今の時代は、ないものを手に入れようとして、あるものを失っていく・・・
お金を手に入れようとして、心の豊かさを失う
地位名誉を得ようとして、自分自身を失う
今以上の生活を手に入れようとして、今の生活を失う
私はその結果、がんになり大きな手術をして人工呼吸器に繋がれ身動き一つとれない状態にもなり、5年生存率20%前後と知りすべて失ったかのように思った。
目の前が真っ暗になった。
しかしあるとき、失ったものを嘆くより、あることに感謝し喜ぼうと思った。
そう思えるようになったのは、これ、まで大切に持っていたもののほとんどを手放したからだ。
地位名声、そこそこあった収入、三越という看板、常識・・・・
そして何もない一人の男として行動を始めた。
もちろん、不安もたくさんあったがその不安を行動することで補おうと思った。
不安を打ち消す為に行動したといってもいい。
自分以外に何もないから、自分のことを語った。
すると不思議なことに、そんな何もないと思っていた私でも一人の人として受け入れてくれる人がたくさんいたのだ。
すべてを失っても自分はそこに存在する。
そして存在していれば、1日24時間という時間は皆平等に与えられる。
私は多くのものを手放した結果、その24時間という自分の時間と素の自分を語ることを得たのだ。
その24時間をどう使うかで、素の自分として語れることを増やしていこうと思った。
その大きな転換は、失ったと思うことをやめて、手放したと思うようにしたからだ。
振り返ってみると、私のガンになる前の人生は失うことを恐れてしゃにむに生きてきたような気がする。
面白いことにその結果、多くのものを失った。
すべは与えられていることに気付かず、欲求と執着にまみれて膨れ上がって破裂したのだ。
しかしそれでも生きているということが、すべてはそこにあるということで、その自分が一歩前に進めば新しい視界が広がり未来も広がってくる。
生きている以上つねにいろんなことがあり、悲しんだり、失ったり、裏切られたり、怒ったり、心が沈んでしまうことも、不安になることも多々ある。
そんな時、今日書いたことを思い出し初心に帰って失ったものはすべては必然だと思い、さらにいくつかのものを手放した。心の中も。
無責任、いい加減、と言われるかもしれないが、自分の今の思いを大切にしたい。
そんなことばかり繰り返してきたような気もするが、それが私だと思った。
今のまま、すべてはここにある。
だからそんなときは手放すものは手放して、何もすることもなく止まるようにしている。
すると不思議にことに、また違ったものが入ってきてまた忙しくなってくる。
これまでの出逢いや縁が新しく芽生えてきたような感じだ。
すると不思議に、また気力も湧いてきて、行動をするようになり、心も次第に晴れてくる。
そう思うと、たぶんすべては、良くなるために悪くなったのだ。
大切なことは悪くなったとき悪いとか、失った自分で意味づけするのではなく、よくなるためとか、手放したと思うこと。
すると、すべては与えられているということに気づくのだ。