連中は、患者からペコペコされることを期待し、されると悦にいってるんだょー。


今年95歳になるという名前だけは売れている医師がいるねぇー、あの爺さん一体何が出来たのぉー?


見ていると、周りの全部が神様みたいに祀り上げているよぉーッ。


あれですごく稼いでるんだぜぇー。 ポンコツなのにさぁー。何故こうなんのかなぁー?


医学界、自民党よりコチコチで老化が進行してるよぉー。


医師会、これまたぁー、やくざ集団だよなぁーッ。


大体、人間が人間の命をどうこうしようとするところに基本的な人間の誤りと驕りがあるよ。


最近、とみに医師が嫌いになってきた。


愚痴ってみても仕方のないことですが、医師にはやはり穏やかならざるものを感じてしまいます。


自己紹介から流れが全く別の方に変わってしまいました。スミマセン


         では。