今から二十数年前のガキの頃。
大変お世話になっとった二つ上の先輩(仮名を上谷氏としよう)がおった。
上谷氏は走り屋の師匠とも言うべき人で、オイラが車の免許を取ってs13シルビアを買った時は、理屈が分かるまでコーナリングのライン取りを教えてくれたものである。
漢気バカを絵に描いたような人物で、オイラがキス釣りをしに浜辺にクルマで行って(バカ)脱出出来なくなった時には、仕事中であるにも関わらず、シビックで助けに来てくれた。
その後上谷氏の車も砂べりにハマって二人仲良く脱出出来なくなった(脱糞)が、最終的にニトントラックに引っ張ってもらって無事脱出出来た。
上谷氏もシビックで助け出せる訳が無いと分かりつつも、後輩のピンチに居てもたってもいられなかったのだ
その時のお礼をと思って、後日上谷氏に中華料理屋で「何でも好きな物食べてください」とお礼を込めてご馳走したのだが、お会計を支払おうとしたオイラを半ば強引に制止して、上谷氏が支払ってしまった。
その後、疎遠になったり再び遊んだりを繰り返したものだが、十三年前のある日、上谷氏が久しぶりに遊びに来て
「運転免許を返さないといけなくなった」
とガックリ肩を落として言う。
理由はあえて聞かなかったが、バイクと車を心から愛して乗り回していた上谷氏の心中察するに余りある。
その後もちょこちょこ連絡を取っていたのだが、ある日を境に連絡がパッタリと取れなくなった。
と、いうより携帯自体が解約されていたのだ。
心配になったオイラは上谷氏の家を訪ねてみて、チャイムを鳴らすと上谷氏のカアチャンが姿を現した。
「上谷くん居ますか?」
と尋ねると、上谷氏のカアチャンは
「もうウチの子はいないんですよ〜」
と、元気なさそうに返事をした。
帰り際に上谷氏が車とバイクを庭でイジる時に使ってた、ガラクタだらけのガレージ代わりの掘っ立て小屋を軽く覗くと、もぬけの殻と化していた。
それから七年が経ち、ひょんな事から上谷氏の同級生の女性と偶然知り合う事があった。
武家の末裔だという彼女は、温和な人柄でありながらも、眼光鋭く精悍な顔つきをしている。
彼女と上谷氏の話で盛り上がった後に、現在の先輩について尋ねてみると
「あー、そんなに慕っていたなら会わないほうがいいと思う・・・」
なんでも、彼女が言うには上谷氏は免許を返して間もなく、重度のアルコール依存症になったようで長期間施設に入っていたそうだ。
施設を退所後は一日中自転車で近所を徘徊し、すれ違う人や作業中の人に罵声を浴びせているという。
上谷氏の近況について教えてくれたその女性も彼を偶然見かけて話しかけた際に大声で罵られたそうだ。
全く以て皆目意味がわからん人間の変わりようだが
変わり果てたとて恩人は恩人!
支えれる事があれば少しでも力になりたい!
という想いで、それから間もなく上谷氏に会うべく、久しぶりにクルマで彼の家に行ってみたが誰もいない。
と、いうより完全に空家になっていた。
その日は完全に肩透かしを食った気分で家路に就いたのだが、その帰り道の事だ。
山間に沈む、真っ赤な夕焼けをバックに、対向車線を蛇行しながら自転車を漕ぐ人影を発見した。
遠目に見る限り、それが頭を無惨にハゲ散らかし、真っ黒に日焼けしたプロキャンパー(浮浪者)の御老人のように見えた。
服装を判別出来る距離まで接近する。
小汚い服装の上にドテラを羽織っている。
そして自転車のハンドルは何故か鬼ハンだ。
「どう見ても顔中しわくちゃの爺さんだし、先輩まだ四十にもなってないし、まさか違うよな?」
そう思いながら、距離にして三十メートル程接近すると彫りの深い顔立から直ぐに上谷氏である事が分かった。
「先輩だ!」
その瞬間、映画「キリング・フィールド」のラストシーンの如く、頭の中でジョン・レノンの「イマジン」が流れる。
気分はもう難民キャンプでディス・プランを見つけたシドニー・シャンバーグだ。
窓を開けて徐行してゆっくり走りながら近づく。
上谷氏「おらーっ!てめーっ!ブチ殺すど!」
そのまま素通りして家に帰った。
おちまい