親孝行という呪いはもう必要ない | Solua-ソルア✳︎まゆみのブログ✳︎歩々晴天

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捨てた自分と仲直り✳︎安心感に満ちた世界へ。ライフクリエイターとしての生き方、在り方

大晦日〜新年のタイミングで
義母を見送ったこともあって

親の死
親子の関係

について確信したこと



子どもは親を看てはいけない



親の介護を、
実の子供がやるべきじゃない

やってはいけない




親孝行
という言葉の既存の概念は


呪いだと思う










介護をしても、しなくても

どの選択をしたとしても

子供に罪悪感を残す親孝行という概念


何のためにあるんだろう?




見捨てられた、という絶望感や
見捨ててしまったという罪悪感は

子供が面倒を見るもの

という常識を採用してるから


何故、それが常識として受け継がれるんだろう?


何処から始まったんだろう?


何故、そんなものに縛り付けられるんだろう?








今回、娘たちに伝えたこと







お墓は作らなくていい


お骨も、できたら散骨して欲しい


骨壷なんて、大事に取っておかないで



死んだ後にまで
行き場のない物質として残さず
地球に還して欲しい









何より、


「お墓を守る」

などという、無意味な縛りを
子供たちに残したくない


親の残したものが
子供のストレスの元になるなんて


そんなものが親孝行だとしたら

親孝行なんてしなくていい




勿論、それがストレスになるかならないか
負担に思うか喜びになるかは

子供が選ぶことだし
子供の自由だけど



「人としての常識だから」

なんていう訳の分からない理由で
縛られないで欲しい




そんなものにエネルギーを注ぐなら

もっと自分たちの人生を
楽しむことにエネルギーを使って欲しい


だって
私もそうしたいから










神様やご先祖様には
いつだって感謝できる



でも、一番近いご先祖であり神である
親への感謝は、希薄になる



それって、やっぱり

余計なコントロールや
義務感のせいなんじゃないかな




親子の確執って

親子だから、という常識に縛られて

何かしらの「我慢」を抱いて
親のそばに居るから

起こるんだよね




親の生き方に干渉せず
親も子供をコントロールせず

それぞれが自由に幸せに
自分の心を満たしていく

お互いに自分の人生だけに
エネルギーを注いでく


それって
本当の親孝行なんじゃないかな




そこで生まれる「親への感謝」って

ご先祖様や、神様に抱く
その感謝と同じになる


と、私は感じてる












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